
向うの家の周辺の山桜とご近所に咲く色々の花々が気にかかり出かけた。
ほんの数本の山桜が見えるものの写真にとってもまだまだって咲き具合だ。

ベランダから見ると、山茱萸の花が満開だ。

この花をベランダから見る楽しみも二年ぶり。
この木の下で私が餌を持って行くのを待っていた地域の野良犬が今年、亡くなったと聞く。
何人かの人が餌を運ぶので、安心をしていた。
私の知っている限り10年以上も元気で生きていた。
老衰だと、、、、思っているが、最後まで付き合え無かったのが残念だ。

何と! 20年以上も探していた「花の歳時記」がひょっとした場所から出てきた。
お手製のマスクを作ろうと、白い晒木綿があったのを探しに行った。
ダンボールの箱を開くと木綿にあらず、この歳時記が眠っていた。
1994年初版になっている。
部厚い本で重さは3~4キロもある。亡くなった猫のハちゃんより重いだろう。
兄が病院へ入院をした時、この本で、暇をかこつのにと持って行った記憶がある。
大きな病院が、夫の実家の真ん前。毎日お見舞いに行った事を想い出した。
もう過去。兄は亡くなり、夫の実家は病院が体育館に変身をし、そこの駐車場になってしまった。
手放した事を時々悔やむ。淋しい。
そんな、様々な想い出のある歳時記が、目の前に突然今日、現れたのだ。
最近は俳句はそろそろ遠ざかろうと決心をしかけたのに。
歳時記は出てくる、俳誌の誌友から句集が贈られてくる。
一歩、立ち止まって考えよ!と云うことか?

