Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

名勝~岐路に立つ

2004-08-15 23:39:00 | インポート
猫さん今晩は。今日8/15は59回目の終戦記念日でした。
当時連合国と枢軸国とに分かれて第二次大戦を戦い続けた世界は、1943=昭和18年のイタリーに続き、1945=同20年5月の旧ドイツ降伏の後、連合国により起草されたポツダム宣言を沖縄戦の事実上の終結と広島、長崎への原爆投下もあって、大日本帝国が受諾する事により降伏、同年8月昭和天皇の「終戦の詔勅」によってようやく終結を見る事となります。
戦乱と言えば、対外的なものでなくても昔からありました。
岐阜の名勝、岐阜城は遠く鎌倉期、13世紀の開城と言われ、16世紀の戦国期には、名将斉藤道三公の居城にして難航不落の大要塞と謳われた様です。その後尾張の3英傑の1人、織田信長公によるこの城の攻略は歴史と戦記に長く残る所となりました。道三公の令嬢、濃姫との結婚も広く知られている所です。
昨日はこの城の聳える金華山を頂く岐阜市中心部の北、長良川河畔へ行って参りました。河原から改めて城址を見上げてみますと、「要塞」とまで呼ばれた当時の様子が甦って来る様な気がします。急峻な斜面は容易に人を近づけず、又長良川の清冽なるも広く、強い流れはこれ又天然の要害となり得た事でしょう。この地形を軍事の拠点に相応しいと見た先人の知恵と見識に、改めて敬意を払いたく思います。
岐阜市内線の電車は、この城址を仰ぎ、長良川の流れを臨みながら、橋(忠節橋)の上を岐阜の西郊へと向かいます。
聳える岐阜城、そして長良の清流・・・私はこの光景こそ岐阜の象徴だと思います。*(山)*
コメント
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