本日11/27付をもって愛知県の最東端、北設楽郡富山村が、西隣の豊根村に編入合併されその長い歴史に幕を下ろした。
同村は1876=明治9年に発足、最盛時には1000を超える人口を有したが、1955=昭和30年に同村東端を流れる天竜川に佐久間ダムが構築された事により中心部が水没、約3分の2まで減少する。以後も過疎化の影響により一貫して人口減少、遂に1983=昭和58年には離島以外の本土では人口最少(当時200余人)の村として全国に知られる事となる。
俺はこの頃、悪友と共に同村を訪れた事がある。同じ愛知県とは思えぬ山間の集落、主な産業は昔と変わらぬ林業と土木関連事業。そこだけ時間がゆっくり流れている様な、異次元の雰囲気を体感できた記憶がある。勿論環境は極上であった。
約130年間続いた小さな村の歴史もこれで終わり。富山村役場は明日から、豊根村役場富山支所として規模を縮小した上で存続する事となる。人口に大きな増減はなく、長閑な住環境は我々の訪れた四半世紀前と変わっていないであろう。
地味ではあるが同村の今後のつつがなきを今は祈りたい。今月の雑記帳はここまで。ラタ、マイ月。
同村は1876=明治9年に発足、最盛時には1000を超える人口を有したが、1955=昭和30年に同村東端を流れる天竜川に佐久間ダムが構築された事により中心部が水没、約3分の2まで減少する。以後も過疎化の影響により一貫して人口減少、遂に1983=昭和58年には離島以外の本土では人口最少(当時200余人)の村として全国に知られる事となる。
俺はこの頃、悪友と共に同村を訪れた事がある。同じ愛知県とは思えぬ山間の集落、主な産業は昔と変わらぬ林業と土木関連事業。そこだけ時間がゆっくり流れている様な、異次元の雰囲気を体感できた記憶がある。勿論環境は極上であった。
約130年間続いた小さな村の歴史もこれで終わり。富山村役場は明日から、豊根村役場富山支所として規模を縮小した上で存続する事となる。人口に大きな増減はなく、長閑な住環境は我々の訪れた四半世紀前と変わっていないであろう。
地味ではあるが同村の今後のつつがなきを今は祈りたい。今月の雑記帳はここまで。ラタ、マイ月。