Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

我が今春、本州最後の桜

2010-05-04 14:09:22 | 旅行記

コナサン、ミンニチワ!2010=平成22年5月も、拙ブログを宜しくお願い致します。

早めの彼岸の開花、その後の度々の花冷えもあって意外に長続きした見頃、そして東北日本にての遅めの開花と、今春の桜は本当に長く楽しませてくれた。感謝の一言と共に、落花の時季には厄介に感じる花弁の清掃処理なども、まあある程度は仕様がないかと割り切っている次第。本州最北の青森弘前の桜もめでたく開花したとかで、大型連休明けはいよいよ最後の名所、北海道が花の時季に入る事だろう。

と言う訳で、俺が毎春訪れる新潟磐越の地も、桜の開花は随分遅かった。特に山間の会津にては、見頃が大型連休と重なった為、多くの行楽客を喜ばせた様だ。今回は会津若松まで足を延ばす機会にも恵まれ、遅めの見頃となった、会津の名所鶴ヶ城址の夜桜を見る機会をも得た。実に6年ぶりの事で、天守閣周りが外壁の改修に入っていた為、足場などがやや雰囲気を損ねてはいたものの、花の様子は前回同様、期待を裏切らない見事なもの。今春の俺にとっての、桜の時季の終幕を飾るに相応しい華やかさだった。

恐れながら、天守閣の模様は拙写真帖次回作にてお目にかける事として、今回は同様に雰囲気の良い、外堀の模様をご紹介しておきます。

012

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自主憲法制定~その必然性

2010-05-04 12:14:00 | インポート
コナサン、ミンニチワ!2010=平成22年5月も、拙日記を宜しくお願い致します。

全国的に、まずは晴天に恵まれた大型連休だった様ですね。私も、昨夜までちょっと遠出をしておりました。南東北は会津と信州松本の近郊を巡り、途中で合流した岐阜の悪友と帰路を共にした次第。往路の夜行バス、帰路の悪友の愛車に同乗してのいずれの行程も、高速道路は良く知られる「自動通行料収受システムETC 普通車定額\1000適用」により、相当に混雑しており、往路などは途中東京にての上越新幹線乗り換えに支障するのでは、と気を揉んだりしたものでした。お陰様で、大きな問題もなく無事帰着できた事には感謝の一言であります。

さて、昨日は我国の基本法 日本国憲法の施行記念日だった訳ですが、どうも祝日と呼ぶには疑問有との感を、かねて表して参りました。
今日は、勤務先の上司より拝借した先日の全国紙S新聞に、作家 曽野綾子さんが大変濃い記事「透明な歳月の光」を載せていらすので、恐れながら引用し、この問題を再考したく思います。

「韓国『慶州ナザレ園』~幸せの形をもう一度、見直せ」

韓国・慶州にある「慶州ナザレ園」を久しぶりに訪ねた。亡くなった上坂冬子さんがその著書の中で、詳しく紹介した施設である。
戦争中などに、韓国人男性と結婚して朝鮮半島に渡った日本人女性たちは、その後幾多の苦労を体験した。朝鮮戦争では、戦火が身近に迫り、その後、個人的な運命の変転にさらされた人も多かった。ことに夫婦の間に子供がいなかった人は、夫の死後、親しい身内もなく、言語も土着の人のように流暢(りゅうちょう)にはなれなかったのだろう。望郷の念断ちがたく、いつかは日本の郷里に帰りたい、と思うようになった。
そうした人々を一時保護するための帰国者寮がそもそもの「ナザレ園」だったのである。
しかし今では日本人女性のための唯一の高齢者入居施設となっている。
我国のN財団は、過去に総額\2億5000万余を投じて増改築、福祉車両の整備などをしてきた。創始者、金 龍成(きむ・よんそん)さんは、戦時中父を日本の憲兵に殺されながら、戦後は自費にて困窮した日本人妻の面倒を見てきた。
本当の平和の基本的姿勢というものは、こうした悲痛な自己犠牲を含むものである。今は同氏の片腕として働いてきた宋 美虎(そん・みほう)園長が、細かな心遣いで老人たちの面倒を見てくれている。
私は、ただ一言宋園長にお礼を言いたくて、突然立ち寄ったのである。

靴を脱いで玄関を入ると、ソファや大きなスヌーピーもいる明るく広々としたホールの床暖房の暖かさが足の裏を包んでくれた。部屋はすべて個室で、カーテンから家具の一部まで、その住人の好みの色や内装まで整えられ、床はオンドル暖房、入口にそれぞれキチネットとトイレがついている。
陽気な一群のおばあさんたちが、広い廊下のテーブルで花札を楽しんでいた。私たちはお互いに出身地を名乗り、似たり寄ったりの年を公表した。耳も眼も感情の流露もしっかりした女性たちであった。
すべてきれいに整えられた館内を見学して再び玄関に戻る時、先刻のグループが「歌を歌ってお別れしましょう」と言ってくれた。歌は小学唱歌にも取り上げられていた「故郷(ふるさと)」であった。

「兎追いし かの山 小鮒つりし かの川」

一番は私もよく歌う。しかしおばあさんたちは三番まで歌うつもりらしかった。

「如何にいます 父母 恙(つつが)なしや 友がき
雨に風に つけても 思い出づる 故郷」

私はこれほど思いのこめられた歌を近年聞いたことがなかった。この人たちの合同墓地は、南部の、晴れた日には日本も微かに見えるはずの町の一部にできているという。

「志をはたして いつの日にか 帰らん」

そう思っても 人間はそれさえ果たせないこともある。私たちは自分の運命を不服に思う前に、幸せの形をもう一度、見直すべきなのである。

曽野さんの記事、大変考えさせられるものがありますね。特に「平和とは、悲痛な自己犠牲をも含むもの」との下りは本当に重いと思います。
それに引き換え、日本国憲法の全共闘流空想的「自由と平和」はガスの様に軽い。当日のS新聞には、政治学者 小堀桂一郎さんも「我国の国家の尊厳を立て直す事が大事」との長文の記事を載せていらっしゃいました。その詳細は割愛しますが、日本国憲法第9条の平和条項にしても、国家の尊厳を守る真摯な姿勢との並立でなければ価値はなく、同条2項の見直しが必至である理由でもありましょう。
国民の権利義務にしても、そのバランスは恐ろしく悪い。電産王 松下幸之助さんや前出のN財団創始者 笹川良一さんが表されていた「権利と義務は表裏一体のもの」との健全なご見解とは程遠く、これでは曽野さんの主張される、健全な平和のあり様など望むべくもないでしょう。

この様に、戦後の混乱期に蔓延した理想主義そのままの日本国憲法を放置していては、健全な平和思考も育つはずはない、と私は信じます。

折しも、自由民主党を離れた代議士有志の方々が、憲法改正問題と正面より向き合う姿勢をお示しになっています。私は、この各位に対し、心よりの期待と応援を致したく思う次第であります。

P.S 恥ずかしい話ではありますが、拙方昨春の上坂さんの最期を存じ上げませんでした。
一周忌を過ぎてこの場を借り、改めて同氏のご冥福をお祈りする次第であります。*(日本)*

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする