Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

鉄道~この仕様もない、素晴らしき世界Ⅶ

2012-05-06 22:25:22 | 日記・エッセイ・コラム

コナサン、ミンバンワ!2012=平成24年の5月連休も、瞬く間に終わってしまった。明けて再び日常へと戻る訳だが、連休の影響にて当然ながら多忙が予想され、又、先日来記させて頂いている夜間騒音問題も解消していない折、健康面の管理にも留意しなければならない。この問題につき、親族の一人が調べてくれたのだが、良く問題になる冬季の冷暖房空調の騒音の他、夜間電気給湯器(所謂エコ・キュート)の動作音に問題があるらしい事が分って来た。騒音の時間帯を追ってみると、どうも動作する夜間の時間帯と符合する所ある様で、ユーザーの操作が適正だとすれば、これはメーカーの製造物責任が問われるべきかも知れず、今後必要なら自治体や弁護士の方の生活相談部門にも相談しようかと思案中。いずれにしても、引き続き注視は必要かと心得る。

さて、大型連休も終わりとて、4月バカに引っかけて連載して参った、拙趣味に絡むこの記事も、今夜にて一区切りにしようかとも思う。トリを務めるのは、新潟磐越の勇者、蒸機C57 180と行きたい所だが、今回は拙地元にて頑張る機関車仲間、電機EF64型の事に少し触れて終わる事としたい。

東海道新幹線の伝説の名車、0系列車と同じ1964=昭和39年に初登場したこのメカは、時同じ我国高度経済成長期に、例えば当地の中央線の様な、山間の走行を伴う坂道 即ち勾配のある路線を重量列車を率いての走破を可能とすべく開発され、同時期の東海道・山陽両本線の新鋭だった電機EF65型と、モーター動力や走行系は共通なるも、発電ブレーキと呼ばれる、坂道に対応したより強力で安全な制動系と、多くの機器発熱に備えた大容量の冷却系などを備え、又、必要なら1人の運転士が2機の機関車をパイロットできる、重連総括制御システムを全機が標準で備え、山間の心強い主戦へと成長して行く事となる。

初の実戦は、東北は福島・山形両県の奥羽線。先の大戦直後、同線の福島~山形間は、当地の東海道・中央の両線と同じ直流1500Vにて電化開業、高度成長期に単相交流20000V-50Hzに変更されるのだが、この史実は意外に知られていない。ここで、最大3%を超える急勾配との闘いをこなした後、1968=昭和43年秋の国鉄全国時刻改正を機に、当地の中央西線にも馳せ参じる事となった。まずは当地の稲沢より名古屋を経て中津川まで。5年後の1973=同48年途中よりは、同線の電化完成に伴い、既に首都圏寄りの中央東線に入っていた同僚と共に、中央・篠ノ井両線の、貨物列車の主戦としての地位を不動のものにする。20世紀末までは、貨物と共に、夜行急行を初めとする、客車による旅客列車の先導をも担っていた。

俺と同機の最初の出会いは、大阪万博の終わった1970=昭和45年の秋、現JR名古屋駅頭にてで、今も交流の続く、岐阜の悪友宅を目指して中央線下り列車に乗り込んだ折の事。この列車を先導したのが、確かEF64 5号機だったと記憶している。口笛の様に甲高い汽笛と、発進加速の折の冷却用送風機の唸る様な動作音がとても印象的で、この音に参って愛好者となる向きも多かった様だ。側面に、送風機グリルがほぼ全長近くに亘り並ぶEF64型0代は、1976=昭和51年初までに計79機が登場し、当地名古屋、首都圏のいずれにも馴染みのあるメカであった。又、昭和末期よりは、遅れて電化開業の西日本・伯備線にも活躍の場を広げ、現在同線が、0代最後の牙城となっている様だ。

経年もあって、数年前辺りより引退の続くEF64型0代の後任として当地に赴いて来たのが、EF64型1000代である。このメカも0代同様の、山間の幹線輸送用。1980=昭和55年の登場当初は新潟・長岡運転所を拠点に、上越線の旅客・貨物輸送を担い、その為拙思い出の地、新潟磐越との縁も浅くない。0代にてはほぼ全長に亘り規則的に並んだ送風機グリルは、片側に大型のものがまとめて配され、これのある側が正式の正面、第1エンドである。又、集電器パンタグラフも、0代は大型なるも、1000代は新幹線流の小型が採用され、ここの印象も異なっている。今世紀に入っては、上越線などの主戦がより高性能な近代機関車、「スリッパ」の愛称を持つEH200型との交代を機に、当地中央・篠ノ井の両線に現われる事となるのだが、先一昨年の初見参の時は、随分違和感を覚えたものだ。首都圏では「ありふれた」1000代が、まさか当地名古屋で見られるとは、当時は夢想だにしなかった、と言うのが本音だろう。又、山間は低温傾向で、積雪のケースも多い為、当然ながら両者共ある程度の耐寒仕様である。1000代は、1982=昭和57年までに計53機が登場、事実上「最後の国鉄機関車」となった歴史的立場も、大いに留意したいものだ。

2011=平成23年春、東日本大震災に伴う緊急燃料輸送の終結を機に、完全に0代より交代した訳で、勢力の大半はブルーに白塗り、「JRF」のロゴのみ赤地の、所謂「牛乳パック」と呼ばれる高崎更新色の同機だが、一部に旧国鉄外装を変えていないメカもいて、この外装機が先頭に出たり、稀に旧国鉄外装同士で重連運転を行う時は、他の愛好者達と共に、写欲をかき立ててくれるのも事実である。又、少数ながら、伯備線にいたメカの中には、西日本・広島工場にての更新を受けた者もいて、この外装はブルー・グレーに白の独特のもので(No,1046,1047,1049の3機が該当。)、これも愛好者達には大いに注目されている様だ。

電車も機関車も、旧国鉄時代より活躍する車両は徐々に旧態化し、早ければここ数年の内にも勇退が予想される。当地愛知にては、2015=平成27年春に予定される、名古屋南郊の当地鉄道発祥の路線、武豊線の電化開業時辺りが節目の様だ。今の普段着、つまり「ありふれた」姿の内に、少しでも記録を残せたら、と今思っている所。画像のEF64-1000代2機重連は、先頭が旧国鉄、次機が広島工場による更新色であります。

このシリーズを、最後までお読み下さった皆様、誠に有難うございます。次回より又、通常の連載に戻す予定であります。

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