当地愛知も、長かった猛暑よりようやく解放され、朝晩少しは過ごし易くなって参りました。明日辺りからは秋の長雨の気配。これを境に、快い秋が来ればなどとも思っている所です。
この土・日曜は勤務先行事にて出動、昨日は引き続き晴天に恵まれた事もあり、拙幼少の頃、多重自動車事故の為落命した叔父の墓参に、東三河まで往復して参りました。
快走するJR東海道線の列車内にて、かつてこの土地に住んだ頃、叔父は良く拙父を訪ねていた事を思い出しました。父の話だと、叔父は家業を継ぐに当たって、先代の祖父との行き違いに悩んでいた様だったとの事。
「兄者(父の事)。私はどうしたら良いのですか?」との意味の相談事を話す機会が度々あった様です。
父も、考え得る提案やアドバイスを色々と送ったものの、やはり身内でない事の限界はあった模様。
あるいはその事が、あの悲劇を招いてしまったか、とも振り返っている所であります。
長男であった叔父を失い、暫く悲嘆にくれていた祖母は、大阪万博の少し前に墓所が建つと、それから足腰の自由を損なう2000=平成12年頃までのほぼ毎日、墓参を欠かさなかったと聞きます。
その祖父母も3年前に逝き、残った叔父の兄弟達も健康上頻繁な墓参ができず、結局「墓守は、俺がやるしかないのかな?」ともふと思った次第。
丁度秋の彼岸とあって、豊川市内の墓所には、多くの方々の姿がありました。亡き先祖を想う気持ちは結局同じ。私も、幼少時世話をかけた叔父に、これからも、できるだけの事をして参れればとも思いますね。
祖父母よ、叔父貴よ、安らかに。又近く、寄せて貰います。*(晴れ)*