Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

東京五輪及び障害五輪準備は大丈夫か?

2016-08-22 13:55:53 | 社会・経済

今日の当地愛知は、朝方の晴天から一転、昼前から怪しい空模様になって来た。報道では同じ頃 接近中の台風第11号が、千葉・房総半島辺りに上陸した模様と伝えている。首都圏ではかなりの交通網に、飛んで北海道方面では大雨の、それぞれ影響が出ている様だ。大過ない事を祈りたい所である。

さて本題。前回、スポーツ報道家 為末 大さんの、日本のスポーツ選手が、競技結果が伴わなかった場合、必要以上に謝罪しがちな問題につき言及されていた事に触れたが、今日に至って、某野党政治家の、メダルを巡る不穏当な言動に接したので、あらましをご報告しておきたい。

それによると、件の言動は「銀メダルとは『敗者のメダル』であり、闘いに負けた者に与えられるものだ」として、本来「金」に次ぐ地位であるはずの「銀」の名誉を甚だしく傷つけ、貶めるものであるのは間違いない様だ。これで、為末さんが問題視されていた「謝罪を強要する勢力」の一端が、少しだが見えて来た様に思う。その勢力とは、全力で長らくの修練を乗り越え、全力で試合に臨み、全力を尽くしても結果を引き寄せられなかった闘士の挑戦心を挫いて代表を担う国の地位を貶め、その事を面白がる、歪んだ心理を持つ連中だ。更に言えば、前回も触れたが、五輪の様な国際試合で、表彰台に日章旗が数多く揚がり、国家「君が代」が繰り返し斉唱される事を快く思わない勢力であろう。本来なら、我国に存在してはならない連中の事だろう。

今回、その事も一定関連して来るのだが、続く2020=平成32年に開催予定の、歴史上二度目の東京五輪及び同障害五輪についてである。既に、予算面や主会場の設計不備など、かなり多くの問題が指摘され、小池新東京都知事も、五輪準備等については、しっかりとした見直しや検討を約束されてはいる。しかしながら、設備面や資金面以外でも、色んな問題がありそうだ。交通問題もその一つ。例えば、東京都心と、競技エリアの台場とを結ぶ交通アクセス問題では、現行の新交通システム「ゆりかもめ」だけでは対応不可能と言われ、鉄道線の増設が不可避との話も聞いた。これに絡んで、某発言者が「現行鉄道線の電車を、オール二階建て化すれば、五輪の交通問題は解決する」などと、小学生でも口にしない絵空事を喚いていた。バカか?

そもそも「電車を二階建てにすれば、輸送力が倍増する」などと言う見方自体がアホバカである。二階建て鉄道車両は、素人でも分る様に「1+1が2にならない」当たり前である。二階建ての、所謂ダブル・デッカーバスでもそうだが、車体下半分は、運転台や前後輪、それにエンジンや走行系を備えるスペースが当然必要で、標準車体のバスよりも、四割程度の定員が増やせれば上出来の様だ。電車でも同じ事。両端の走行系の上は、二階式にできないのは当たり前。更に、電気モーター動力を動かす為の、諸々の機器を備えるスペースもそれなりに必要で、全部を床下に収められる訳ではない。その為、編成中で二階建てにできない車両が、どうしても一定生じる。だから「全二階建ては輸送力二倍」にはならず、良くても「五~六割増し」なのである。一応有識者と呼ばれる人物の認識がこのザマでは、「困る」を通り越して「恥ずかしい」。又、その事を知っていて、放送電波に平然と載せた、民放局の見識も疑われる。

もう一つ、二階建て車両は、乗降りが楽にできない、乗降性に劣る所がある。何故か?まず、二階席への乗降りは階段の昇降を要し、特に高齢者、傷病者、妊産婦の各位には辛いと言うのは容易にご理解頂けよう。実は、一見無関係そうに見えて、一階席にも関係があるのだ。それは・・・。鉄道車両には、高さの限界が法令で定められていて、全高は4m10cm以内でなければならない。この高さでは、車両の走行系の間の高さを下げないと、二階建てにできない。その場合、ラッシュなどに有効な、多くの乗降ドアを設置できない事になる。つまり、走行系上の二ヶ所のみになると言う事だ。これで、一段と乗降りが厄介になり、反って混雑に拍車をかける事ともなりかねない。オール二階建て列車の構想を喚いていた人物は、これらの事共を全く蔑(ないがしろ)にしている。改めて、そのアホバカさ加減には言葉を失う。

実は、首都圏の鉄道網の多くを担うJR東日本は、このオール二階建て列車の事で大失敗を経験している。確か平成初期の頃だったと思うが、多くの乗客が座って通勤通学ができる様にと、オール二階建て10両編成の電車の大量導入が計画されはしたが、乗車実態と合わないなどで広まらず、少数の配備に留まった経緯がある。又、オール二階建てでは車両の運転範囲が狭められるマイナス面があり、これが元で、昼間は余り有効に運用されていない様だ。こうした負の面も顧慮し勘案して、五輪などの交通政策は、綿密に立案を願いたい。杜撰なアイデアしか持たない様な輩では、人件費とアイデア料の無駄だろう。

他にも、色々乗り越えるべき課題があろうし、五輪組織委そのものにも、芳しくない所がある様だ。それらの改革や見直しが大変であるのは分るが、小池新知事には、この様なお粗末な認識もある事を把握頂き、強い姿勢で必要な所を糾す様、くれぐれもお願いしたい所。今回画像は、岐阜・中津川市郊外の、中央西線の模様。紹介中の、渡辺貞夫さんの今回楽曲は「つま恋」下記アドより視聴可能です。

https://www.youtube.com/watch?v=u7wXMGtPQas

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日本人の挑戦心を守れ~為末見解に思う事

2016-08-20 20:48:21 | スポーツ

ブラジル国、リオ・デジャネイロでの五輪夏季大会が佳境の様だ。我国代表も善く健闘、獲得メダル合計は、分っているだけで計40を数え、更なる上積みの可能性もある。好結果は大いに喜ばしい一方、我国選手代表各位が毎回悩まされる、困った事共もある様だ。この問題につき、元陸上選手 為末 大さんが、ネット上に見解を表されたので、引用しながら考えて参りたい。

《日本選手は なぜ謝るのか》 ----------------------------------------------------

「現役時代にあまり気がつかなかったが、引退してすらミックス・ゾーンにメディア側として立って、あらためて感じたのは日本選手のインタビューの特異さだ。成績が悪かった時の米国選手が、自分なりの敗戦理由と次目標を語るのに比べ、涙を流しながら『期待に応えられず申し訳なかった』と謝罪し続ける選手を見ていて胸が苦しかった。

日本の選手のインタビューは似通っていると言われるが、私はその一端に、この謝罪の要求というのがあるのではないかと思う。負けた原因を分析したら言い訳と批判され、純粋な感覚を表現すれば負けたのにヘラヘラしていると言われる。選手にとっては競技をすることが一番大事だから、変なことで社会から反感を買いたくない。結局、一番問題が起きにくい謝罪一辺倒の受け答えになっていく。

選手に謝罪を要求することの弊害が2つある、と私は考えている。1つは、五輪という舞台で選手が一体どう感じたのかという、その瞬間にその人しか語れない言葉にふたをしてしまう可能性があるということだ。勝ち負けを超えて、世界の頂点の舞台で感じたことや、やろうとしたことを聞けるのは、社会にとって大きな学びとなるはずだ。

もう1つは、この国から挑戦心がなくなってしまうことだ。彼らは長い間トレーニングをしてきて、挑戦をし、勝ち抜いて代表になった選手たちだ。その選手たちの挑戦の部分を評価しないで、最後の結果だけで批判をする。そうなれば子供たちも社会も、挑戦することをやめていく。

一体どの程度の割合で批判をしている人がいるかというと、私はごく少数ではないかと考えている。私を含め多くの人は挑戦自体が素晴らしいし、一生懸命やってきたのは自分なんだから、自分の気持ちを素直に出せばいいと感じていると思う。

日本はこれから厳しい局面を迎える。超高齢社会を迎える中で、挑戦できる人たちが自分らしく挑戦をしていかないと生産性も高まらず、国が衰退していく。結果は運だが、挑戦は意思だ。挑戦をするという意思を持って厳しいトレーニングをし、その場に立った(のである)。結果の前にそのことをまず尊敬し、そこから姿勢を学ぼうとする社会であってほしいと私は思う」(引用ここまで)。

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この見解を、皆様はどうお感じになりますか?俺視点では、一部の不良な姿勢を改めようとしない輩の為に、為末さんが指摘された、熾烈な修練を経て世界の大舞台に立った我国代表の選手各位が、僅差でも順位を落としたりすれば、すぐ非難される様な空気ができてしまっている様に感じられてならない。

余りの邪推は控えようと思うが、こうした向きは、どちらかと言えば煽情的な二流以下のメディアにいそうな気がする。又、夏場特有の事だが、頭のおかしな輩が何人かいて、代表選手各位に、無益な謝罪をさせようと画策しているのかも知れない。あくまで想像だが、そんな挙に出ても、我国の国益や国民市民の福利には何ら結びつかず、ただの自己満足に終始する低級な出方であろう。その為に、我国の挑戦心が低下したら、手を叩いて喜ぶのはどこの国のどいつらか、一度頭が悪いなりに思考でも巡らしてみてはどうか。

ヒントとしては、我国選手が勝利を収めると、必ず揚がる国旗たる日章旗、斉唱される国家 君が代を快く思わない勢力と無関係ではない様な気がするのだが。

もう一つ、為末さんが指摘された脅威的な問題が超高齢化だ。これには当然、超少子化が伴う。つまり、出生数が低迷したまま、総人口が激減する公算大と言う事だ。現実的観測として、我国の総人口予測は、今世紀半ばには1億を確実に割り、以後今世紀末には7000万人代、来世紀途中でほぼ半減すると言われる。最悪、日本の独立自衛が叶わなくなる恐れもあるのだ。

現に、後期高齢層を除き、対女性人口で若干上回る男の生涯未婚率はとうに二割を超え、三割を窺うと言う指摘もある。これも、挑戦心を持ちにくい世のあり様が影響しているのは間違いない。政治資金疑惑への対応もそうだろう。軽度なものにまで、重罪の様に騒ぎ立て、引責謝罪要求一辺倒では皆挑戦をやめ、国自体が衰退してしまいかねない。それが嫌なら、好結果が出ないからと言って、徒な謝罪要求などとてもできない現実を、もっと見据えるべきだ。何よりも、先の大戦にまつわる「戦争と平和」の問題で、我国の一方的侵略だったとの、容共特亜に偏った、自虐史観を招いた一方的偏向教育と報道が、抜本的に糾されねばならないだろう。

為末さんのご見解は「一事が万事」である事を主張されている様に感じる。「自由と平和」は所詮理想だが、希望が持てそうな良さげな事を言っておいて、実態が全く伴わない理不尽な非難ばかりでは、それは聞かされる方はやる気をなくし、後に続く者も現れまいて。困るのは、これら非難を繰り返す一部勢力の情宣が上手く、さも多数意見の様に、巧妙に見せかける事が多い所だ。やはり出所は不良メディアと思わざるを得ない。我々は、この様な不良言動に、くれぐれも惑わされない様注意しながら、全力で戦ったスポーツ選手や、より国益を考える政治家諸氏と向き合って参りたいものである。

今回画像は、先年のもので恐縮だが、岐阜の悪友の地元近く、瑞浪市内を行くJR中央西線貨物便の様子を。沿線の稲にも色がつき始めた、今頃の時季のものです。何だかだと言っても、昔も今も、米は我々日本人の活力源ですね。紹介中の、渡辺貞夫さんの今回楽曲は「ポゴのテーマ」 下記アドより視聴可能。

https://www.youtube.com/watch?v=rkiXhz--DMI

 

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覚えておきましょう 米政府高官の憲法発言

2016-08-18 11:06:44 | 国際・政治

秋の気配だろうか、今日の当地愛知は時折時雨(しぐれ)る、不安定な空模様だ。今までが猛暑続きだったので、一息つけると言えばその通りだが、短い間に雨量が増すと水害の恐れがある。近年でも、2000=平成12年9月の東海豪雨に伴う広範囲な水害は、まだ記憶に新しい所かも。これから増える、台風の至近での通過に伴う影響にも、注意を新たにして参りたい。

さて本題。太平洋の向うの米合衆国にては、今秋予定の次期大統領選に向けての動きが盛んだが、その内、立候補中の米民主党のクリントン前国務長官を応援中の、バイデン副大統領が、我国の日本国憲法制定の経緯につき、注意すべき発言をされたので、触れて参る事にしたい。

丁度我国の終戦記念日に当たる、合衆国日時8/15、バイデン副大統領は、クリントン候補応援遊説の席上、対日戦後処理に少し言及、「平和志向の日本国憲法は、戦後の我国が、原爆を初めとする核武装や、核戦争を起こす事を防ぐ為に、合衆国側が制定した」との説明をされたもの。まあ我国サイドからすれば「本音が出たな!」との風情もするのだが、この言動は、かなりの所で実態を反映していると見て良いだろう。

これにつき、我国外務省は「当時の国会に当たる、旧帝国議会にて、十分な審議の上で制定施行したが、進駐軍の一定の影響下であった」事までは認めている。恐らく実態はそれ以上だったろうが、これは、同省での、中国大陸への外交的配慮と、所謂「チャイナ・スクール」と言われる親中国大陸派への気兼ねからと思われる。しかし、昨今の「大陸」による、尖閣諸島への脅威の行動を見れば、こんな中途半端な配慮は、余り役に立っていない様に思われてならないのだが。

広く知られている様に、凄惨を極めた、先の大戦の敗戦後処理は、マッカーサー将軍(当時)率いる米合衆国進駐軍GHQの主導により進められた。その折に、戦後憲法草案策定は、我国の専門家にもその相当の所に関与の機会があったも、結果的にはGHQのまとめた草案により、現憲法が制定されるに至った。聞いた所も含まれるが、当時のGHQ執行部は容共勢力の影響が強く、この連中は旧ソ連邦や中国大陸の上部とも通じていた様だ。日本国憲法は、こうした勢力の強い影響下で制定されたと想像され、個人の尊重や、より自由意思に任せる基本的人権の認知範囲が広がったのは良いが、その反面、我国固有のあり様に有害な、共産勢力を野放しにするなどの弊害も多くあった。今、天皇陛下がご高齢と健康不安を理由に、法制の裏付けを伴う上でのご退位の意向であると聞くが、これに反対する一理由が、これら「皇統否定を標榜する」左派共産勢力との対決の必要からと言うのは、何とも痛ましい限りである。

GHQ執行部は、その後の東西冷戦の進行や、朝鮮動乱の勃発に伴い変節、それまで大きな影響力があったとされる容共勢力を排除する「レッド・パージ」を断行して旧ソ連邦を筆頭とする共産勢力と対峙するに至るのだが、連中の落とし子 日本国憲法は見直される機会を逸し、結局は我が国民市民を、見直しをさせない思考停止のマインド・コントロールに追い込んでしまった。左派容共勢力は、それを「勝利」と喧伝して正当化しているが、どう考えても異常としか言い様がないではないか。

容共左派・特亜勢力が事ある毎に騒ぎ立てる、日本国憲法第9条に指一本触れさせまいとしているのは、本当は、我国の永の平和とか、国民市民の末永い福利の為の国益保全を願っている訳ではない事が、愚かな俺にも分り始めている所。つまりは、我国であらゆる最高権力を手中に収めんと、未だその野望を捨てない、例えば連赤や中核派などの過激分子を含む、左派容共勢力と、一度奪取した利権を絶対に明け渡したくない、特亜勢力の利害の為に「変えさせたくない」と言うのが実態だろう。

憲法とは、立憲制の原則からすれば、確かに国民市民の福利を守る為に、国家権力を正当に規制する事にあるのは事実だが、他方、国家の存在なくしては、ある意味がない決め事であるのも事実だ。まあ「卵が先か、鶏が先か」の議論と似た風情かも知れないが。今、某冊子を入手して、折に憲法を読み返している所だが、やはり安保分野にての、第9条はこのままではいけない。既存の二項だけでは、国家の独立や尊厳と相容れる事はあり得ない。両項の見直しが不可なら、「これらの定めは、我国の独立自衛の為にやむを得ず必要な行為、備えを否定するものではない」との第三項を追加すべきである。こうなれば、それこそ「加憲」を掲げる公明党の出番も少しはあろう。余り目立って欲しくないのも本音だが「本来いてはいけない」左巻き連中よりは、マシではないだろうか。

基本的人権の「財産権」や「刑事被告人の権利」なども、時代の趨勢に見合った見直しが必要だ。これらの「棒読み的」解釈のせいで、かけがえのない、無辜の家族親族を奪われ、深い悲しみのどん底に突き落とされた方々も多い。更に、国会のあり方にしてもだ。財政危機が叫ばれる折、本当に国会二院制が我国にとって健全で有益なのか?有効な審査機能も果たさない参議院は、行く行くは廃止を目指すべきではないか、と言う所も、広く議論して、現憲法の観念に囚われない、望ましい方向性を見出して行く必要があろう。勿論、今日明日の結論を求める拙速も良くない。だが改憲へ向けての議論は、普段から必要。「明日の為に、今からやろう」と言う事だ。

これまで記した事共については、日共や特亜政党、連赤崩れみたいな元過激派や、先日解散した「シールズ」の一派などの様な容共勢力からの妨害があり得る事は承知しているが、「日本はどこまでも日本」の自覚を持って、これからを進みたい所だ。その為にも、バイデン副大統領のご言動は、我々日本人にとり、例え曲りならでも歓迎して良い事だろう。今回画像は、数年前に参った、岐阜・長野県境辺りの、JR中央西線を行くコンテナ貨物便の模様。先導する機関車も、一代前の機材。外装こそ、民営移行後の貨物会社の外装ですが。今となっては懐かし画像です。紹介中の、渡辺貞夫さんの今回楽曲は「ボア・ノイチ(Boa Noite)」 ポルトガル語の挨拶の様ですね。下記アドより視聴可能です。

https://www.youtube.com/watch?v=iA-9s9aX0oo

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「終戦の日」を偲ぶ拙見解

2016-08-16 10:03:09 | 国際・政治

一日遅れで恐縮なのだが、昨日は「終戦の日」。1941=昭和16年暮れから、1945=昭和20年夏までの足かけ四年間で、犠牲となった方々300万余。未だ、海外の戦地から帰国叶わぬ遺骨多数。戦後も、長らく戦傷病の後遺症に苦しむ方々も多い。折しも地球の裏側、ブラジル国 リオ・デ・ジャネイロ市にては、五輪夏季大会が盛会中で、我国選手各位の健闘も光る。

俺視点では、内村主将率いる体操団体の「金」と、テニスの錦織選手の「銅」、それぞれ死闘を制しての奪取劇が最も感動した双璧だが、その礎となった平和が、こうした先の対戦の犠牲の上にもたらされたものである事を、末永く忘れてはならない所だろう。昨日正午には、俺も追悼式に合わせて戦没並びに戦災犠牲の各位への弔意を新たにし、黙祷を行ったものだが、輸送や流通の仕事などでやむを得ない方を除き、国民的な弔意を新たにすべきとも思ったものだ。

さて、追悼式上、今上陛下も触れられていた「反省」の事について一言。これは、「深い反省」であるべき事は分るが、それは真に、我国に非があった所に絞られるべきで、左巻き野党勢力が事ある毎に誘導を図る「無分別な反省」に陥る事があってはならない。そんなあり様は「自虐」であり、本来の「反省」とは区別されなければならない。

最大の一つが、靖国神社の事共だ。習俗的に、古より、少なくとも明治以降、はっきりとした形で、国事に斃れた方々の追悼を目的とする社として、その歴史を積み重ねて来た。折々に、閣僚や国会議員の参拝があると、所謂「特亜」の各国より直ちに非難声明が出されるが、繰り返し丁寧な説明を続けるなど、粘り強く、靖国の存在は、あの様な大戦争に直結するものではない事の、周辺からの理解を得られる様、相応の努力を続ける必要はあろう。傍若無人とも言える最近の中国大陸や、余りにも多くの間違った情宣で、中々正しい理解の得られない大韓民国などを相手に、大変な作業であるのは分るが、それらを乗り越えた先に、本当の平和はあるのかも知れない。又、宗教の異なる外国要人は、どうしても必要なら千鳥ヶ淵墓苑に案内すれば良い。勿論、外国と言えど、心から参拝を望む方々を、靖国は拒まないだろう。それが「八百万(やおよろず)の神」ではないだろうか。勿論この事は、左巻きお花畑勢力が軽々に口にする「自由と平和」みたいな、軽薄なものでは決してないはずだ。

もう一つは、これからの安全保障の事。これは、俺も以前から書いている事だが、現実の平和を守る為には、相応の人員、装備やそれを指揮監督運営する為の組織が必要だ。情勢や状況に応じ、友好的な外国の組織との連携も視野に入れなければならない。それは、最近の沖縄・尖閣周辺での中国大陸関係諸船の不穏な動きや、「北」発射の弾道ミサイルが、我排他的経済水域EEZに着弾した事を見ても分るだろう。海保による、尖閣周辺の画像公開や、「北」の弾道ミサイル対策としての「破壊措置命令」の常時化は、その当然の必要に基づいて執られた対応である。

昨夜の、橋下前大阪市長が主宰の某TV番組にては、不穏な言動で知られる某野党参院議員と、法曹人複数による討論、と言うより口喧嘩が垂れ流しの様に放映されたが、相変わらず「戦争と平和」についての野党の向き合いは粗雑だ。この議員は、最高裁も認めた統治行為論が、個人的に意に沿わないらしく、話題がこの問題になると、議論を妨害して逸らさせようとしていた。挑発も上手い。以前の霞が関官僚勢力の一員だったとの指摘もある。又、安保法制成立時の反対行動の折殴られたなどと、さも被害者を装って騒ぎ立てていたが、まあ「見苦しい」の一言。たまたま与党側の制止の手が当たっただけの可能性もあり、一方的に暴力事件扱いにするのは間違いだろう。まあ放映局が、悪名高い「朝日新聞」の系列なので、初めから話にならないのも事実だが。

こうした傾向が最も強いのが、日共と「特亜」二党だろう。特に日共は、最近の見解でも「靖国は侵略の象徴」などともっともらしく言い立てていた様だ。「特亜」二党の受け止めも、どうせ似た様なもの。三党共、破防法の規定による要監視団体、又はそれに準ずる勢力である事を、我々日本人は忘れてはなるまい。この事は、折々改めて主張して行くつもりだ。

もう一つ、学生などの若手政治組織「シールズ」が昨日付で、表向き解散したとか。「当初の目的達成」とか明快な理由が見当たらず、あれだけ大言壮語を繰り広げて来た割に、その終わりは不明朗なものだった。どうせ日共やその青年部とされる、民青同の傀儡と言われ、その存廃も、上部組織の意向と都合次第と言う所があっただろうから「ただの看板替え」の可能性も「或いは」と言う所だろう。事実、米軍基地問題の続く、沖縄県組織は存続の様だ。この一事を見ても、一見独立系に見せかけ、実は野党の下部組織、との実態が見えて仕方がないのだが。

とまれ、今の野党勢力に、まともに「戦争と平和」を論じる資格はないと見る。それだけに、与党勢力と安倍政権には、決して危険過ぎず、又、決して軽んじられる事のない、適切な外交安保の姿勢方針を強く打ち出して頂く様願いたい。それを貫き、国民市民が健全に応援する事が、長期的には我国の平和と安全に寄与し、「あの様な戦争の再発を許さない世」の実現に繋がると言う事だろう。今回画像は、練習撮影で良く参る、当地中心部の金山公園付近の様子。高層の金山南ビルを背景に、頻繁に行き交う列車の姿を捉える事ができます。紹介中の、渡辺貞夫さんの今回楽曲は「ラヴ・ミー・アズ・アイ・アム(Love Me as I am)」或いは、先の大戦中に出征した方々が、戦の後に見るはずだった世界かも知れません。

https://www.youtube.com/watch?v=KGkYlgemg30

 

 

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リオ五輪の陰で、朝日新聞がした事

2016-08-14 13:19:53 | 国際・政治

南米ブラジル国の旧都、リオ・デ・ジャネイロ市を舞台に、五輪夏季大会が進行中だ。心配された準備不足は、表向きは一応解消された様だし、競技各種目もほぼ予定通り進んでいる様だ。国家財政難及び、主にその理由からの反対世論を収めきれず、大きな事件事故の発生も懸念されたが、現状一応は順調な進行に漕ぎ着けた事、大会関係各位の努力を称えたい。又、絶えず治安に不安が付き纏う国柄の様なので、もし現地へ応援にお越しのご予定あれば、事件事故対応の注意と警戒を新たにして頂きたい。前置きここまで。

さて、毎回世界の注目を集める五輪及び障害五輪のドサクサの紛れて、我国でも面倒な事態が生じているのはご存じだろう。国内問題では、先般の神奈川県下にての、犠牲19人、負傷多数を生じた障害施設襲撃事件が最大級だろうが、我国排他的経済水域EEZに着弾する事態を起こした「北」によるミサイル発射や、中国大陸の海警船や民間船多数による、沖縄・尖閣周辺水域への不当な侵入事件も留意されるべき。これらにつき、前者は、内閣総理大臣判断により、破壊措置命令の常時化を実施。後者は、海保をメインに厳戒態勢の継続努力が続けられている。勿論、前向きの評価をすべきだが、国家的な国際問題である以上は、海上自衛隊の出動を視野に入れるべきだろう。国民レベルで「不当な侵入は、断固斥ける」強い姿勢を、もっと国際社会に明らかにしても良いだろう。

こうした、当然の動きにも反対意見があり、それを一定認知せざるを得ないのが、自由社会の煩わしい所ではあろう。確たる理性と知性に基づく見解は、例え反対側であっても、一定は尊重され、必要なら傾聴すべきではあるのだが、一方的に相手に媚びる様な見方はいけない。耳を貸すのも芳しくない。困るのが、大新聞の様な大手メディアでこの様な手合いが複数いる事。これは、読む、と言うより読まされる側の国民市民にとっては、発言者や発信者を慎重に選んで、見解を聴いたり学んだりする必要が大きくある事を意味する。これの当該が、朝日新聞と一部のTV局などである。

特に朝日新聞の、恣意的とも言える歪曲見解は、古くから問題視されて来た。最近でも、「北」のミサイル発射問題に際し、国際連合非難決議が中国大陸やロシア国の反対で否決された件。我国にとっては憂慮の一件なのだが、日米側の対抗兵器配備に反対する中国大陸の見解を追認する様な姿勢だったし(対抗措置なしでは、「北」のミサイル脅威に我国が一方的に晒される事となるのは当然)、沖縄・尖閣の中国大陸諸船侵入の脅威にしても、安保面での日米連携に、媚中的な反対姿勢を露わにした。更に先日、安倍海造内閣の、閣僚による「終戦記念日」靖国神社参拝につき、米合衆国高官より、慎重な対応を求める見解が発せられるも、その発端は、朝日新聞記者による、誘導的な質問だったとの指摘が寄せられているのだ。

「左巻き」「ぱよぱよちーん」の朝日とは良く言われるが、その危険な偏向姿勢は今に始まったものではなく、遠く1960年代後期、昭和40年代位から目立っていたと言われている。初期の頃からこの問題に注目し、糾す主張をされていたのは、文学者だった福田恆在(ふくだ・つねあり)、江藤 淳、随筆家だった山本夏彦の各位を初めとするグループだった。ただ、所謂「70年安保」問題を控えて、大学紛争が盛んな時期と重なり、当時多数を擁していた、所謂全共闘勢力に力で及ばず、国論を主導できる立場に上れなかったのが遺憾な所ではあった。もしも、福田さん、江藤さんや山本さんが、もう少し後の世代の方々だったら、こうした芳しくない状況を、少しは改善できていたかも知れない。今は、お三方とも故人となってしまわれたのは残念である。しかし・・

残念がってばかりもいられない。こうした、早くから大新聞、特に朝日の不良な思考体質に気がついていらした先賢達の軌跡から多くを学び、糾して我国民市民の利益と幸せに繋げるのが、後に残る我々の務めであろう。話を戻すが、不良報道の元凶 朝日新聞と言えば、日韓間で深刻な外交問題に発展してしまった、所謂「慰安婦問題」の元凶でもあるではないか。しかも、ろくな調査もなしに取り上げた、一個人の証言と言われる言動が、世紀の大誤報を生じ、国連人権委による不良な報告書まで起こさせてしまったのである。これには、我国内に蠢く、反日的な特亜法曹人なども加担していると言われ、「北」による日本人拉致事件共々、その解明をすべきなのだが、実施されるかどうかはまだ不明だ。

それにしても「反日朝日」は、最近だけでも三件も不穏な動きを表している。既に、発行部数は最盛期よりかなり落ちていると言われるし、山梨県など一部の地域では、夕刊配達が不可能となった所もある様だ。ただ、同紙には「全共闘勢力」と言う強い味方がいる。今の60代をメインとする、団塊世代の全てがそうでない事は分っているが、この年代の相当数が全共闘勢力で、それは、安倍現政権の世代別支持のあり様にも表れていると言う。つまり、現政権の世代別支持が最も低いのが60代後半。これは、この世代の全共闘勢力が最多である事とも、見事にリンクしていると思う。

近年活動した若手政治組織「シールズ」が明日付でとりあえず解散すると言う。どうせ元々、日共とその青年組織「民青同」の傘下だと言われ続けて来たが、容共朝日はこのグループにも肩入れしていた様だ。ネットで拝見した所、「シールズは、野党支持の増加にも貢献した」などと寝とぼけた記事を載せていやがった。言わば「左巻きお花畑勢力」の裏側を事実上仕切っていたと言う事だ。朝日経営陣、執筆陣、編集陣のいずれにも、些かも反省の色は見られない。過日、同紙の名古屋支社前で「読むな!見るな!買うな!」の連呼をしていた、ある国粋組織の主張を、国民的に実践すべき時が遂に来たのかも知れない。今回画像は、拙方お勧めの撮影ポイント、JR中央線金山駅北詰の様子。直上をR19の高架が通り、降雨時でも列車撮影ができます。編成の全貌を捉える事はできない為、愛好者の人気は今一ですが。紹介中の、渡辺貞夫さんの今回楽曲は「マルコのサンバ(Samba do Marcos)」下記アドより視聴可能です。

https://www.youtube.com/watch?v=6ZH5AMExQLw

 

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