Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

覚えておきましょう 米政府高官の憲法発言

2016-08-18 11:06:44 | 国際・政治

秋の気配だろうか、今日の当地愛知は時折時雨(しぐれ)る、不安定な空模様だ。今までが猛暑続きだったので、一息つけると言えばその通りだが、短い間に雨量が増すと水害の恐れがある。近年でも、2000=平成12年9月の東海豪雨に伴う広範囲な水害は、まだ記憶に新しい所かも。これから増える、台風の至近での通過に伴う影響にも、注意を新たにして参りたい。

さて本題。太平洋の向うの米合衆国にては、今秋予定の次期大統領選に向けての動きが盛んだが、その内、立候補中の米民主党のクリントン前国務長官を応援中の、バイデン副大統領が、我国の日本国憲法制定の経緯につき、注意すべき発言をされたので、触れて参る事にしたい。

丁度我国の終戦記念日に当たる、合衆国日時8/15、バイデン副大統領は、クリントン候補応援遊説の席上、対日戦後処理に少し言及、「平和志向の日本国憲法は、戦後の我国が、原爆を初めとする核武装や、核戦争を起こす事を防ぐ為に、合衆国側が制定した」との説明をされたもの。まあ我国サイドからすれば「本音が出たな!」との風情もするのだが、この言動は、かなりの所で実態を反映していると見て良いだろう。

これにつき、我国外務省は「当時の国会に当たる、旧帝国議会にて、十分な審議の上で制定施行したが、進駐軍の一定の影響下であった」事までは認めている。恐らく実態はそれ以上だったろうが、これは、同省での、中国大陸への外交的配慮と、所謂「チャイナ・スクール」と言われる親中国大陸派への気兼ねからと思われる。しかし、昨今の「大陸」による、尖閣諸島への脅威の行動を見れば、こんな中途半端な配慮は、余り役に立っていない様に思われてならないのだが。

広く知られている様に、凄惨を極めた、先の大戦の敗戦後処理は、マッカーサー将軍(当時)率いる米合衆国進駐軍GHQの主導により進められた。その折に、戦後憲法草案策定は、我国の専門家にもその相当の所に関与の機会があったも、結果的にはGHQのまとめた草案により、現憲法が制定されるに至った。聞いた所も含まれるが、当時のGHQ執行部は容共勢力の影響が強く、この連中は旧ソ連邦や中国大陸の上部とも通じていた様だ。日本国憲法は、こうした勢力の強い影響下で制定されたと想像され、個人の尊重や、より自由意思に任せる基本的人権の認知範囲が広がったのは良いが、その反面、我国固有のあり様に有害な、共産勢力を野放しにするなどの弊害も多くあった。今、天皇陛下がご高齢と健康不安を理由に、法制の裏付けを伴う上でのご退位の意向であると聞くが、これに反対する一理由が、これら「皇統否定を標榜する」左派共産勢力との対決の必要からと言うのは、何とも痛ましい限りである。

GHQ執行部は、その後の東西冷戦の進行や、朝鮮動乱の勃発に伴い変節、それまで大きな影響力があったとされる容共勢力を排除する「レッド・パージ」を断行して旧ソ連邦を筆頭とする共産勢力と対峙するに至るのだが、連中の落とし子 日本国憲法は見直される機会を逸し、結局は我が国民市民を、見直しをさせない思考停止のマインド・コントロールに追い込んでしまった。左派容共勢力は、それを「勝利」と喧伝して正当化しているが、どう考えても異常としか言い様がないではないか。

容共左派・特亜勢力が事ある毎に騒ぎ立てる、日本国憲法第9条に指一本触れさせまいとしているのは、本当は、我国の永の平和とか、国民市民の末永い福利の為の国益保全を願っている訳ではない事が、愚かな俺にも分り始めている所。つまりは、我国であらゆる最高権力を手中に収めんと、未だその野望を捨てない、例えば連赤や中核派などの過激分子を含む、左派容共勢力と、一度奪取した利権を絶対に明け渡したくない、特亜勢力の利害の為に「変えさせたくない」と言うのが実態だろう。

憲法とは、立憲制の原則からすれば、確かに国民市民の福利を守る為に、国家権力を正当に規制する事にあるのは事実だが、他方、国家の存在なくしては、ある意味がない決め事であるのも事実だ。まあ「卵が先か、鶏が先か」の議論と似た風情かも知れないが。今、某冊子を入手して、折に憲法を読み返している所だが、やはり安保分野にての、第9条はこのままではいけない。既存の二項だけでは、国家の独立や尊厳と相容れる事はあり得ない。両項の見直しが不可なら、「これらの定めは、我国の独立自衛の為にやむを得ず必要な行為、備えを否定するものではない」との第三項を追加すべきである。こうなれば、それこそ「加憲」を掲げる公明党の出番も少しはあろう。余り目立って欲しくないのも本音だが「本来いてはいけない」左巻き連中よりは、マシではないだろうか。

基本的人権の「財産権」や「刑事被告人の権利」なども、時代の趨勢に見合った見直しが必要だ。これらの「棒読み的」解釈のせいで、かけがえのない、無辜の家族親族を奪われ、深い悲しみのどん底に突き落とされた方々も多い。更に、国会のあり方にしてもだ。財政危機が叫ばれる折、本当に国会二院制が我国にとって健全で有益なのか?有効な審査機能も果たさない参議院は、行く行くは廃止を目指すべきではないか、と言う所も、広く議論して、現憲法の観念に囚われない、望ましい方向性を見出して行く必要があろう。勿論、今日明日の結論を求める拙速も良くない。だが改憲へ向けての議論は、普段から必要。「明日の為に、今からやろう」と言う事だ。

これまで記した事共については、日共や特亜政党、連赤崩れみたいな元過激派や、先日解散した「シールズ」の一派などの様な容共勢力からの妨害があり得る事は承知しているが、「日本はどこまでも日本」の自覚を持って、これからを進みたい所だ。その為にも、バイデン副大統領のご言動は、我々日本人にとり、例え曲りならでも歓迎して良い事だろう。今回画像は、数年前に参った、岐阜・長野県境辺りの、JR中央西線を行くコンテナ貨物便の模様。先導する機関車も、一代前の機材。外装こそ、民営移行後の貨物会社の外装ですが。今となっては懐かし画像です。紹介中の、渡辺貞夫さんの今回楽曲は「ボア・ノイチ(Boa Noite)」 ポルトガル語の挨拶の様ですね。下記アドより視聴可能です。

https://www.youtube.com/watch?v=iA-9s9aX0oo

コメント
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