焼いたお餅を両手で引っ張ると長~く伸びる。
意外に長く伸びて、「おおっ」と言わずにいられないぐらい伸びると、どうしても黙っていられなくなって、「ホラ、こんなに」
と人に自慢したくなる。
たまたま餅を引っ張ったら長く伸びただけの話なのに、それを自慢に持っていくところがよくわからない。
引っ張り方に特殊な技術があった、とかよく伸びる餅を見分ける能力があった。
とか、そんなことならその人の功績、あるいは手柄ということになるのだが、そういうものはどこにもない。
オクラだってトロロ芋だって、伸びて粘るからウケるんだ。
伸びることへの願望、粘ることへの憧れがあるからこそ餅が伸びたりすれば嬉しく思い、その喜びをみんなで分かち合いたい。
納豆も伸びる。
そして粘る
だが納豆の場合はこれまで述べてきた「伸びる」「粘る」とはちょっと傾向が異なる。
納豆の場合は、混ぜれば混ぜるほど伸びて粘る、という本人の努力次第というところが違う。
本人の功績、手柄というところが違う。
最近は手柄が立てにくい世の中である。
明治、大正、昭和と日本男子の本懐は立身出世であった。
故郷に錦を飾る、仰げは尊しわが師の恩であった。
身を立て、名をあげ、やよ励めよ、であった。
卒業進学就職などフレッシュマンたちの季節の変わり目。
平成のお父さんたちは、納豆に手柄を求めるのであった。