酒場などで話すとき、立場の違う3人というのが一番無難なようだ。
1人が話してるとき、他の2人はその人の話を聞いているからだ。
たいてい雰囲気は穏やかで平和だ。
これが10人になると誰か1人の話をみんなが聞いている、という状況にはなかなかならない。
あっても最初の3分間ぐらいだろうか。
じきに隣同士の数人づつに話題が別れ、改めて眺めてみると、この10人がひとところに集まる必要はなかったんじゃないか、と気がついたりする。
酒場に限らず、おばさん集団の恐怖の巨大声のエンドレス会話ほど怖いものはない。
おばさん語法がなぜあのようにうるさいのか。
フレミングの左手の法則があるように、おばさん語法にも毅然とした法則がある。
まず第一の法則は「おばさんの話はいったんはじまると止まらない」
それに密接する第二の法則は「おばさんの話には起承転結がない」
つまりダブルでストップ機能がついていないのである。
このため周りにいるおばさんたちは、話が終わるのを待っていられないから、その話に突如介入する。
「そうなのよ、だからわたしのところなんかはね」などという介入だ。
しかし問題は「そうなのよ」と言いながら、全然今の話の話題を引き継いでいない。
そしてその新規介入話は第一の法則を継承する。
つまり止まらない。
したがって第三の法則は「おばさんの話はエンドレスである」
であり恐怖の第四の法則は「おばさんは疲れを知らない」
ということである。
おばさんの会話には未来があるのだろうか。
何か喋っているような水仙
今日もどこかでおばさんの法則が限りなく続いている。