我々成人男子は赤飯とは縁が薄い。
滅多なことでは赤飯を食べない。
おそらく一年に一回か二回、ゼロという人もいるに違いない。
お盆なので母が赤飯を炊いた
余ってももったいないので、冷えきった赤飯を食べる。
冷えきった赤飯は硬い。
ほんの一口取り上げようとしているのに、予想通りの抵抗にあい周辺一帯が密着して離れようとしない。
ここで大抵割り箸が折れる。
ここで大体怒りがこみあげる。
甘くみたのがいけなかった。
と反省し、新たな決意をもって慎重に箸を突入させ、慎重に掘り起こし、ようやく一口分を取り上げて口に入れる。
ゴマ塩の味が懐かしい。
ゴマ塩があって、初めて赤飯の味は生きる。
こうしてみると赤飯といのもなかなかいいもんだね。
ということになり、これからはときどき赤飯も食べてみようという気持ちになる。
そう思ったはずなのに、次の機会はなかなかやってこない。
一年や二年はすぐ経ってしまう。
たまには赤飯を食べようという気になるはずなのに、そうならないところが「赤飯の不思議」である。
滅多なことでは赤飯を食べない。
おそらく一年に一回か二回、ゼロという人もいるに違いない。
お盆なので母が赤飯を炊いた

余ってももったいないので、冷えきった赤飯を食べる。
冷えきった赤飯は硬い。
ほんの一口取り上げようとしているのに、予想通りの抵抗にあい周辺一帯が密着して離れようとしない。
ここで大抵割り箸が折れる。
ここで大体怒りがこみあげる。
甘くみたのがいけなかった。
と反省し、新たな決意をもって慎重に箸を突入させ、慎重に掘り起こし、ようやく一口分を取り上げて口に入れる。
ゴマ塩の味が懐かしい。
ゴマ塩があって、初めて赤飯の味は生きる。
こうしてみると赤飯といのもなかなかいいもんだね。
ということになり、これからはときどき赤飯も食べてみようという気持ちになる。
そう思ったはずなのに、次の機会はなかなかやってこない。
一年や二年はすぐ経ってしまう。
たまには赤飯を食べようという気になるはずなのに、そうならないところが「赤飯の不思議」である。