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研修会のまとめ『学芸員の仕事』

2012年03月24日 | ボランティア活動のこと
先日、ボランティア研修があり、美術館の学芸課長のレクチャーを受けた。以下はそのメモをまとめたもの。テーマは『学芸員の仕事』

学芸員は英語でcurator(キューレーター)と言う。これはラテン語のcurare(保護する)を語源とする言葉だ。curareは今日のcare(世話をする)やcure(治療する)の語源とも言われ、学芸員も、まさに作品や史料を管理し、保護する役割を担っている。

学芸員の仕事は様々あるが、今回は「展覧会の実施」と「文化財レスキュー」の2点について紹介。


1.展覧会の実施

通常、展覧会の準備は3~4年前から始まるが、本日は展覧会直前の準備について。

作品の搬入:学芸員の管理の下で、専門業者による搬送が行われる。
 各々の作品はクレートと呼ばれる箱に梱包された上で搬送され、美術館の収蔵庫に一旦保管される。

クレート(crate)外観(参考写真)
 クレートは木製で作品より一回り大きく、内部は四隅にウレタン材が装着され、それに嵌め込む形で作品が梱包され、移動。
 その際、作品にはデータロガーと呼ばれる温湿度記録装置が装着される。これにより、貸し主の美術館は、貸し出した作品の置かれた環境を、記録データを元にトレースできる。
 またクレート表面には、搬送時のクレートの傾きをチェックするティルト・ウォッチや、衝撃をチェックするショック・ウォッチが装着される(写真を見たところ、シール状の物で、傾きや衝撃があった場合に、そのシールの色が変わるようだ)

 《着衣のマハ》のような特に重要な作品は、二重に梱包するダブル・クレートで搬送される。

 損傷や盗難等のリスク回避の為、作品は幾つかの便に分けて搬送される。

シーズニング:何もせずに、収蔵庫に24時間保管する。これは作品を新しい環境に慣らす為の措置。急激な環境(温湿度)の変化で結露が発生する危険性もあるので、それを予防する為でもある。

③テーブルに乗せ、梱包を解く。

④貸し主の美術館から帯同したクーリエ(受け入れ先の美術館や民間委託の)修復家による作品の点検:作品の現状を記録したコンディションレポート(作品調書)を確認しながら、作品を細かにチェック。その際に損傷が見つかれば、クーリエが応急処置を行う(因みに「プラド美術館展」の際には、プラド美術館から5人のクーリエが帯同)

作品を壁にかける:作品の額縁に釣り金具、壁面にフックを取り付け、作品を壁に掛けるが、その際、跳ね上がり防止リングも装着して、地震による落下や盗難に備える。

 「プラド美術館展」の際、出展されたゴヤ作《着衣のマハ》は低反射ガラス使用の為かなりの重量があり、パワーリフターを使用して作品を持ち上げ吊り下げただけでなく、重さ受けの台を壁面に取り付け、作品を下支えした。 

 版画・素描の展示では、展示室内の照度を抑える。その為、作品が鑑賞者には見づらくなる恐れもあるので、壁面の色を暗くするなどして、相対的に作品が明るく見えるよう工夫する。

 因みに通常美術館では、油彩画の場合、照度は100~200ルクス以内、版画・素描は50ルクス以内に抑えられている。「プラド美術館展」ではプラド美術館側の求めにより、さらに油彩画が150ルクス、版画・素描は40ルクス以内に抑えられた。

 なお、日本の美術館では、展示室内の温度は20~22度、湿度は50~55%に保つよう管理されている。

 以上のように、作品の搬入及び展示において、学芸員は作品の安全を守り、その状態を常にチェックし、展示室の照度にも気をつけるなど、細心の注意を払う。


2.文化財レスキュー

「文化財レスキュー」とは、博物館や美術館の収蔵史料や作品が、天災や戦争等により危機的状況に置かれた際に、それを救済する措置である。これは文化庁の呼びかけで、以下に挙げたような様々な団体が協力して行う。
 
 ・国立文化材機構(国立博物館)
 ・文化財・美術関係団体
 ・全国美術館会議:60年前に発足した任意団体で、国内の約360館の公私立博物館・美術館が加盟。その事務局を国立西洋美術館に置き、会長を西美館長が務めている。

 文化財レスキューは、1995年の阪神・淡路大震災で実績を残した。1998年には災害レスキューの要綱を作成。これに則って、昨年の東日本大震災で被災した博物館・美術館の支援も行っている。

 東日本大震災では、過去の阪神・淡路大震災での経験を踏まえた地震対策のおかげで、地震による作品への直接の被害は少なかったが、津波による被害が甚大であった。

 地震発生直後から文化財レスキューは現地の被害状況の調査を開始した。

 津波による被害の大きかった宮城県石巻文化センター。被災前は周辺に民家が密集する地域だったが、現在は殆どの木造家屋が津波に流され、写真のような状態になっている。

 石巻文化センターには、地元出身の木彫家、高橋英吉の作品をはじめ、毛利コレクション、絵画、出土品などの考古資料、漁具や農具などの民俗資料などが収蔵されていた。

 一見無傷に見える石巻文化センターだが、地震直後の津波により1階部分のガラスは全て破損し、天井部分まで冠水した。さらに土砂と共に近隣の製紙工場からパルプ材も流れ込み、1階の収蔵庫や資料室に保管されていた収蔵品の多くが冠水し、泥とパルプ材が付着するなどして破損した。さらに、民具の一部は流出してしまった(2階の展示室にあった木彫作品等は幸いにも冠水を免れ、免震台の上に乗せてあった為、地震の揺れからも守られた)

 この窮状を救うべく、全国の公私立博物館・美術館33館から70人の学芸員が現地に赴き、地元東北の人々(東北芸術工科大の教員及び学生、民間修復家、東北大学のボランティア等)と共に収蔵品の救助活動を行った。

<活動状況>

4/20-22  がれきの撤去
4/26~  収蔵庫の作品の取り出し
4/27-   収蔵品の記録・梱包・搬出
4/28   絵画・彫刻・素描212件、約700点を石巻から仙台へ移送
     宮城県美術館の機材倉庫で一時保管
4/30-5/28 応急処置:付着物の除去→
     油彩画は表打ち(油絵の具の剥離を防ぐ為に、薄めたヤマトのりでティッシュペーパーを画面に貼る)、裏面のクリーニング、殺菌・防かび剤の噴霧の後、6月まで乾燥させた。
     素描作品は急激な乾燥を防ぐ為、束のままラップで覆った。
     
その後、大学や国立西洋美術館で本格的な修復を行った。

 同じく被害が甚大だったのが、岩手県陸前高田市博物館である。ここは2階の天井部分まで冠水し、収蔵品の被害だけでなく、職員全員が死亡及び行方不明になる等、人的被害も大きかった。さらに、救済が遅れた為、収蔵品のカビ害が、他館以上に深刻であった。

 そこで岩手県立博物館を中心に、全国の公私立博物館・美術館19館、計404人のスタッフが、陸前高田市博物館の救援作業に携わった。

ナショナル・ギャラリー収蔵品が疎開したウェールズ採石坑
 文化財レスキューは古くは第二次世界大戦でも、ヨーロッパの主立った博物館、美術館で行われた。

 戦禍から収蔵品を守る為、ロンドン・ナショナル・ギャラリーはウェールズの採石坑(写真)に、ルーヴル美術館はロアール川沿いのシャンボール城へと避難させた。ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》は実に6回も場所を替え、避難させている。

 また、イタリアのアカデミア美術館では、移送が困難な大型彫刻作品をレンガのシェルターで覆った。国立西洋美術館の松方コレクションも、当時の管理人の日置コウ三郎が、パリ近郊のアボンダンに疎開させた。

以上

【感想】

 企画展実施直前の知られざる学芸員の仕事が垣間見えて興味深かった。梱包材であるクレートは一般に木枠で作られた物を指すようだが、貴重な文化遺産である美術作品を梱包する際にはより細心の注意が払われていることを、今回のレクチャーで改めて知った。

 展示作業でも、作品の保護に努めつつ、鑑賞者への細やかな心遣いも忘れないところに、学芸員が単に研究者としてだけでなく、作品と鑑賞者の橋渡しの役も担っているのだということを感じた。

 そして、その技量は「文化財レスキュー」と言う形でも発揮され、緊密な支援体制で被災した多くの収蔵品を救っていることに、感動を覚えた(ホント、思わず涙腺が緩んだ)。私達一般の人間も、募金と言う形でその支援に参加できる。今後、博物館や美術館で被災地支援の募金箱を見かけたら、できる限り寄付したいと思う。

 当初1時間の予定が1時間半近くに及ぶほど熱意のこもったレクチャーで、貴重な学びの機会を得られて良かった。感謝!


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