Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

予測可能?

2008-01-23 | 想い・雑感
「あーした てんきに なあーあれ」
と言いながら
履いている靴をポーンと足から放り出す
落ちた靴が裏返ったら雨
 表を向けば晴れ
  横を向いたら曇り
と決めて明日の天気を占う
なんてことを子供の頃やっていた記憶がある
まあ予報なんてその程度のものだという意識があったのだろう
自然と密接なつながりのある職業人は
それよりもずっと高い確率で翌日の天気を当てていただろうが
相手は自然
そんなに正確さを求めても無理だろうと思う

ところが最近では
天気予報が少しはずれると
お叱りの電話やメールがかなりやってくるらしい
昔に比べて随分と予報的中の確度が高くなっていると思うのだが
それでも許せないらしい
そういう人たちは
自然現象はすべて把握可能であり
データから予測もできると考えているのかもしれない

多くの気象データを高性能コンピューターに入力し
多くの予測式を総合して
天気予報を行っているのだろうが
現在データとして取られていない要因が
気象に影響することだってあるだろう
予想につかう計算式が
実際の動きを必ずしも正確には表現できていない面もあるだろう
自然というのは要因が多すぎて
そのすべてを把握できるわけが無いのである

人の体も同様である
自然というものを人間と対峙して考えるむきもあるが
人間も自然の一部である
その体の中に自然が具現化されているのである
複雑な化学変化が
体の隅々で起こっており
そのすべてが統合されて
今私たちは生きているわけである

基本的に医療というのは
人体から得る様々なデータを分析して
統計的によさそうだということをやっているわけで
ある個人にとって
絶対良いかどうかについて
完全な保証があるわけではないのである
個人の体の中で起こっているすべてがわかる分けないのだから
それは当然である

しかし人体に起こることに
予期し得ないことがある
ということを許せない人たちがおり
それを糾弾することが正義だと思っている人たちがいる

やはり現代人は
自然とあまりにも乖離した生活をおくりすぎているのだろう
人類は自然を飼いならしていると勘違いしているのだろう

お名前は忘れたが
東京大学の地震学者で
しゃべる途中で声が裏返っているように聞こえる外国人が居る
そのひとが
「地震の予測なんてデキマセェーン」
というと人は笑ってしまうが
自然を相手に研究をすれば
わからないことのほうが多いということが
実感として わかるのだと思う