Podium

news commentary

ヘゲモニー

2023-08-05 14:21:20 | 国際

ロシアのドミトリー・メドヴェージェフ前大統領が、ウクライナに対して戦術核を使うことを躊躇しないと強硬な発言をしたり、プーチン大統領が戦術核のベラルーシ配備をしたり、ロシアはウクライナとそれを支援するNATOに対して、瀬戸際政策じみた脅しを続けている。ロマノフ王朝時代の領土拡大や、アメリカと対峙したソ連邦の記憶に促されて覇権国家を目指しているロシアが、ウクライナに対して核使用に踏み切るのだろうか。

米国も朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争で核兵器の使用を戦略のオプションに入れていた。オプションに入っていただけで、ホワイトハウスがその使用を深刻に検討した記録はない。また、核兵器の使用検討を対外的に公にしたこともなかった。日米戦争の末期、米国はそのそぶりも見せず、広島と長崎に突然、核爆弾を落とした。

いつ落ちてくるのかわからないのがダモクレスの剣の怖いところだ。現在はほご同然になってしまったブダペスト覚書では、ウクライナに対して核兵器による脅しはしない約束になっていた。ブダペスト覚書にはエリツィン露大統領、クリントン米大統領、メージャー英首相がサインした。ロシアがクリミアに侵入する3年前の2011年にプーチン大統領がクリントン氏に、ロシアはブダペスト覚書に拘束されないと語った(The Gurdian, 2023年5月5日)。

ウクライナがロシアに侵略されたのは核を手放したからだ、という説は北朝鮮に対して説得力のある歴史の教訓である。先ごろピョンヤンで行われた休戦70年の軍事パレードでは、キム・ジョンウン総書記、ショイグ・ロシア国防相、李鴻忠・中国共産党政治局委員が壇上に並んだ。腹の一物を隠しながら、笑顔をつくるのは外交の常とう手段である。力を持つ側の外交的笑顔はおためごかしである。弱い方の笑いは追従笑いである。

キム総書記、ショイグ国防相、李政治局員はロ朝中の団結を米国に対して示そうとした。朝鮮戦争の休戦協定は国連軍(実質アメリカ軍)と北朝鮮軍の間で締結された。北朝鮮は米国と平和条約を結びキム一族が支配する北朝鮮の安全な存続確かなものにするために核兵器の開発を進め、米国を交渉の場に呼び出そうとした。トランプ元大統領とキム・ジョンウン総書記がシンガポールで面談したが、話はまとまらなかった。

北朝鮮はいまロシア・中国と結んで、米国の覇権(ヘゲモニー)から身を守ろうとしている。「パックス・ロマーナ」「パックス・ブリタニカ」「パックス・アメリカーナ」などという言葉は歴史の教科書で知った。「パックス・ジャポニカ」構想もあった。日本は、満州・中国、インド、ビルマ、タイ、オーストラリアを含む地域を支配する覇権国家になろうとする大東亜共栄圏を打ち出した。日本のアジア侵略に異を唱えたのがアメリカだった。日本は兵員総数や軍艦総数では米国と大差なかったが、軍用機の総数では米国は日本の2倍以上、米国の国民総生産は日本の12倍、国内石油産出量は日本の28万キロリットルに対して米国は22295万キロリットルと圧倒的だった(山田朗『軍備拡張の近代史』吉川弘文館)。アメリカと戦争を始めても勝てるわけがないと多くのに日本人は思ったようだが、「アメリカの要求に屈服するにせよ対米戦争を挑むにせよ、どのみち日本は亡国を免れないのであれば、敢然と戦うほかない」(麻田貞雄「日本海軍と対米政策および戦略」細谷千博他編『日米関係史 Ⅱ』東京大学出版会)という非論理的な戦略判断をもとに当時の軍国日本は米国と戦争を始めた。

また、パックス・ロマーナほど知られてはいないが、東アジアには中国が率いる「パックス・シニカ」の時代があった。

その中国は清王朝の末期の諸外国の干渉や、その後の国民党軍と共産党軍の内戦が終わって、毛沢東の晩年になったころ、米国と日本と国交を結んだ。

1972年の米中上海コミュニケでは「いずれの側も、アジア・太平洋地域における覇権を求めるべきでなく、他のいかなる国家あるいは国家集団によるこのような覇権樹立への試みにも反対する」と言明した。同じ年の日中共同声明でも「両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」と表明した。

そのころ、中ソの対立はいちだんと険しくなり、中国はソ連の軍事力に脅威を感じていた。中ソ国境は7000キロ以上もあり、ソ連も中国を安全保障上の問題としてとらえていた。この頃のソ連の防衛費の2割が中国の脅威にむけて支出されていた(Bruce Russett, The Prisoners of Insecurity, NY, W.H.Freeman)。中ソが武力衝突した珍宝島(ダマンスキー島)事件は1969年の出来事だった。

したがって、「このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」という文言はソ連に向けられていた。

中国は1960年代に原爆実験と水爆実験に成功して核保有国になったが、日本ではまだ中国の核兵器に脅威を感じる一般人は少なかった。ソ連と対立していた中国もソ連の核に不安を感じていたのだろう。1972年ころ、総合的な核戦力では米国がソ連を上回っていた。

その中国が今や、軍備を増強し、一帯一路構想を唱えて世界に進出し、かつての東アジアにおけるパックス・シニカを世界に向けて拡張し、戦狼外交を唱えて、アメリカを追い越してヘゲモニー国家になろうとしているように見える。因果はめぐる火の車ということか。

(2023.8.5 花崎泰雄)

 

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力、現状変更、そして維持

2023-07-29 20:50:41 | 国際

2023年版『防衛白書』には、こんなことが書き込まれている。

  • ロシアがウクライナを侵略した軍事的な背景には、ウクライナがロシアによる侵略を抑止するための 十分な能力をもっていなかったことがある。
  • 高い軍事力を持つ国が、あるとき侵略という意思を持ったことにも注目すべきだ。
  • 脅威は能力と意思の組み合わせで顕在化する。意思を外部から正確に把握するのは困難である。国家の意思決定過程が不透明であれば、 脅威が顕在化する素地が常に存在する。
  • このような国から自国を守るためには、力による一方的な現状変更は困難であると認識させる抑止力が必要である。相手の能力に着目した防衛力を構築する必要がある。
  • 日本国の今後の安全保障・防衛政策のあり方が地域と国際社会の平和と安定に直結する。

以上は『防衛白書』をつくった側の論理の一部である。くわえて、軍備増強のために特別に予算の割り当てを増やしましょうと告げられた防衛省首脳が、いやいや、低賃金にあえぐ労働者や、学校給食が生存の頼りになってしまった学童たちを救うために、そのお金を回して下さい、ということは、まず、ないだろう。

ウクライナがロシアからの軍事侵略を抑止できるだけの軍事力を持てば、その軍事力自体がロシアにとって脅威となる。これが安全保障のディレンマである。隣国を刺激しない、ほどほどの抑止力とはどの程度の軍備をいうのだろうか。ソ連終焉にともないウクライナは領内にあった核兵器を放棄した。その代わりに米・英・ロシアがウクライナの安全を保障するブダペスト覚書を作成した。ウクライナの安全を保障した国の一つであるロシアがウクライナに侵攻した。軍事大国はどんな理由で侵略に走るのか。かつての日本帝国はなぜ真珠湾に奇襲をかけ、アメリカと戦争を始めたのか。一言で言えば、あの当時の日本の権力層の「雪隠の火事」、つまりヤケクソな気分だった。

自民・公明による日本の安全保障政策は、将来の核廃絶を視程に入れつつ、当面は米国の核の傘の下にとどまるという奇妙な論理に拠っている。岸田政権が唱えている防衛力増強は、日本国を米国の属国のような存在にしている米国の核の傘から出るための軍事力強化ではなく、核の傘の中で米軍を支援し擁護するのが目的である。「全ての者にとっての安全が損なわれない形での核兵器のない世界という究極の目標に向けて、軍縮・不拡散の取組を強化する」(広島G7コミュニケ)という言い回しは空念仏である。

 

国家としての意思を外部から知りがたい国は中国・ソ連・北朝鮮である。この3か国に侵略を思いとどまらせだけの抑止力はどの程度の軍費によって保障されるのだろうか。これらの国が、日本や在日米軍基地に対して核攻撃を始めれば、収拾のつかない国際的な騒乱になる。米国が核による報復を開始すれば、北半球は壊滅状態になる。米国が核で報復しなかったら、米国の核の傘は破れ傘となって、米国主導の安全保障体系はひび割れる。

このようなSF小説もどきの白昼夢はさておき、力による一方的な現状変更に反対するのは、中国の競争相手である米国の論である。韓国―日本―台湾―フィリピンをむすんで中国を囲い込むラインは、第2次世界大戦の結果として生じた。第1次世界大戦の結果、エーゲ海のトルコ沿岸の島々がギリシア領になったように、第2次大戦の結果、太平洋は米国の池になった。それを中国が東に向かって力で押し戻そうとするのを米国は好まない。中国の論理から言えば、力による一方的な現状維持は、これまた不愉快きわまりないのである。

じゃあ。どうする? 浅学非才の筆者には手に余る問題である。頼みの綱は国会議員の諸氏である。度重なる外遊で国際感覚を身に着け、外国の諸賢人と深く付き合って知識を深めているはずの議員各位にお願いする。選挙区であいさつ回りする時間を割いて、北海道でもいい、軽井沢・蓼科でもいい、どこか涼しいところできちんとした本を読み、諸賢人同士で安全保障を論じてもらいたい。議員報酬は税金から出ているのだ。

(2023.7.29 花崎泰雄)

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ゼレンスキー

2023-05-21 00:51:51 | 国際

5月20日、G7広島サミットに、ウクライナのゼレンスキー大統領が姿を現した。ビデオ・メッセージではなく、ご本人が広島まで旅をして、生身の参加である。参加国・招待国・関係機関が賑やかに議論をしているはずの首脳会議としてはどちらかというと沈滞気味だったプログラムの進行がこれでにわかに活気づいた。

G7のメンバーは北米のアメリカ合衆国とカナダ、欧州のフランス、ドイツ、イタリア、イギリスと極東の日本である――別の言い方をすると、NATO構成国と極東の日本の7か国である。ウクライナ問題を語り合うには国連安保保障理事会よりもこの方が便利だ。ロシア・中国という2つの常任理事国が、国連安保理を機能不全にしている。国連では早急な解決方法が見いだせないだろうから、ロシアと中国がいないG7で、開始から1年がたつロシアによるウクライナ侵攻問題の解決の道筋を相談しようとした。

ウクライナ侵攻に関連するエネルギー価格高騰や農産物危機をめぐる経済安全保障、開催地を広島にした理由でもある核兵器廃絶問題、この2つも今回のG7の主要テーマだった。その割には新聞・テレビが伝えるG7ニュースにはニュースらしいものが少なかった。首脳が原爆資料館を訪れたとき、彼らが何を見て、どんな感想を漏らしたか伝えられなかった。アメリカ・イギリス・フランスといった核兵器保有国の首脳は核兵器をめぐる倫理・人道問題を語りたくない。核問題というテーマは開催地・広島へのオマージュに過ぎない。

日本のメディアを見たり読んだりしている人の記憶に残っているのは、厳島神社の鳥居を背景にした首脳たちの記念撮影や、神社を見て歩く姿だけであった。

ゼレンスキー大統領はフランス政府機で広島空港に到着した。軍事侵攻を続けるロシアに対し、反転攻勢への意欲を示すウクライナ。ゼレンスキー大統領はヨーロッパ4ヵ国を訪れたばかりだった。13日には、イタリアでメローニ首相と会談した。14日にはドイツを訪れてショルツ首相会談。その日のうちにフランスでマクロン大統領と会談。15日はイギリスでスナク首相と会談。この時にフランスが政府専用機をゼレンスキー氏の広島行きに提供することで話がまとまった。そのあと、ゼレンスキー大統領夫人のオレナ・ゼレンスカ氏が大統領特使として訪韓。ユン大統領と会った。

反転攻勢が近づいた今、大統領夫妻が各国の支援や、G7の主要国からの武器援助の督促を強めている。米国はNATOのF16の供与で譲歩し、ヨーロッパの国がF16をウクライナに提供することを認め、イロットの訓練の提供を明言した。

NATOは日本に連絡所を開設の予定で日本政府と協議を進めている。米国とその仲間は、北大西洋側ではNATOを使い、西太平洋側ではQUAD・日米安保・日韓協力・核の傘提供国である米国の軍事力を使ってロシア・中国をはさみうちにする新・封じ込め作戦を本格的に展開するようである。

日本の岸田首相は宮島の「必勝しゃもじ」を担いで甲子園ではなく、ウクライナを訪れてゼレンスキー大統領にしゃもじを贈り、G7への参加を促した。宮島しゃもじは冗談ではなく支援の約束ではなかったのかいと、ゼレンスキー氏に迫られたとき、岸田氏は防衛装備移転三原則の縛りのひもを緩めなければならなくなる。

(2023.5.21 花崎泰雄)

                            

 

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反日左派と嫌韓右派

2023-05-12 23:50:08 | 国際

3月のユン・韓国大統領の訪日と、5月の岸田・日本国首相の訪韓で、「徴用工」をめぐる日韓両政府の対立が一時的に棚上げされる方向へ進んだ。今回のあつれきの発端は、韓国大法院が2018年10月30日に「徴用工」に対して損害賠償をするよう新日鉄住金に命じる判決を出したことだった。元徴用工の補償問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」との立場を取る日本政府は韓国に対して反発した。

日本政府の言う「完全かつ最終的に解決済み」とは、「日韓請求権協定によって両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した。その意味は、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということであって、個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできないという意味である」(1991年8月27日、参院予算委員会での柳井俊二・外務省条約局長答弁の要旨)

日韓両国は外交保護権を放棄したが、個人の請求権は消滅させていない。それでいて、日韓賠償問題は完全かつ最終的に解決済み、という論理は理解に苦しむ。そこで日本政府は「韓国との間の個人の請求権の問題については……日韓請求権協定の規定がそれぞれの締約国内で適用されることにより、一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅し、その結果救済が拒否されることから、法的に解決済みとなっている」(2018年11月20日付政府答弁書、衆議院)と説明した。

一方、韓国大法院判決の論理は①原告(徴用工)の被告(新日鉄住金)に対する損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれない②その理由は、 原告が請求しているのは未払賃金や補償金ではなく、「強制動員慰謝料請求権」に基づく慰謝料である③. 請求権協定の交渉過程において、日本政府は植民地支配の不法性を認めないまま強制動員被害の法的賠償を根本的に否定してきた、というものであった

このような見解の違いによる議論のすれ違いは、国際関係ではよくあることだ。そこで日韓請求権協定は、紛争が生じた場合はまず両国の外交交渉で解決を目指し、それでも解決しない場合は仲裁委員会を設けて判断をゆだねるとしているが、外交交渉は一方的な悪意の投げ合い以上の物には進まず、といって、仲裁委員会を開く動きも見せなかった。

岸田・ユン会談について、韓国の『東亜日報』は「今回の首脳会談で歴史問題は正式の議題にも上がらなかった。歴史問題はすでに解決されたという心からの理解と合意の下、未来に向けた協力議題に集中したものと理解される……しかし、これまでの韓日関係史が示すように、歴史問題に対する抜本的な和解がなければ、縫合と葛藤を繰り返すレベルから抜け出すことは難しい。民心の動揺や政権交代にもかかわらず、未来協力の道を続ける関係を構築するには、首脳間の一時的な信頼を越えた両国民間の歴史的和解が必要だ」(東亜日報 5月8日付社説)と書いた。『朝鮮日報』も「ユン大統領と岸田首相は韓国における反日左派と日本の嫌韓右派に振り回されず、未来に進まねばならない」(5月8日、朝鮮日報社説)とした。

『ハンギョレ』は、岸田首相は強制動員被害者に「大変苦しい、悲しい思いをされたことに胸が痛む思いだ」としながらも、政府レベルの反省と謝罪のメッセージは表明しなかった。最小限の「誠意のしるし」として評価できるが、「コップの残り半分」を満たすには依然として足りない……岸田首相は「3月の尹大統領の訪日の際、1998年10月に発表された日韓共同宣言を含め歴史問題に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいると明確に申し上げた」と述べた。「歴代内閣の立場」には「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」という安倍談話も含まれるだけに、これを謝罪とはみなせないというのが大方の見解だ(ハンギョレ 5月8日付社説)と論評した。

日韓基本条約や請求権協定が結ばれたのは1965年のことである。基本条約締結の交渉が始まったのは1952年。条約締結まで14年の歳月を費やした。賠償請求と朝鮮半島植民地化をめぐる歴史問題がネックになった。1965年、米国は北ベトナム爆撃を開始し、南ベトナムに米軍を上陸させてベトナム戦争を本格化させた。インドネシアでは9.30事件が起き、スカルノの親社会主義路線からスハルトの親米路線への転換が始まった。北から共産主義が下りてきて、東アジアの国々を次々と共産主義国家に変えてゆく、というドミノ理論が真顔で語られていた時代だった。米国は日本と韓国が組んで、反共防波堤になることを期待した。韓国は近代国家として独り立ちできる経済力をのぞみ、そのための資金が欲しかった。米国はその資金を日本に提供させようとした。日本も隣国である韓国と正式な外交関係を希望した。このようなどさくさの中で、日本と韓国は「歴史問題」についてのきちんとした議論抜きで条約を結んだ。

そういうわけなので、日韓のいがみ合いはこの先も、何かの調子で炎上し、うやむやのうちに沈静化することの繰り返しになるだろう。

 

(2023.5.12 花崎泰雄)

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白い気球

2023-02-10 01:07:48 | 国際

米国モンタナ州のミサイル基地上空あたりに出現した白い気球のニュースは最近ではめったにない滑稽な話であった。

アメリカでは中国が放ったスパイ気球とみなされた。中国は民間の観測気球がコースをそれたと説明した。

その気球が大西洋に出たとき、米軍はすぐさま最新鋭の戦闘機を飛ばし、ミサイルで気球を撃ち落とした。いま気球の残骸を海から回収し、気球の正体について調査を始めている。

アメリカではモンタナ上空でミサイル関連の電波情報を収集していたという説が出された。上空に気球を浮かべて電子情報を収集するというのはのんびりしたはなしではないか。いやいや、気球に小型核爆弾を忍ばせ、米国上空で運任せに核爆弾を投下することもできるのだぞという脅かしだろうという説も唱えられた。対米戦争中に日本軍が米国に向けて放った風船爆弾の例がある。

気球が運搬する核爆弾という想像には背筋が凍る。核爆弾がどこに落ちるかは運まかせなのだから。

半世紀ほど前、米ソ冷戦真っ盛りのころ、核兵器は地球上につるされた「ダモクレスの剣」だというたとえが国際関係や核戦略の専門家によって唱えられた。ダモクレスの剣は細い糸1本でつるされており、いつ糸か切れてあなたの頭上に落下してくるかもしれない。

白い気球が海上に出るやいなや、それを撃ち落としたアメリカ人にはそのような不吉な記憶があったのであろう。

以上、笑い話ではあるが、これを機にアメリカの軍事・安全保障関係者が「対中核戦略」の練り直しに熱をあげるようになる可能性がある。となると、さしずめ日本もその尻馬に乗って軍備増強をいっそう加速させることになる。笑い事ではあるが、笑っているうちに気が滅入ってくる。

 

(2023.2.10 花崎泰雄)

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年頭所感

2023-01-13 23:42:05 | 国際

ロシアがウクライナに攻め込み、ウクライナを支援する国々たいして天然ガスの輸出を制限し、エネルギー危機が生じた。ついでに穀物危機も。そのさなかに日本では通貨「円」の交換価値が下落し、物価が上昇した。2022年12月の東京都区部の消費者物価指数は生鮮食品を除く総合指数が前年同月比4パーセントあがった(総務省発表)。イギリスの消費者物価指数は2022年12月が10パーセントほどの上昇だった。物価上昇率は英国と比べると日本は低いが、物価指数を算定する商品の選定は国によって異なるので、生活する人の不安感や窮乏感は数字だけではわからない。

そうした中で、日本では物価の優等生である卵まで値上がりした。卵は物価の優等生といわれてきた。食品値上がりのさいも卵の値段だけは変わらなかった。鳥インフルエンザによる卵生産量の落ち込みも理由の一つのようだが、ついに「卵よお前もか」というわけで、これで物価高騰が新しい年の重要テーマの一つとして定着した。

卵の値上がりにひっかけて、夕方の某テレビが卵1つで3人分の親子どんぶりをつくる方法を伝えていた。みじめったらしいアイディアなので見る気もしなかった。卵値上がり、即、卵1つで3人分の親子どんぶりと発想したテレビの送り手の発想の貧困にげんなりしたからだ。

そうこうするうちに、中国が日本人と韓国人を対象にしたビザの発行を停止した。中国のこの措置は、中国を仮想敵国とみなした日本の敵基地攻撃能力構想と米軍との積極的な安全保障態勢の整備にある。つまるところ台湾有事のさいに、米国が日本をお供にしたがえて台湾防衛にあたるという意思を中国に見せつけることで、中国に対する抑止力としようとする日米安保体制強化という脅しに対する中国側の不快感の表れである。

日本国の岸田首相がフランス、イタリア、英国、カナダを歴訪し、米国のワシントンに到着した。すでに日本の外相と防衛相が米国の国務長官と国防長官とワシントンで会合を持ち、日本の適地攻撃能力の獲得と防衛予算の増加で意見の一致を見た。日米の周辺整備はすでに終わっている。

台湾問題の失策は中国共産党の権威失墜にもつながる問題である。習近平政権も神経をとがらせている。習近平政権はコロナ対策で上海市民の強い抗議を受けた。抗議を受けてあっさりとゼロコロナ政策をおしまいにした。対外的には体面を失った直後だ。

日本に対するビザ発行停止は、日本の敵基地攻撃と日米軍事一体化という脅しによる中国抑止に対するお返しである。中国経済あっての日本経済でしょう、日本人が中国に来られなくなったら日本経済はどうなりますか? 中国は黙ってみていませんよ、という脅しである。日本政府に対する脅しであり、中国国民に対する政権盤石のポーズである。

ロシアではプーチンが対ウクライナ戦争を仕切る将軍の首をせわしなくすげ替えている。ウクライナを簡単にひねりつぶすことができなかったプーチン大統領はメランコリックになっている。アメリカではバイデン大統領も機密文書を自宅に持ち帰っていた。トランプ前大統領と同じ失策だ。ブラジルではブラジルのトランプの異名で知られるボルソナーロ前大統領派の群衆が国会議事堂に乱入した。

ブリキの古バケツが空っ風にを受けて、ガラガラと音をた立てて転がりまわっているような、しけた正月風景である。

(2023.1.13 花崎泰雄)

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Hasta la vista ――再見

2022-10-29 23:30:02 | 国際

心が冷える映像だった。

10月22日の第20回中国共産党大会閉幕式で習近平総書記の隣にすわっていた胡錦涛・前総書記が場内の係員に腕をとられて退場を促され、いやがるようなそぶりを見せつつ、習近平氏に向かって短く言葉を発し、李克強首相の方をポンとたたいて、退場した。

気味の悪いTV映像だったが、この政治寸劇の意味するところは、いまのところ、世界のどのメディアも説明できないままだ。

チャイナウォッチャーやペキノロジストの憶測は次の3つに大別できる。

習近平は総書記在任中の10年をかけて中国を米国の覇権に挑戦する強国に育ててきた。将来の政治的競争者になりそうな幹部を反腐敗運動でつぶし、江沢民に近かった上海閥の非力化に努めた。残る競争相手の共産主義青年団については、李克強氏を政治局常務委員から外し、同派のホープだった胡春華も政治局員から降格させた。習近平総書記の一強体制の総仕上げのお披露目が胡錦涛前総書記の共産党大会会場ひな壇上からの剥ぎ取りだった、というのが第1の見方。

そうした習近平のやり方に胡錦涛が身をもって抵抗の姿勢を示したのである、という第2の見方もある。

上記のような生臭い話ではなく、胡錦涛が体調を崩したために、いそいで彼を休憩室に運んだだけのことだ。そういう第3の推測もある。ただ、テレビの映像を見る限り、胡錦涛の隣にいた習近平も、さらにその隣にいた李克強も胡錦涛の体調にはそしらぬ顔だった。椅子から立ち上がって胡錦涛に声をかけるような様子を見せなかった。習近平の指示で、係員に彼を場外に運び出させた。幹部たちは事の成り行きに全神経を集中させる一方で、必死でそしらぬふうを取り繕っていた、ように見えた。

共産党大会終了後の10月27日、習近平総書記は政治局常務委員を引き連れて、陝西省延安を訪れ、毛沢東の旧居などを見学した、と中国からの報道があった。習近平の父親の習仲勲は毛沢東時代に失脚し、16年もの収容所暮らしをした。習近平自身も下放されている。彼は自力で、「太子党」のエースとして総書記のポストを手に入れた。このポストを奪われないようにするためには、毛沢東と並ぶ権威を手に入れなければならない。

 

ジェームズ・フレイザーが『金枝篇』(永橋卓介訳、簡約本、岩波文庫)冒頭で、以下のような興味深い伝承を書いている。

ウィリアム・ターナーが「金枝」という絵を描いている。イタリアの山村にある「森のダイアナ」の聖地である。そこには湖があって、一本の樹が立っている。その木の周りをものすごい形相の人物が、抜き身の剣を引っ提げて昼夜を問わず徘徊している。この人物は祭司であり、また、殺人者でもあった。徘徊する人は自分を殺して祭司の地位を分捕ろうとする侵入者を警戒しているのだ。祭司の候補者は祭司を殺すことで祭司の地位を手に入れることができる。前任の祭司を殺して、新しく祭司となった者は、より強く、より老獪な者がやってきて彼を殺すまでのあいだ、祭司の地位を保つことができる。

(2022.10.29 花崎泰雄)

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ゴルバチョフ

2022-08-31 23:49:16 | 国際

ミハイル・ゴルバチョフが8月30日死去した。

朝日新聞8月31日夕刊1面の解説記事に次のような記述があった。

「ゴルバチョフ氏の評価を巡っては、欧米や日本では『冷戦を終結させ、核軍縮を推進した』と肯定する声が多数を占める一方、ロシアでは『ソ連解体の張本人』という否定的な意見が支配的だ。ソ連解体から続くロシアの国際的地位の低下がウクライナ侵攻を引き起こしたとの見方もある」

ゴルバチョフの評価で、欧米では肯定的、ロシア国内では否定的意見が多いことはかねがね指摘されてきた。だが、次の一文、

「ソ連解体から続くロシアの国際的地位の低下がウクライナ侵攻を引き起こしたとの見方もある」

これは大風が吹けば桶屋が儲かる式の言葉遊びに過ぎない。ゴロバチョフによるソ連の瓦解で、ロシア人は大国の市民としての自信を失い、その喪失感の埋め合わせにロシア・ナショナリズムに溺れ、それをプーチンが権力永続化に利用してウクライナ侵攻を企て、不安になったNATO諸国が防衛費を増加させ、日本の保守勢力が防衛費のGDP2パーセントを声高に叫び、来年度の防衛予算を大幅に増やそうとしている。もとをただせば、世界的な軍備増強の大波はゴルバチョフの改革に始まることになる――といった銭湯的国際政治学に発展する。

ゴルバチョフがソ連の最高指導者になった1985年、ソ連の政治・経済・社会はすでに行き詰っていた。だからアンドロポフがソ連立て直しのための切り札としてゴルバチョフを国家指導者に引きたてたのだ。そもそもソ連はつぶれかけていたのである。

ゴルバチョフとレーガンは1987年にINF(中距離核戦略)全廃条約に調印した。米ソがINF全廃条約に縛られていた30年ほどの間に、中国が中距離弾道ミサイルの配備を着々と進めた。それに怒ったトランプがINF全廃条約の廃棄をロシアに通告した。

核兵器削減と東西冷戦の終結は、ゴルバチョフの主要な政治的功績だが、そうした平和への明るい貢献も、国際政治の闇の中にいつの間にか沈んでしまう。ふりかえると歳月のむなしさが感じられてならない。

(2022.8.31 花崎泰雄)

 

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反古

2022-08-22 00:50:18 | 国際

承前。沖縄返還交渉にあたって当時の首相・佐藤栄作の密使の役を演じたのは、京都産業大学教授・若泉敬だった。

密使役をおえた若泉は郷里の福井県に居を移し、やがて大学も退職した。1994年になって、密使の役割と沖縄核密約について『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文芸春秋)で公にした。そのような密約文書はない、と政府は言った。沖縄の世論は政府の背信行為であると怒った。

佐藤・ニクソンの沖縄核密約問題は、しばらくジャーナリズムの話題になり、1995年にはNHKが若泉に焦点を当てた「沖縄返還・日米の密約」を放映した。密約があったと考える人と、密約はなかったという政府の言を信用する人、この2派に国民は別れた。だが関心は長続きせず、やがて沖縄核密約問題は世間のトピックとしては色あせた。翌1996年に若泉は死んだ。

若泉死去から3年後の2009年になって、故人となっていた佐藤栄作の机の引き出しから見つかったとして、佐藤の家族が秘密文書をメディアに公開した。ここでまた沖縄密約問題が世の中の話題になった。その年に政権が自民党から民主党に移った。

民主党政権の外相に就任した岡田克也が外務省に密約関連の資料探しを命じた。また、外部の有識者で有識者委員会を組織し、調査を依頼した。外務省事務当局の資料探索では、機密文書「合意議事録」は発見できなかったが、佐藤栄作が自宅に持ち帰ったいわゆる密約文書は、若泉の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』にある文書とほぼ同一であることが確認された。

有識者委員会は討議の結果、密約文書は「共同声明の内容を大きく超える負担を約束するものではなく、必ずしも密約といえない」「密約が無くとも別途の方法で沖縄返還実現は合意されたのではないかと思われる」と結論した。

日本の政府は佐藤栄作が残した密約文書の政治的インパクトを弱めようとした。沖縄返還交渉の実務で若泉の相手役をつとめたモートン・ハルペリンが2014年に来日して、共産党が発行する『しんぶん赤旗』のインタビューに応じた。密約は存在し、現在も有効である、とハルペリンが明言したと同紙が伝えた。

「私は、日本国の最高責任者である内閣総理大臣から、『核抜き返還』について米国政府とその最高レベルで公的に交渉するすべての権限を直接に付与されたのである」と若泉は佐藤栄作から密使役を依頼された時の高揚感を『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』に書いている。後藤乾一『「沖縄核密約」を背負って――若泉敬の生涯』(岩波書店)は、若泉は晩年、国家機密を暴露したことの罪悪感、核持ち込み容認という沖縄への自責の念、末期のがんという苦しみに取り巻かれていたと説明する。同書は訪問客が若泉が何かを飲み込んだような気配を感じ、そのあと若泉が倒れ、医師を呼んだが死亡した、と書いている。

密使・若泉が奔走してまとめ上げた密約は「密約」ではなく、密約が無くても他の方法で沖縄返還交渉は合意できた、という有識者委員会の結論を信じるとすれば、若泉の行動は滑稽に見える。一方、若泉の実務的交渉相手だったハルペリンの言葉を信じるとすれば、日本政府は国民に対して嘘をついていることになる。

佐藤栄作の机の引き出しから出てきた密約文書はいまどこに保管されているのだろうか。そこが日本という国の不気味なところである。

(2022.8.22 花崎泰雄)

 

 

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機密文書

2022-08-10 02:21:00 | 国際

米国のドナルド・トランプ前大統領のフロリダ州パームビーチの家をFBIが急襲した。「まるで第三世界の破綻国家の出来事だ。FBIは私の金庫も開けたのだ」と前大統領は怒った。8月9日のニューヨーク・タイムズ紙などの報道によると、FBIのトランプ私邸の捜索は、トランプが大統領退任のさいホワイトハウスから自宅に持ち帰った機密文書を探すのが目的だったという。

トランプ前大統領が自宅に持ち帰った公文書は米国立公文書記録保管局が返却を求めていたもので、15箱に上る量だ。大統領が退任のさいホワイトハウスから機密文書を持ち帰り、その返却をさぼっていたわけだが、ドナルド・トランプという人は、論理構造に人並みをはずれたところがあり、行動様式も奇矯なところが多々見られていたので、いかにもありそうなことに思えた。米国の元首である大統領をつとめ、公務と私事の境界があいまいになっていたのだろうか。それとも、もともとそんなことなど頓着しない人だったのだろうか。

米国政府の公文書管理は日本政府のそれに比べて段違いに整備されている。日米関係を専門にする研究者は、日本の政府の公文書管理の不備に辟易して、もっぱら米国に出かけ、公文書館にこもって記録文書を読む。

日本に長らく住んできた私はこの程度の事では驚かない。かえりみて日本の公文書管理がでたらめなのは、長期にわたる自民党政権の宿痾のようなものだ。

「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核3原則でノーベル平和賞をもらった故・佐藤栄作氏はニクソン大統領と交わした沖縄返還に関係する核密約文書を首相退任のさい自宅に持ち帰っていた。

その文書はニクソン大統領と佐藤首相の署名がある沖縄核機密文書で、日本を含む極東防衛という米国の責任を遂行するためには、米国政府は、日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと沖縄を通過させる権利を必要とする。日本国首相は、そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たす、という内容だった。

この機密文書は、佐藤栄作が官邸から持ち帰った机の引き出しにあったという。佐藤栄作の死後、遺品の整理中に見つかったと遺族は言う。佐藤栄作は1975年に死去。この密約文書を佐藤栄作の次男・佐藤信二氏が公表したのは2009年12月のことである。

沖縄返還をめぐる対米核交渉では、日本の大学教授が佐藤栄作の密使として対米工作をしていた。この大学教授は1996年に死去したが、死の2年前に著書で沖縄の核をめぐる日米密約があったことに触れていた。日本のジャーナリズムは密約問題を話題にし、世間も密約があったらしいと感じていたが、日本の政府はそのような密約はなかったとしてきた。

佐藤栄作の死後三十余間、この機密文書は隠匿され続けたのだった。

(2022.8.10 花崎泰雄)

 

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ペロシ

2022-08-03 23:31:22 | 国際

毛沢東が天安門の楼上から中華人民共和国の成立を宣言したのは1949年の事である。同じ年に毛沢東との戦いに敗れた蒋介石は台湾に渡った。アジアで中国の影響力が拡大するのを恐れた米国は1954年に台湾と米華相互防衛条約を締結した。周恩来・中国首相が台湾は中国の一部であり、台湾への米国の肩入れは許さない、と言明した。米華相互防衛条約が失効した後、米国議会は台湾関係法を成立させ、台湾との連帯を続けた。中国は武力による台湾解放を否定せず、米国は台湾有事のさいの米国の関与についてあいまいな姿勢をとり続けてきた。このような台湾をめぐる米中の変則的な角逐は以来70年近く続いてきた。

今年5月23日 、訪日中のバイデン氏は同日、日米首脳会談後の記者会見で、中国が台湾に侵攻した場合、軍事的に関与するかどうか問われると、「イエス、それがわれわれの責務だ」と答えた。

台湾武力統一がありうるとする中国と、万一の時は台湾を守るとする米中の口争いは、続いてきたが、それが米中武力衝突(戦争)につながると、本気で考える専門家は多くなかった。この程度なら経済力と軍事力で米国を追い上げる中国と、世界の大国として落日の気配を見せるようになった米国の言葉のチキンゲームのボルテージが上がっただけのことで済ませてきた。

ペロシ米下院議長の台湾訪問で中国は米国非難の音量を一気に引き上げた。米原子力空母・ロナルド・レーガンが時を同じくして、ペロシ下院議長を乗せた米軍機の飛行ルート近くのフィリピン沖を航行した。

8月3日の新聞は中国軍が台湾周辺で大規模な実弾演習を計画していると伝えた。中国軍が発表した演習海域が示されていた。台湾を取り囲んで6地域に広がる。ロシア軍がウクライナに侵攻する前の、ウクライナ包囲演習の図を思い出させるような不気味な演出である。

ペロシ訪台によって台湾の安全保障態勢がそれまで以上に改善されるのかどうか、まだわからない点が多いが、おおざっぱに言えば、改善されるという根拠は見当たらない。この秋の共産党大会で三選を目指す習近平国家主席にとっては、微妙な時期に底意地の悪いアメリカ帝国主義の嫌がらせである。ペロシ下院議長は中国に一泡吹かせることができと喜んでいるかもしれないが、中国は苦り切っており、臥薪嘗胆、今に見ていろと、しっぺ返しの機会を狙うだろう。

台湾をめぐる米中の対立に、中国と米国の軍事力がこれ見よがしに前面に現れたのがペロシ訪台の効果である。こうした米中の力の show-off はしばらく続くことになる。台湾有事は日本の有事と、無邪気にさえずっていた日本の小鳥たちもこれを機に、戦争回避の長期的な外交術の錬磨に励むといい。

(2022.8.3 花崎泰雄)

 

 

 

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権威主義的ポピュリズム

2022-06-22 01:55:16 | 国際

何を勘違いしたのか、ロシアがしゃにむに隣国ウクライナに攻め込んで4か月になる。そのせいでアフリカや中東にウクライナ産の小麦が届かず、大規模な飢餓が発生する可能性があると国連世界食糧計画が警告している。ウクライナの小麦はその多くがオデーサの港で船に積み込まれる。穀物輸送船は黒海からボスポラス海峡を抜け、マルマラ海をへてダーダルネス海峡を通過、エーゲ海に出る。オデーサの港はロシア軍が封鎖している。封鎖を解いたとしても周辺に仕掛けた機雷を除去するのに半年はかかる。ウクライナの小麦をルーマニアまで陸上輸送し、ルーマニアで船に積み替える、などのアイディアがこれから国際会議で検討される。ウクライナはソ連時代の1930年代前半にホロドモール(大飢饉)を経験している。スターリンがこれを隠蔽しようとしたため、正確な数字はわからないが何百万人という単位の人が飢え死にした。ウクライナから小麦が届かないことで飢餓が広がる事態は、ホロドモールの歴史的な記憶を持つウクライナ人にとっては、痛恨の極みであろう。

ところで、ボスポラス海峡がマルマラ海に繋がるあたりの丘の上にアヤソフィア(ハギアソフィア)寺院がある。ハギアソフィアは東ローマ帝国時代の6世紀の中ごろギリシア正教の聖堂として建築されたビザンチン建築の傑作だ。オスマン帝国時代にはイスラムのモスクになり、アヤソフィアと呼ばれていた。オスマン朝が瓦解し、ケマル・アタテュルクがトルコ共和国の近代化を推し進める中で、アヤソフィアは博物館に指定された。アタテュルクと彼が率いる共和人民党はトルコの近代化を急いだ。イスラムの伝統を排除し、革新的な世俗化のもとで西欧に追いつく、国家主導による経済の立て直し、などが目標となった。1930年代から1990年代までアタテュルク流の上からの近代化が進められた。トルコの共和主義の核は軍、裁判所、大学などで働く近代的なエリートだった。

現在のトルコ共和国大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンはイスタンブールの低所得階層の地区で生まれ育った。2003年から2014年の首相時代、エルドアンも公正発展党(AKP)も順調に政権を維持した。2016年にはクーデタ未遂事件があったが、エルドアンはこれを機に裁判所、警察などの国家機関、メディアなどに影響力を強め、中間層が豊かになった都市の市民社会に影響力を強めた。アタテュルクに迫るトルコの大政治家と、市井の民は噂した。一方で、イスタンブールなどの反エルドアン派の市民数万人を拘束し、10万人を超える大学関係者やジャーナリストを職場から追放した。

そのエルドアンがもっか苦境に立たされている。理由は経済の行き詰まりだ。今年5月の消費者物価指数は前年比で73.5パーセントの上昇である。2023年には総選挙と大統領選挙が予定されている。エルドアン政権も野党も神経をとがらせ合っている。エルドアンが勢いを取り戻すためには、支持基盤の地方のイスラム人口からの声援が必要になってくる。エルドアンはアタテュルクが博物館にしてしまったアヤソフィアと、イスタンブールのテオドシウス城壁近くのカーリエ博物館を、イスラムのモスクに戻す決定をしている。支持層のイスラム信徒へのサービスである。アヤソフィアはモスクになったため入場料を徴収しなくなった。その代わり女性は、博物館時代には必要なかったベールを着要しなければならなくなった。モスクとして使う時間帯は有名な壁画を幕で覆い、観光客を入れる時間帯にはその幕を開くという。ロシアとウクライナの戦争で、仲介役をしようとするエルドアンの姿勢には、国際的な脚光を浴び、成果が上がればエルドアン人気の追い風になるという魂胆が見え見えである。フィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請をめぐって、エルドアンがクルド問題を持ち出して、両国の加盟に難色を示したのは、イスラム層の支持強化のねらいがある。

ヨーロッパのメディアではエルドアンを「権威主義的ポピュリスト」(authoritarian populist)と評している。ポピュリズムという政治現象は南米で顕著にみられた。百科事典によると、「①労働者や中産階級、一部の上流階級を含む多階級的な支持基盤をもち、②カリスマ的リーダーによって指導され、③反帝国主義,民族主義的イデオロギーを有し、④)農地改革や労働者の保護政策により,大衆の生活水準の向上を企図するが社会の抜本的変革は志向せず、⑤)階級闘争よりも階級調和を重視する点で共産党とは一線を画する,といった特質」が見られる(平凡社『世界大百科事典』)。

ポピュリズムははっきりしたイデオロギーを持つ政治路線ではなく、権力者とその支持層との関係性に焦点を当てた政治現象なのである。「ポピュリズム政治運動は人民の意思を掲げて反エリートの政治運動を進めるが、その概念は稚拙であって、コアの貧弱なイデオロギーに過ぎない」(田中素香「右派ポピュリズム政治とヨーロッパ経済」『比較経済研究』2020年6月)。

 

ここ数年のエルドアンとAKPの政治的退潮は明らかだ。2019年のイスタンブール市長選挙では野党の共和人民党のイマムオールがAKPの候補を破った。エルドアンは選挙管理委員会の監督不十分を理由に選挙のやり直しを求めた。やり直し選挙では共和人民党候補が大差でAKP候補を突き放した。最初の選挙の票差は1万票程度だったが、再選挙では80万票の大差になった。市民はエルドアンの権威主義的態度に嫌気がさしているのだ。共和人民党はケマル・アタテュルクが設立した政党である。

トルコ・ウォッチャーの中には、エルドアンは次の大統領選挙で勝ち目はなく、敗北すれば、在職中の腐敗、警察による何十人もの市民殺害で晩年をトルコの牢屋で過ごす可能だってある、という人が目立つ。エルドアンにどうやって政権を手放させるか、難しい問題が生じる。そんなエッセイを読んだ。Soner Cagaptay, “Erdogan’s End Game,” Foreign Affairs, January 2022だ。韓国の歴代大統領の例もあり、荒唐無稽な予測と退けるわけにはいくまい。

その筆者がエッセイの終わりで、「エルドアンが最初の10年で政治から引退していたとすれば、今日のトルコで、もっと成功した政治家と評価されていただろう。最近10年間のエルドアンの無制限な権力追求が彼自身とトルコを危険な方向へと走らせた」と書いている。

フィンランドとスウェーデンのNATO加盟にクルド問題を持ち出したすのではなく、これ以上のNATO拡大はロシアに無用の緊張感を増幅させる恐れがあり、慎重な判断がのぞまれるとでも言っておけば無難だったのだ。権威主義的ポピュリストはそのような生ぬるい口調を嫌ったのであろう。

 

(2022.5.22 花崎泰雄)

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Slow Boat To China――How far can they go?

2022-06-11 01:04:21 | 国際

今から50年ほど前の話である。1971年7月15日、ニクソン米大統領(当時)がホワイトハウスから全米に向けてテレビで語りかけた。「1972年に訪中する」。このニクソン訪中のTV発表が全米に流れる数分前に、このことを側近から耳うちされた日本の佐藤栄作首相(当時)は「米国の頼みごとはこれまで何でも聞いてやってきたのに」と言ってニクソンの仕打ちに落涙した。Odd Arne Westadが著書 The Cold War  ( Penguin Books, 2017) に書いている。

米国は日本に対してニクソン訪中発表の事前通告をしなかった。ニクソン政権と佐藤政権の間で、沖縄返還と引き換えに日本の対米繊維輸出の制限の約束があったのにもかかわらず、佐藤政権に繊維製品輸出の規制を米側が納得できるほどまで実施する気がみえないことに対する米側の仕返しだった(Marvin Kalb & Bernard Kalb, Kissinger, Dell,1974)。

1972年2月に訪中したニクソンは毛沢東、周恩来らと会って米中関係正常化について語り合った。会談は予定通り順調に進み、2月28日に上海コミュニケを発表した。

その中で中国は①国家はその大小をとわず平等でなければならない②中国はけっして超大国にならないし、覇権主義と強権政治に反対する③各国人民には自国の社会制度を選択する権利があり、自国の独立、主権、領土保全を守り、外部からの侵略、干渉支配、転覆に反対す権利がある④台湾は中国のひとつの省であり、台湾の解放は中国の内政問題であり、他国には干渉する権利はない、などと表明した。

米国は①全世界各国人民が外部からの圧力や介入のない状況のもとで、個人の自由と社会の進歩を勝ち取るのを支持する②異なるイデオロギーをもつ国と国の間の連携を改善して緊張緩和に努力する③いかなるくにでも、一貫して正しいと自称すべきではなく、各国は共通利益のために自分の態度を検討する④アメリカは台湾海峡両側のすべての中国人が中国はただ1つであり、台湾は中国の一部であると考えていることを認識した、などと表明した。

毛沢東が率いる中国共産党が国民党との内戦に勝利し、中華人民共和国の成立を宣言したのは1949年の10月だった。その2か月前の8月に米国務省が『中国白書—The China White Paper』を出版していた。米国は中国内戦において蒋介石の国民党を支援してきたが、米国がつぎ込んだ資金、労力にもかかわらず、国民党はその腐敗によって国民の支持を失い、中国共産党に権力を奪われてしまった。国民党を支持してきた米国政府の中国喪失のドキュメントである。出版の時、国務長官を務めていたディーン・アチソンが冒頭に「送り状」(Letter Of Transmittal)を書き、そのなかで、中国内戦における苦々しい結果は合衆国政府の手の届かないところにあった、と書いた。国務省がまとめた『中国白書』は、中国喪失の原因を蒋介石と国民党にあり、国務省がコントロールできる事柄ではなかったとした。この態度に右派から激しい批判が出された。

181人のアメリカ人(学界、言論界、政界、実業界、教育団体、宗教団体)から、中国人に対するイメージを聞き取り調査してまとめたハロルド・アイザックスの『中国のイメージ』(サイマル出版会、1970年、原著は1958年出版)によると、中国共産党が権力を掌握できた理由を調査対象者に聞いたところ①国民党の腐敗②巧妙な共産党の戦術③アメリカの政策、判断の誤りの順だった。

ところで『中国のイメージ』は含蓄に富んだ調査報告である。著者は調査対象者との面接から、1950年代のアメリカ人の中国人観は「中国人は知能程度が高く、礼儀正しく、有能である」という好意的見方と、「信用できない、軍事的脅威、残酷」といった非好意的な見方が共存していた、と結論した。これは当たり前の話で、外国イメージというものは、時の流れの中でプラスとマイナスを揺れ動くものである。ただ、同書が引用しているジョセフ・オルソップの「中国での忌わしい日々を通じて、中国にいたアメリカの代表者は、積極的に中国共産党に味方した。彼らは国民党政府の、政治的、軍事的弱さの一因となった」という考え方は当時のアメリカの右派政治勢力の胸に響くものがあり、マッカーシズムの「赤狩り」につながった。

マッカーシズムのせいもあって、国務省内の中国通の職員が少なくなり、やがて米国はベトナム戦争の泥沼にはまり、その泥沼から抜け出すために、ニクソンが北京へ行って毛沢東に会うことになる。ニクソンは「赤狩り」のマッカーシーに加担していた。

“Slow Boat To China”というポピュラーソングは1948年に書かれた。”I’d like to get you on a slow boat to China” は勝負に負けたギャンブラーをいたわる言葉だったと言われ、遥か中国行の船旅に出れば船路につれづれのポーカーで運が向いてくるさ、というギャンブラーのジャーゴンをフランク・レッサーが恋の歌にした。もっともこの時期の中国は国共内戦で揺れていて、恋の逃避行のパラダイスではなかった。ポップスのファンにとっては、時事問題など関係なかった。

『中国白書』からニクソン訪中までに約20年、ニクソン訪中から現在まで約50年。毛沢東この間中国社会は毛沢東時代の革命外交、文化大革命、鄧小平時代の社会主義市場経済や先富論、江沢民時代の海外資本進出(走出去)、胡錦涛時代の和諧社会、などの掛け声の下で変貌を遂げた。かつて土法高炉に取り組んだ農村社会が世界の工場と言われる工業社会になり、富を蓄え、軍備を増強した。いま習近平は中華民族の偉大な復興という「中国の夢」を合言葉にしている。

2022年4月21日の朝日新聞によると。中国には1927年に発行された「国恥地図」というものが残っているそうだ。列強によって国土が奪われる以前の中国の領域を示す地図である。琉球群島、台湾、インドシナ半島、マレー半島などが含まれている。長い中国の暦の中で、朝貢や冊封などで関係があった影響圏まで領域に入れた「帝国」の対外観の記憶が図になったのだろう。

「現代中国は清帝国の領域と辺疆を基礎にして、周辺各民族を次第に一つの『中華民族』へと納めていく努力の中で、最後には一つの大きな(多)民族による『帝国』、あるいは『国家』を形成することになった」(葛兆光『完本 中国再考』岩波現代文庫、2021年)。葛の説明と国恥地図と中華民族の偉大な復興、この三題噺にはドキッとするものがある。

中国には省レベルの5つの民族自治区がある。内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、寧夏回族自治区、チベット自治区、広西チワン族自治区である。中国人口に占める漢族の割合はざっと9割。中国国土に占める5自治区の総面積は44パーセントである。米国は新疆ウイグル自治区人権問題を批判しているが、新疆ウイグルの地下には石油と天然ガスの豊富な埋蔵量がある。

(2022.6.11 花崎泰雄)

 

 

 

 

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サウス・パシフィックの潮騒

2022-06-01 17:21:05 | 国際

クアッド(QUAD)の会合で日本に来ていたバイデン米大統領が、5月23日の日米首脳会談後の記者会見で以下のような発言をした。

At a news conference during a visit to Japan, Mr. Biden suggested that he would be willing to go further on behalf of Taiwan than he has in helping Ukraine, where he has provided tens of billions of dollars in weapons as well as intelligence assistance to help defeat Russian invaders but has refused to send American troops.

“You didn’t want to get involved in the Ukraine conflict militarily for obvious reasons,” a reporter said to Mr. Biden. “Are you willing to get involved militarily to defend Taiwan if it comes to that?”

“Yes,” Mr. Biden answered flatly.

“You are?” the reporter followed up.

“That’s the commitment we made,” he said.

(New York Times, May 23, 2022)

 

台湾有事のさいは武力介入する、とのバイデン発言はちょっとしたニュースになった。

米大統領は24日に離日した。25日には中国の王毅外相が予定していた南太平洋諸国歴訪に旅立った。

中国は太平洋に勢力圏を拡大しようとしている。中国は太平洋上に南北3本の防衛線を設定している。第1列島線は日本の九州―沖縄―台湾―フィリピン―インドネシアを結ぶライン。この海域には南シナ海や東シナ海が含まれる。第2列島線は伊豆―小笠原―グアム・サイパン―マリアナを結ぶラインである。第3列島線はハワイ―ニュージーランドを結ぶラインである。

日米太平洋戦争の後、米国は日本の沖縄に基地を構築し、朝鮮戦争で韓国に駐留、台湾と米台相互防衛条約を結び(1980年まで)、フィリピンに米軍基地を持っていた(1991年まで)。西太平洋は、事実上米国の海となった。

一方、21世紀に入って経済力をつけた中国が軍事に資金をつぎ込み、アメリカの太平洋支配圏を東に向けて押し戻そうとしている。この試みがこれら3本の列島線である。中国沿岸部と第1列島線の間にある南沙諸島周辺で中国は海洋埋め立て工事を続け、造成した人工島で軍事基地化を進めている。今回中国外相が訪問した南太平洋の国々は第1列島線と第2列島線の間にある。中国はこれらの南太平洋の国々と安全保障面での取り決めを結びたかったが、どうやらうまく進まなかったようである。

「中国は安全保障関係の強化を含む新たな地域間合意をめざしていたが、複数の国が懸念を示し、安保分野については合意には至らなかったとみられ……オーストラリアの公共放送ABCは30日、外相会議後に取材に応じた在フィジー中国大使の発言として『太平洋側の数カ国に懸念の声があった』」と朝日新聞が5月31日付朝刊で報じた。

安全保障分野での協力をテコに中国がこの海域に海軍の基地を作ることをもくろんでいるのではないかと、オーストラリアは危惧していた。中国はこの秋に共産党大会を開く。そこで習近平総書記の3度目の選出が議論される。中国の南太平洋諸国への接近が功を奏していれば、習近平政権3期目の後押しとして役立ったはずだ。南太平洋諸国の中ではソロモン諸島だけが今年4月に中国と安全保障協定を結んでいる。アーダーン・ニュージーランド首相とバイデン米大統領が5月31日に対策を協議した。

オーストラリアもニュージーランドも太平洋に膨張する中国に不安を感じている。キャンベラの民間シンクタンク Australia Institute が2021年7月に出した資料 “Should Australia go to war with China in defence of Taiwan?” が南太平洋の中国観を示していて興味深いので紹介しておこう。

発表資料によると、2021年6月に603人のオーストラリア人と606人の台湾人を対象にしてオンラインで意見調査をしたところ、以下のような傾向がわかったという。

  • オーストラリア人の62%、台湾人の65%が中国を攻撃的な国であるとみている。
  • 中国からのそれそれの国への武力攻撃について、オーストラリア人の6%がまもなくある、36%がいつかあるという見方をし、台湾人の場合はまもなくあるが4%、いつかあるが47%だった。
  • 中国が攻撃してきた場合、国際的な支援なしに自力で防衛できると答えた人はオーストラリアで19%、台湾で14%だった。
  • 中国から武力攻撃があった場合、米国が武力介入するとみる人は、オーストラリアの場合60%、台湾人の場合26%だった。

歴史の濃淡や物理的距離が異なるオーストラリアと台湾で、現代中国に感じる不安感が同じレベルであることが興味深い。今年2月ごろ、朝日新聞が台湾人の6割が中国の武力併合はあり得ない、という見方だという世論調査結果を報じていた。中国本土と台湾は海峡を隔てて百キロ以上離れているという安心感のせいだろうか。この距離は第2次大戦のノルマンディー上陸の英仏海峡の距離より長い。半面、台湾有事の際に沖縄の米軍が出動した場合、台湾有事は日本有事になるので、米国製の武器弾薬で日本も武力を増強するときだと、声高に叫ぶ安全保障論者がこのところ日本で増えている。かつてのソ連崩壊で我々が北からの核の脅威を感じなくなったように、安全保障にはメンタルな要素がからむ。場馴れしたやり手の政治家たちは、言葉巧みに市井の民の認識を方向づけようとするのである。

(2022.6.1  花崎泰雄)

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核シェアリング

2022-05-24 21:42:52 | 国際

ロシアが2月下旬ウクライナに攻め込んだ。すかさず日本の元内閣総理大臣・安倍晋三が日本もNATOにならって米国との核シェアリングを議論すべきだ、との見解をテレビや派閥の会合で開陳した。現内閣総理大臣・岸田文雄は「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核3原則は国是であり、政府としてそのような議論をするつもりがないことを表明、安倍の挑発には応えなかった。あらかたの野党も安倍の核共有議論を退けた。

安倍の核シェアリング議論の提起は、彼が率いる自民党内の派閥・清和会の党内他派閥の勢力争いと、保守化する日本の有権者の情緒に乗っかって、この夏の参院選で党勢拡大をもくろむ維新の会の戦略だ。だが、海外のメディアは安倍発言を、日本が長年掲げてきた平和主義から離脱する動きであると報道する。Covid-19対策用の不織布マスクの品薄・暴騰にあたって、国民1人当たり2枚のガーゼマスクを用意した「アベノマスク」を「冗談だろ」と海外メディアは冷やかした。一方で、似たような冗談である今回の安倍の核シェアリング発言にまじめに反応したメディアもいくつかある。例えば “Japan turns away from post-WWII pacifism as China threat grows” (CNN、5月22日、電子版)。

日本が米国と核共有を取り決めるにあたっては、両国民の世界観、外交感覚、政権の損得勘定、そもそもアメリカ側に日本と核をシェアする気があるのかといった問題以外に、2つの論理の矛盾をどう克服するかという高い壁に突き当たる。ひとつは核共有と核拡散防止条約の矛盾、次に日本の国会決議に裏打ちされた非核三原則との矛盾である。

核拡散防止条約は次のように取り決めている。

第1条 締約国である核兵器国は、核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者に対しても直接又は間接に移譲しないこと及び核兵器その他の核爆発装置の製造若しくはその他の方法による取得又は核兵器その他の核爆発装置の管理の取得につきいかなる非核兵器国に対しても何ら援助、奨励又は勧誘を行わないことを約束する。

第2条 締約国である各非核兵器国は、核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者からも直接又は間接に受領しないこと、核兵器その他の核爆発装置を製造せず又はその他の方法によって取得しないこと及び核兵器その他の核爆発装置の製造についていかなる援助をも求めず又は受けないことを約束する。

日本は核拡散防止条約加盟国である。核兵器の共有にあたっては、それが「核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者からも直接又は間接に受領しない」に背かないことを説明しなければならない。

ドイツも核拡散防止条約に加盟している。一方で、非核保有国であるドイツはNATOの核シェリング構想の中で、米国から戦術核の提供を受けてドイツ国内の基地に保管している。核の管理は米軍が行い、戦術核使用にあたっては米独が協議し、攻撃目標が決まれば米軍が核をセットし、ドイツ空軍が核爆弾を目標地まで運んで落下させる。

ドイツに加え、ベルギー、イタリア、オランダ、トルコの合計5か国がNATOの戦略構想の一つとして、米国と核シェアリングを行っている。これらの5か国にある6つの軍基地で米国の戦術核爆弾B61を合計100発以上保管している。

NATOの核シェアリングは1950年代に始まった。冷戦期にソ連と向かい合ったヨーロッパでは、NATOの核シェアリング以外の枠組みも入れると1970年ころには7000以上の戦術核弾頭が保管されていた。1950年代に米国の核戦略は「大量報復戦略」だった。大量報復から出発した核戦略論は、ソ連の核兵器開発と競う中で「柔軟反応戦略」「確証破壊戦略」とスコラ的展開をみせた。一時期、核戦略論は国際政治学の花形だった。ソ連邦の衰退と解体をさかいに核戦争の脅威は薄らぎ、国際政治学者とスパイ小説家の失業が始まった。ソ連邦の解体を挟んだ1986-1993年の時期に、5000を超える核弾頭がヨーロッパから撤去された。

ロシア大統領プーチンはNATOの核シェアリングは核拡散防止条約に違反すると主張している。NATOと米国は次のように説明している。核シェアリングは核拡散防止条約が成立する前から行われていた。核拡散防止条約の条文検討にあたっては、その点は十分に討議され、強い異議は生じていない。戦術核兵器を管理するのは米国だけであり、戦争になれば条約の拘束力そのものが消滅する。

ドイツ社会民主党のショルツ首相は核シェアリングに批判的で、NATOの核シェアリング枠組みから離脱の意向を示していた。メルケル政権からショルツ政権への移行にあたって、NATOはショルツ政権の動きを警戒したが、ドイツは当面核シェアリングを持続させると表明した。

さて、日本の場合いま一つの壁がある。非核三原則「持たず、つくらず、持ち込ませず」の「持たず」「持ち込ませず」と「核の共有」をいかに両立させるかが問題になる。アメリカの核兵器を日本の基地で保管するが、それが「持たず」「持ち込ませず」という国是に抵触しないことを論理的に説明することは難しい――世知にたけた政権取り巻きや公務員を総動員して公孫竜の「白馬非馬説」のようなアイディアでも捻り出さない限り。

核シェアリングを実現するためには、非核三原則の廃止を国会で決議しなくてはならない。それよりももっと可能性の高いのは、核兵器で武装した国が近隣あるという現実を考えれば、日本の独立を守る議論は絶対に必要だ――非核三原則はしばらく神棚にあげておいて――という方向へ議論が進むことだ。そのような非論理的で情緒的な議論を好む日本人は少なくない。非核三原則を提唱した佐藤首相が、沖縄返還交渉に関連する核撤去交渉で、非核三原則はナンセンスだったと当時の米国大使に語ったという文書が米国に残っている。政治家は油断ならないご都合主義者なのだ。

最後に共有している核兵器をどこで使用するかという問題が残る。米国が共有のために提供する核兵器は、NATOと同じレベルの戦術核兵器にとどまるだろう。戦術核兵器は運搬距離500キロメートル未満とされている。日本の周囲は海である。ミサイルに乗せようが、飛行機で運ぼうが、攻めてきた国までは届きにくい。戦術核兵器は日本に攻め込んで来た敵軍団の頭上で爆発される。米国と共有する戦術核をもっぱら日本国内で使う可能性があるわけだ。

(2022.5.24 花崎泰雄)

 

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