昨年のいまごろPodiumにビリー・ホリデイのことを書いた。2015年はビリー・ホリデイ生誕100年だった。今年は稀代のジャズ・ピアニスト、バド・パウエルのことを書こう。2016年の今年はバド・パウエル没後50年にあたった。
1960年代の前半、日本の街のあちこちにジャズ喫茶があった。店内には高性能のアンプとJBLなどのスピーカーがおかれていた。当時はまだLP版だったモダンジャズのレコードを聞かせてくれた。普通の喫茶店よりはコーヒーが少々高かったが、長居する客にも嫌な顔をしなかった。
そうしたジャズ喫茶で客からのリクエストが最も多かったLP の1つがバド・パウエルのピアノ・トリオ演奏 The Scene Changes: The Amazing Bud Powell, Vol. 5 だった。曲はすべてバド・パウエルのオリジナル。A面冒頭に “Cleopatra's Dream” が収められていた。「クレオパトラの夢」というロマンチックなタイトル。4分強の演奏の中にバド・パウエ得意のidiom (表現形式)がぎっちり詰まった軽快で美しいメロディー。Blue Note のスタジオ録音盤。その時の録音技師 Rudy Van Gelder も今年鬼籍に入った。
「バドを聞くなら Un Poco Loco だよ」と、ジャズ喫茶のオヤジはのたもうたものだ。そうだ、そうだと同調するマニアも、チャーリー・パーカーにさえ「バドは天才だよ」といわせた、バドの特異な曲想、鍵盤の上に舞う指、力強いタッチ、竜巻のようなパワーに圧倒されて聴きつづけるのが息苦しくなり、人目のないところで「クレオパトラの夢」を聞いて、ホッと一息ついていた。60年代のジャズ・ファンは人前では、流麗なジャズなど歯牙にもかけない風を装った。いまにして思えばあれは悪弊であった。あのころのモダンジャズ・ファンには、そんな、妙につっぱったところがあった。
The Scene Changes: The Amazing Bud Powell, Vol. 5 は1958年の録音で、その後すぐの1959年にバド・パウエルはパリに居を移した。映画『ラウンド・ミッドナイト』はパリ暮らしをしていたころのバド・パウエルがモデルになっている。映画では主人公はサックス吹きで、本物のサックス・プレイヤー、デクスター・ゴードンが演じた。
パリ暮らしのおかげで、バド・パウエルが麻薬と酒から離れて心身の状態を改善させたころのピアノ・トリオの作品 Bud Powell In Paris (1963年パリで録音、1964年発売)が年の瀬のこの小論のトピックである。
アメリカでのバド・パウエルは酒、麻、麻薬、警官との乱闘、留置所、精神病院、精神病治療のための電気ショックといった悲惨な生活の合間に、ジャズと取り組んだ。おそらくバド・パウエルのエネルギッシュな打鍵があのころの若者の心を揺さぶったのも、50-60年代のアメリカのアフリカ系の人々への同情と連帯の気持が底流にあったためだろう。
Bud Powell In Paris のバド・パウエルのピアノの音は、過去の彼の音と吹っ切れている。ロマンチックで、メロディアスで、イージーリスニングである。とはいえ、バドのつむぎだすピアノの音はあくまで、音の一粒一粒が重く、その質量が高い。並みのピアニストでは出せない音である。
このアルバムでの私のお気に入りは “Dear Old Stockholm” と “I Can’t Get Started” だ。
Dear Old Stockholm はスェーデンの民謡で、ストックホルムを訪れたスタン・ゲッツが演奏して評判になった。多くのジャズメンがこの曲をカバーしたが、ほとんどの演奏がシンプル極まりないゲッツの演奏に及ばなかった。ただ、バド・パウエルのDear Old Stockholm だけがシンプルな美しさでスタン・ゲッツのそれに比肩する。
だが、今年の大みそかにその Bud Powell In Paris を聴くのは、8曲目に “I Can’t Get Started” が収められているからだ。
I Can’t Get Started は1930年代のアメリカのミュージカルに使われた歌だ。最初に歌ったのはボブ・ホープだったそうで、ビリー・ホリデイやフランク・シナトラらがカバーした。
歌詞は歌い手によって異同があるが、ビリー・ホリデイの歌詞はこうだった。
I've been around the world in a plane
Settled revolutions in Spain
The North Pole I have charted
But can't get started with you
And at the golf course I'm under par
Metro-Goldwyn wants me to star
I've got a house and a show place
But can't get no place with you
You're so supreme
The lyrics I write of you
Dream, dream, day and night of you
Scheme just for the sight of you
Baby but what good does it do?
I've been consulted by Franklin D.
Robert Taylor has had me to tea
But now I'm broken-hearted
Can't get started with you
まあ、アメリカのミュージカルらしい能天気な歌で、ビリー・ホリデイのイメージには合わない。レスター・ヤングがビリーにつきあってテナーを吹いているが、こちらもあまりパッとしない。
この曲をバド・パウエルは超スローテンポで弾く。本当にバドが弾いているのかと疑いたくなるほどのゆったり感である。バドの右手が奏でるメロディーは原曲の旋律とバドのアドリブがとけあって、聴く人の心を打つ。つまり、あのくだらないアメリカン・ミュージカルの歌詞とは絶縁した美しい音、素直な音、といえばわってもらえるだろうか。
バド・パウエルのピアノの音色に誘い出されるように、今年、いやこれまでの人生で、言い出しかねたこと、あるいはつい言い過てしまったことの記憶が、切なく苦くよみがえってくる。
パリ暮らしで酒と麻薬から遠ざかることはできたバド・パウエルだが、結核にとりつかれ1964年にニューヨークに戻る。帰国後、彼のピアノ演奏は再び評判になったが、無残なことに、バド・パウエルは再び酒びたりになり、立ち直ることができないまま1966年に死んだ。疎遠だったバドの家族にかわってマックス・ローチが葬儀を取り仕切った。マックス・ローチはバド・パウエル畢生の傑作とされるUn Poco Loco でバドにつきあったドラマーである。当時の名の知れたジャズメンを乗せたバンドワゴンを先頭に、ニューオーリンズ風の葬儀の列がハーレムを行進した。道路脇で5000人がバップ・ピアノの天才、モダンジャズにおけるピアノ・トリオの確立者、バド・パウエルを見送った。
真つ白な年は無音を町々に響かせてゐる「何もなかつた」
(『時 小野フェラー雅美歌集』短歌研究社、2015年)