1972年のニクソン訪中による米中関係正常化の始まりは、1971年8月ニクソンが72年2月の訪中を発表するまで極々限られた人しか知らなかった。71年8月のニクソン訪中発表を聞いた当時の佐藤栄作日本国首相は目のくらむような思いだった。訪中発表に先駆けてキッシンジャー補佐官が極秘裏に北京に行き、中国首脳部と交渉をした。キッシンジャーの隠密外交を当時のアメリカのメディアはかぎつけることができなかった。ニクソン訪中発表から実際の訪中までには6ヵ月の準備期間があり、ニクソンが北京に降り立った時、共同声明の大筋は出来上がっていた。
米朝首脳会談のお膳立てでポンペオCIA長官(当時)が極秘裏にピョウヤンへ出かけたが、準備不十分なうちにトランプ大統領がしゃべり始めた。そのお喋りと、大統領側近の高飛車な対北要求に対抗して北朝鮮が会談の中止もありうると語り、米大統領が6月12日予定のシンガポール会談は中止と、北朝鮮の金委員長に手紙を書いたことを公にした。
そのあとすぐさま、米朝双方がその舌の根もかわかないうちに、6月12日にシンガポールで会ってもいい、と焼けぼっくいに火がついたようなことを言っている。
これまでは、政府間交渉は重要外交日程が終ってからしばらくたって、「会談やめだ、やってもいい、交渉には荒波が何度も襲ってきた」などという秘録でしか知りえなかった。外トランプ政権下のアメリカでは、外交の機微にわたる出来事が、米大統領の口と指先で広く世間に同時進行で伝えられている。
こうした型破りな、開かれたアメリカ外交はトランプ大統領ならではの事だろう。専門家に意見を聞いて考える前に、ついつい口が開き、指先がツイッターのキーを打ってしまう個性的な大統領ならではの展開だろう。
アメリカは北朝鮮のICBMが米本土到着前に処理する万全の態勢をまだ整えていないし、北朝鮮はアメリカの対北攻撃を心配している。だから双方が会うことを決意した。ICBMと核があったからこそ、アメリカ大統領が会おうと腰をあげかけている。ICBMと核のない北朝鮮だったら、アメリカは歯牙にもかけなかっただろうということを、北朝鮮はよく知っている。核とミサイルが北朝鮮のお守りであり、魔法のランプなのだ。
したがって、体制保障と経済援助が先か、核とミサイルの廃絶が先かという「卵と鶏のどちらが先か論争」に決着はつかない。キューバ危機の回避にあたって、ソ連がキューバから核ミサイルを撤去する見返りに、米国がトルコに配備していたミサイルを撤去するとソ連に約束した。
とはいうものの、援助と核開発の中止の取引が失敗したとトランプ氏とその政権は過去の米政権のやり方を非難しているのであるから、似たような取引はしないだろう。それでいて米国民中のトランプ・共和党支持者を歓喜させる手柄をあげたいのだから、会談失敗→北朝鮮への軍事攻撃開始という脅しが現実のものになる可能性がある。いまのところその歯止めは、朝鮮戦争の記憶である。米軍(国連軍)が中朝国境に肉薄すると、中国人民解放軍が参戦してきた。国連軍司令官だったマッカーサーは原爆の使用をトルーマン大統領に進言した。トルーマンはマッカーサーを更迭した。原爆を使用すれば、朝鮮戦争が半島の局地戦ではなくなるからだ。
さて、北朝鮮との交渉がこう着状態になり(大いにありうる)、それを一気に打破するために米国の大統領が核使用を含む北朝鮮への軍事攻撃を決意した時(トランプ大統領は何度も繰り返し口にしている)、いったい誰が米大統領を更迭することになるのだろうか?
(2018.5.28 花崎泰雄)