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news commentary

春の選択

2021-03-31 00:38:13 | 社会

田村憲久厚生労働相が3月30日、厚労省の職員23人が3月24日に送別会を午前零時直前まで開いていたことを明らかにした。大人数の宴会長時間にわたって開いていたことになり、「国民の皆さまの信用を裏切る形になりました。深くおわび申し上げます」と田村厚労相が謝罪した。朝日新聞の30日付夕刊で読んだ。

報道によると、送別会は介護保険を所管する老健局老人保健課が開いた。老人保健課は30数人の組織で、うち23人が出席した。午後11時まで営業している飲食店を探して予約した。送別会は午後7時ごろから始まり、参加者は順次増えて23人になり、午前零時時直前に終わるまで十数人が残っていた。

田村厚労相氏は、「(花見や歓送迎会、卒業旅行などの自粛をお願いしている役所がこのような失態をさらしたことは大変申し訳ない」「『5、6人(の会食)も控えて』と国民の皆さんにお願いしているにもかかわらず23名という非常に多い宴会、これは許されない」と言葉を強めた、と朝日新聞が伝えた。

新型コロナ対策は難しい。一般市民の健康を守ろうとすると経済活動の足を引っ張る。経済活動を第一に考えると一般市民の感染者が増える。

経済重視なのか、防疫優先なのか。いろんな国がいろいろ試行錯誤している。

だが、厚労省の公務員たちの送別の宴はそのようなレベルでの選択によるものではない。送別会は勤め人の春の恒例行事である。去り行く仲間と飲み食い語るひと時を、コロナ対策を理由に中止することはできなかった。日本の勤め人にとっての職場は多くの場合社交の場でもあるから、長らくにわたって維持してきた美風の維持の習慣が、感染拡大の新しい不安に優先したのであろう。

 

(2021.3.30  花崎泰雄)

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縄文人の表現方法

2021-03-23 19:35:00 | 社会

季語研究会3月定例会合で、俳句・俳諧理論の資料として堀切実『芭蕉を受け継ぐ現代俳人たち――季語と取合せの文化』(ぺりかん社)を読み始めた。

同書の冒頭の「はじめに」以下のような記述があった。

「季語」は王朝期からはじまる「自然」と「人間」との一体感のなかから生まれた「文化」であり、俳句の中核をなすキーワードでもある。また「取合せ」も、巨視的にみれば縄文期からうかがえる日本の「文化」の一つであり、俳句の最も有力な表現方法であった。本書の副題「季語と取合せの文化」の由来はそこにある。

同書は「芭蕉から近、現代俳句までを共通の視点で分析してゆこうとする」堀切氏の研究姿勢の総括を図ろうとする評論集だ、と同氏は書いている。その意気込みはよしとしても、「取合せ」が巨視的に見れば縄文期らうかがえる日本の「文化」の一つ、という断定にはうなずけない。「取合せ」は森川許六が主張した発句の作法だが、それを日本の文化の一つとよぶのはおおげさすぎる。

縄文人がどのような言葉を話していたかは不明である。したがって縄文人の文化活動の記録も書きとどめられていない。縄文人の遺物は発掘されたた土器の類、三内丸山遺跡のような大規模集の跡やそこで発見された生存のための器物類だけてあって、俳句につながる日本「文化」の種子のようなものは見つかっていない。

堀切氏の『芭蕉を受け継ぐ現代俳人たち――季語と取合せの文化』は2020年の刊行である。季語と縄文の結びつきについて述べた資料は数少ない。そんななかで、宮坂静生「季語の誕生」(岩波新書、2009)が「季語」と縄文文化の関連について述べている。

季語の起源を縄文人の生活意識から探る。……私は途方もないことを夢想している。季語の起源を平安貴族の歌語からではなく、もっと遡って縄文人 の生活意識から探ることはできないかということだ。(175ページ)

また、宮坂氏は、志貴皇子「岩走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」について、

何回も唱しながら、私がはたと気付いたのは、早蕨の響きである。この歌は志貴皇子の個人詠ではなく、宴の場で唄われたものという。これは個人の声ではないたくさんの地の民の声が集まって、朗々と詠われているのではないか。この声には万葉人許ではなく、もしや遠く縄文人の声の谺も混じっているのではないか、幻想をいだかせる。

おわかりいただけると思うが、日本の文化である「俳句」の技法を古代日本の縄文人の生活にもみられ、縄文人の感性は近現代の日本人に受け継がれているというのは、証明済みの言説ではなく、個人的な仮説、ないしは夢想に過ぎない。それを一巻の書物の前書きで、証明済みの事実であると読まれるように書いたのは失策だった。

(2021.3.23  花崎泰雄)

 

 

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2度あることは3度ある

2021-03-21 23:21:51 | 社会

古代オリンピックはギリシアの神々に捧げる運動会だった。だから、古代ギリシア人は戦争の合間を縫って運動会を続けた。ギリシアへ行って、今では遺跡になっている古代オリンピックの競技場をいくつか見たことがあった。その時、古代オリンピックも都合で何度か中止になったと聞いた。

近代オリンピックもこれまでに夏冬合わせて5度中止になっている。夏季では1916年のベルリン大会、1940年の東京大会、1944年のロンドン大会、冬季だと、1940年の札幌大会、1944年のコルチナ・ダンペツオ大会である。いずれも戦争が理由だ。

2021年の東京大会も早急に中止を決めるのがよいだろう。世界各国でコロナ・ウイルスとの死闘を続けられている最中だ。

(2021.3.21 花崎泰雄)

 

 

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