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下馬評

2024-08-25 00:43:25 | 政治

日本列島は性悪な熱気にとりつかれている。気象庁の長期予報ではこの暑さは9月に入っても尾を引くそうである。9月には自民党の総裁選挙と立憲民主党の代表選挙がある。それが終わるころには、涼風(寒気がするほどの冷風でもよい)が戻ってくれるとありがたいのだが。

8月24日には自民党の石破茂氏が地元・鳥取県の小さな神社で正式な総裁選挙出馬を表明した。同じ自民党の小泉進次郎氏が浴衣姿で夏祭り(多分地元の)にあらわれて小さな(選挙権のない)こどもに媚びを打っている姿がテレビのニュースで流された。小泉氏はまだ正式な総裁選出馬表明を済ませていない。

自民党の総裁選挙には今のところ11人が下馬評にあがっている。8月22日の日経新聞(電子版)によると、同社の世論調査で、23%の回答者が小泉進次郎氏を次の自民党総裁にふさわしいと回答した。18%の回答者が石破茂氏の名をあげた。

この段階で小泉・石破両氏とも出馬を表明していなかった。政治理念や具体的な政策、自民党のモラル向上策について語っていなかった。したがって、日経新聞のこの世論調査は下馬評的人気調査であり、小泉純一郎氏の息子である世襲議員小泉進次郎、「おもてなし」で人気者になったタレントの夫である進次郎氏、環境相在任時に環境対策のプロジェクトはセクシーであると、聞きなれない英語をつかった進次郎氏が、陰陰滅滅な語り口の石破氏より世間に受けているというだけのことである。

一方、立憲民主党の代表選びも泉健太氏、野田佳彦氏、枝野幸男氏が争うことになりそうだ。野田氏、枝野氏のどちらかが代表になれば、次の総選挙で、日本版"カマラ・ハリス効果“を作り出せるのは小泉氏かもしれない。

とはいえ、次の総選挙で自民党は相当な議席減を経験するだろう。自民党総裁の椅子に固執する岸田首相を椅子からはぎとったのは、このままでは次の選挙で議席を失う恐れのある自民党議員たちである。次の総選挙で自民党が2009年の総選挙の時のような大敗に見舞われれば、新総裁は即交代である。公明党や日本維新の会と連立を組むような状況になっても、総裁は責任を問われるだろう。

いま火中の栗をあえて拾うのは誰か、洞ケ峠を決め込むのは誰か。政治記事とは政局解説であると思いこんでいる日本の政治記者たちにとっては、興味深い9月になる。いっぽう「売り家と唐様で書く三代目」の時代を日本は迎えている。なぜこんな政治になったのか? 奥行きのある政治分析をたまには読ませてもらいたいものだ。

(2024.8.25 花崎泰雄)

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8月のたそがれ

2024-08-17 22:38:46 | 政治

岸田文雄首相が9月の自民党総裁選挙に出るのをやめたと記者会見で語った。次の首相を目指す気のないことを明らかにした。8月16日の朝日新聞コラム「天声人語」は「結局、岸田氏は何が最もしたくて首相になったのだろう」と書いた。なるほど。そういう感じを持つ人は少なくない。

岸田氏は何かがやりたくて首相になったわけではない。彼の天地左右なりゆき的なプリンシプルのない状況すり寄り型の政治的言動から、そのことは推測できる。彼は首相になりたかった、だけのことである。岸田氏の父も祖父も国会議員だった。三代目にして大輪の花を咲かせたかった――世襲の業である。世間には政治家の家庭で育った子であるから政治的才覚は自ずと身につけている、と楽観的に考える人がいる。おまかせ政治の風景だ。だが、岸田首相の長男は首相秘書官になって海外出張に出たさい、大使館の車に乗ってお土産品を買い集めていた。

福田康夫首相は福田赴夫首相の息子だ。麻生太郎首相は吉田茂首相の孫だ。安倍晋三首相は岸信介首相の孫だった。朝日新聞が伝える海外の研究によると、日本のGDPは1920年に世界の3.4%を占めていた。戦後の高度成長でそれが8.6%に上昇したが、2022年には3.7%に落ちた。

英国あたりなら政権が野党に移って当たり前の失政だが、自由民主党は少なからぬ有権者から「腐っても鯛」という評価を受けている。野党に政権が移っても世の中がよくなるとは思えない、慣れ親しんだ自民党政権の下でじり貧に耐える方がましだ、と考える人が多い。日本文化には、変化よりもなじみに重きを置く傾向がある。

それはさておき、もっか日本よりはるかに将来が不安なのがイスラエルである。イスラエル軍のガザ市民に対する攻撃は、ベトナム戦争における米軍のふるまいと同じように映像となって世界の家庭に流れている。ハマスの軍事組織を叩き潰すと叫んで、ガザを破壊し、そこに住む民間人、特に子どもを殺傷する行為は世界の多くの市民が批判している。近く停戦交渉の結論が出るようだが、イスラエルに痛めつけられたパレスチナ人の憤りは消えないだろう。汚職問題で裁判沙汰になっているネタニヤフ首相が、自らの保身をねらってガザ攻撃を続けているという見方が世界中で報道されている。停戦交渉を進めているさいに、ハマス幹部のハニヤ氏をイランの領内で暗殺するなど、停戦を嫌がっているようだ。

これだけのことをしてしまった以上、停戦交渉がまとまったとしても、イスラエルはすでに国際的な信用を失い、不快な国家としてのレベルを修復しがたいまでに上昇さた。このダメージを修復するには並々ならぬ努力が必要になるだろう。

自民党が変わる最初の一歩、と高尚な言い回しで憤懣を隠し、総理・総裁レースから身を引くことが許された岸田氏は、追い詰められていた割には運がよかった。

(2024.8.17 花崎泰雄)

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お盆が近づくころ

2024-08-10 21:38:16 | 国際

パリの五輪競技大会と甲子園の高校野球の中継が夏のNHKテレビの番組を埋め尽くしている。そのさなか、スポーツ中継を押しのけて「南海トラフ巨大地震注意」を気象庁が出した。長崎市の平和祈念式典にイスラエルが招待されていないのは政治的な意図によるものだとして、駐日米国大使ら欧米の大使が結束して式典への不参加を表明した。原爆忌にうちあげた三尺玉のようなたいした、びっくり花火だった。

8月6日の広島の式典ではロシアとベラルーシは招待されなかった。イスラエルは招待されたが、パレスチナ自治政府は招かれなかった。式典の主催者である広島市の判断は政治的であるが、駐日アメリカ大使やイスラエル大使は式典に出席した。ロシアは米国と並ぶ核兵器を持つ国家であり、そういう国にこそ祈念式典に参列してもらい、核のない世界への想像力を身に着けるきっかけにしてもらうべきだった、という考え方もありうる。しかし、それは主催者広島市の政治的判断で不可能になった。ロシアが招かれなかったことにロシア大使は不当な政治的判断だと異議を唱えたが、米国大使やイスラエル大使らはなんらコメントしなかった。

9日の長崎の式典ではロシア、ベラルーシ、イスラエルが招待されず、パレスチナ自治区は招待された。平和祈念式典の招待国・地域の選定でこのような違いが出たのは、主催者である広島市と長崎市の政治的判断の違いによるものだ。ロシアやベラルーシと同じようにイスラエルが招かれなかったのは、ウクライナを侵略しているロシアと、ハマスからの攻撃に対して自衛しているイスラエルとを同列に置くことになり、承服できないと米欧の大使たちは出席を見送った。代わりに、駐日米大使、英大使、イスラエル大使の3人が9日東京の増上寺で催された長崎原爆殉難者追悼会に出席する茶番を演じてみせた。

ラーム・エマニュエル駐日米国大使は、イスラエルから米国に移住した医師の息子だ。CNNによると18歳まで米国とイスラエルの2つの国籍を持っていた。とはいえ、エマニュエル駐日米大使がイスラエルの立場を擁護して長崎の平和祈念式典に出席しなかったのは、彼のユダヤ系アメリカ人としての信条・道徳・情緒が影響していると考えるのは短絡である。道徳観が行動の規範になることは、個人の場合は考えられるが、国家はモラルとは関係ないナショナル・インタレストにもとづいて行動する。イスラム世界のまん中にあるイスラエルは、アメリカとそれに与する欧州国家にとって、安全保障の橋頭保であり、核武装を進めるイランをけん制するための武力配備のコーナーストーンである。炭坑の安全を確かめるカナリアのような存在なのだ。イスラエルはアメリカが断固として擁護すべき国であると歴代の米国政府は考えてきた。それをよく知っているから、イスラエルのネタニヤフ政権は米国から軍事援助をうけつつ、米国をいらだたせる身勝手な戦闘行動を行っている。

アメリカ合衆国は国内法(レイヒー法)で、人権侵害に関与している外国の軍隊に対して、合衆国政府が資金援助などを提供することを禁止している。BBCによると、イスラエル軍の部隊で違反行為が見つかったことがあるが、米国政府はその後適切な措置が講じられたとしてイスラエルへの軍事援助を続行している。

ところで、長崎の平和祈念式典をめぐる出来事について岸田首相は、イスラエルを招かなかったのは主催者である長崎市の判断であり日本政府はコメントする立場にない、と表明している。この無気力発言の背後には、平和祈念式典は地方自治体のローカルな催しであるとする矮小化の論理がある。半面、核廃絶は生涯をかけた目標であると岸田首相は公言している。

その一方で、岸田首相は米国の核の傘を何とかもっと確実なものにしようとする拡大抑止の考え方に好意を寄せている。したがって、核兵器禁止条約についは、核兵器のない世界という大きな目標に向け重要な条約だが、アメリカやロシア、中国など、核兵器を保有する国々が参加していないので、日本だけ加わって議論をしても、実際に核廃絶にはつながらないと岸田首相は言う。核廃絶は遠い将来のユートピアンの目標であり、脅しや欺瞞にみち、権力と権力がわたりあう国際政治のジャングルで国家の生き残りを測るには、今後しばらくはリアリストの外交が不可欠であると岸田首相は言う。こうした日本政府のやる気のなさにしびれを切らせて日本のNGOは政府に核禁止条約加盟を迫っている。

日本の自治体が独自に平和祈念式典の招待国を政治的に決めたのは、いわゆる「外交」が政府だけの、外務省だけの専権事項でなくなり始めていることを感じさせる。やがて被爆者追悼・平和祈念式典に日本国首相を招くか招かないかは主催者が政治判断すること――そういう未来を想像すれば、しばしの猛暑しのぎになる。

愚行は時代や場所と関係なく、政治形態とも関係がない。君主政治、寡頭政治、民主政治のいずれも愚行をうんでいる。民族や階級とも関係がない。政治は3000―4000年前からほとんど向上していない。この先も人間は光輝と衰亡、偉大な努力と翳りのまだら模様を縫ってなんとかお茶を濁してやっていけるだけなのかもしれない。そうした人間の悲しさをテーマにしたバーバラ・タックマン『トロイアからヴェトナムまで 愚行の世界史』(大社淑子訳、朝日新聞社、1987年)を拾い読みするお盆(8月盆)が近づいてきた。

(2024.8.10 花崎泰雄)

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