テレビのニュースに東京都知事の石原慎太郎、80歳が現れて、例のごとく神経質そうに目をしばたたかせながら、東京都知事をやめて新党をつくり党首になって次の衆議院選挙に比例区から立候補すると話していた。
石原が都知事をやめてくれるのは都民としてうれしい――後釜に誰が座ろうと、それは石原よりはイデオロギーとファンタジーにのめり込んで夜郎自大の白昼夢を見ることが少ない人物だろうから。ただ、中央政界の火遊びごっこに参入するために、石原が都知事のポストを放り出すことについは道義の面で議論があるだろう。
それで、彼は国会に舞い戻る事が出来たら、そこで何をしようというのだろうか? あるいは何ができると思っているのだろうか。 憲法破棄? 関心集めのための彼の戦術的発言だろうが、もし、新党が政策の正面に「憲法破棄」を掲げたて票集めをしたら、その結果で日本の有権者の政治的成熟度を測ることができるだろう。
それにしても「自民党をぶっ壊す」と言って人気を集めて首相になった小泉純一郎がチルドレンという輩を国会に集めて以来、小沢チルドレンであるとか、のさばる松下政経塾出身者であるとか、世襲議員であるとか、もの知らずの国会議員であるとか、名古屋の減税市長であるとか、Restoration党のオーナーの大阪市長であるとか、このところずうーっと日本終末前の痙攣症状が強まっていた。
それで、今度は石原の都知事投げ出しだ。まるで、遊びあきた子どもがいまやっていることを放り出して、新しく面白そうに見える遊びの方へ駆けていったように見える。
石原にとっては年寄りの冷や水だろうが、このさきもうしばらくは日本で暮らさなければならないこちとらにとっては、年寄りに冷や水を浴びせられた気分だ。
慎みを知らないEgotistsが百鬼夜行する日本になったのである。そういえば10月31日はハロウィーンだ。
(2012.10.25 花崎泰雄)