何を勘違いしたのか、ロシアがしゃにむに隣国ウクライナに攻め込んで4か月になる。そのせいでアフリカや中東にウクライナ産の小麦が届かず、大規模な飢餓が発生する可能性があると国連世界食糧計画が警告している。ウクライナの小麦はその多くがオデーサの港で船に積み込まれる。穀物輸送船は黒海からボスポラス海峡を抜け、マルマラ海をへてダーダルネス海峡を通過、エーゲ海に出る。オデーサの港はロシア軍が封鎖している。封鎖を解いたとしても周辺に仕掛けた機雷を除去するのに半年はかかる。ウクライナの小麦をルーマニアまで陸上輸送し、ルーマニアで船に積み替える、などのアイディアがこれから国際会議で検討される。ウクライナはソ連時代の1930年代前半にホロドモール(大飢饉)を経験している。スターリンがこれを隠蔽しようとしたため、正確な数字はわからないが何百万人という単位の人が飢え死にした。ウクライナから小麦が届かないことで飢餓が広がる事態は、ホロドモールの歴史的な記憶を持つウクライナ人にとっては、痛恨の極みであろう。
ところで、ボスポラス海峡がマルマラ海に繋がるあたりの丘の上にアヤソフィア(ハギアソフィア)寺院がある。ハギアソフィアは東ローマ帝国時代の6世紀の中ごろギリシア正教の聖堂として建築されたビザンチン建築の傑作だ。オスマン帝国時代にはイスラムのモスクになり、アヤソフィアと呼ばれていた。オスマン朝が瓦解し、ケマル・アタテュルクがトルコ共和国の近代化を推し進める中で、アヤソフィアは博物館に指定された。アタテュルクと彼が率いる共和人民党はトルコの近代化を急いだ。イスラムの伝統を排除し、革新的な世俗化のもとで西欧に追いつく、国家主導による経済の立て直し、などが目標となった。1930年代から1990年代までアタテュルク流の上からの近代化が進められた。トルコの共和主義の核は軍、裁判所、大学などで働く近代的なエリートだった。
現在のトルコ共和国大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンはイスタンブールの低所得階層の地区で生まれ育った。2003年から2014年の首相時代、エルドアンも公正発展党(AKP)も順調に政権を維持した。2016年にはクーデタ未遂事件があったが、エルドアンはこれを機に裁判所、警察などの国家機関、メディアなどに影響力を強め、中間層が豊かになった都市の市民社会に影響力を強めた。アタテュルクに迫るトルコの大政治家と、市井の民は噂した。一方で、イスタンブールなどの反エルドアン派の市民数万人を拘束し、10万人を超える大学関係者やジャーナリストを職場から追放した。
そのエルドアンがもっか苦境に立たされている。理由は経済の行き詰まりだ。今年5月の消費者物価指数は前年比で73.5パーセントの上昇である。2023年には総選挙と大統領選挙が予定されている。エルドアン政権も野党も神経をとがらせ合っている。エルドアンが勢いを取り戻すためには、支持基盤の地方のイスラム人口からの声援が必要になってくる。エルドアンはアタテュルクが博物館にしてしまったアヤソフィアと、イスタンブールのテオドシウス城壁近くのカーリエ博物館を、イスラムのモスクに戻す決定をしている。支持層のイスラム信徒へのサービスである。アヤソフィアはモスクになったため入場料を徴収しなくなった。その代わり女性は、博物館時代には必要なかったベールを着要しなければならなくなった。モスクとして使う時間帯は有名な壁画を幕で覆い、観光客を入れる時間帯にはその幕を開くという。ロシアとウクライナの戦争で、仲介役をしようとするエルドアンの姿勢には、国際的な脚光を浴び、成果が上がればエルドアン人気の追い風になるという魂胆が見え見えである。フィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請をめぐって、エルドアンがクルド問題を持ち出して、両国の加盟に難色を示したのは、イスラム層の支持強化のねらいがある。
ヨーロッパのメディアではエルドアンを「権威主義的ポピュリスト」(authoritarian populist)と評している。ポピュリズムという政治現象は南米で顕著にみられた。百科事典によると、「①労働者や中産階級、一部の上流階級を含む多階級的な支持基盤をもち、②カリスマ的リーダーによって指導され、③反帝国主義,民族主義的イデオロギーを有し、④)農地改革や労働者の保護政策により,大衆の生活水準の向上を企図するが社会の抜本的変革は志向せず、⑤)階級闘争よりも階級調和を重視する点で共産党とは一線を画する,といった特質」が見られる(平凡社『世界大百科事典』)。
ポピュリズムははっきりしたイデオロギーを持つ政治路線ではなく、権力者とその支持層との関係性に焦点を当てた政治現象なのである。「ポピュリズム政治運動は人民の意思を掲げて反エリートの政治運動を進めるが、その概念は稚拙であって、コアの貧弱なイデオロギーに過ぎない」(田中素香「右派ポピュリズム政治とヨーロッパ経済」『比較経済研究』2020年6月)。
ここ数年のエルドアンとAKPの政治的退潮は明らかだ。2019年のイスタンブール市長選挙では野党の共和人民党のイマムオールがAKPの候補を破った。エルドアンは選挙管理委員会の監督不十分を理由に選挙のやり直しを求めた。やり直し選挙では共和人民党候補が大差でAKP候補を突き放した。最初の選挙の票差は1万票程度だったが、再選挙では80万票の大差になった。市民はエルドアンの権威主義的態度に嫌気がさしているのだ。共和人民党はケマル・アタテュルクが設立した政党である。
トルコ・ウォッチャーの中には、エルドアンは次の大統領選挙で勝ち目はなく、敗北すれば、在職中の腐敗、警察による何十人もの市民殺害で晩年をトルコの牢屋で過ごす可能だってある、という人が目立つ。エルドアンにどうやって政権を手放させるか、難しい問題が生じる。そんなエッセイを読んだ。Soner Cagaptay, “Erdogan’s End Game,” Foreign Affairs, January 2022だ。韓国の歴代大統領の例もあり、荒唐無稽な予測と退けるわけにはいくまい。
その筆者がエッセイの終わりで、「エルドアンが最初の10年で政治から引退していたとすれば、今日のトルコで、もっと成功した政治家と評価されていただろう。最近10年間のエルドアンの無制限な権力追求が彼自身とトルコを危険な方向へと走らせた」と書いている。
フィンランドとスウェーデンのNATO加盟にクルド問題を持ち出したすのではなく、これ以上のNATO拡大はロシアに無用の緊張感を増幅させる恐れがあり、慎重な判断がのぞまれるとでも言っておけば無難だったのだ。権威主義的ポピュリストはそのような生ぬるい口調を嫌ったのであろう。
(2022.5.22 花崎泰雄)