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news commentary

対コロナ戦争余話

2021-06-27 16:25:43 | 社会

『朝日新聞』6月26日朝刊のオピニオンのページで、佐伯啓思氏が「対コロナ戦争」と題して、日本と欧米の対処の仕方の違いを書いていた。

欧米諸国の多くが、都市のロックダウンなどの強い措置をとった。日本の「自粛要請」とはかなり際立った対照を示していた。

その違いを起点に佐伯氏は想像力の翼を広げた。欧米では「対コロナ戦争」という言い方がされた。コロナ禍の状況とは一種の「戦争状態」ということになる。「コロナ対策」などという生易しいものではない、と佐伯氏は力んで見せる。

欧米では都市封鎖などの私権制限をためらわなかった。私権制限は共同体としての国家を守るということであった。佐伯氏はジャン=ジャック・ルソーやカール・シュミットを引っ張り出して、緊急時の国家権力へと議論を進める。

佐伯氏は言う。「国家社会が安定している平時には、当然、個人の権利は保護される。しかしひとたび国家社会に危機が押し寄せてきた時には個人の権利は制限されうる。国家が崩壊しては、個人の権利も自由もないからである。だから危機を回避し、共同体がもとの秩序を回復するために、強力な権力が国家指導者に付与される。その限りで、指導者は一種の独裁者となるが、その独裁は、危機状態における一時的なものであり、かつ主権者である人民の意志と利益を代表するものでなければならない」。

カール・シュミットによれば、「政治」とは危機における決断なのである。しかし、戦争のような国家の危機という「例外状態」にあっては、部分的には憲法の条項を停止した独裁(委任独裁)が必要となる、と佐伯氏はダメ押しをする。

日本では、国家意識は希薄で、市民意識も欠落している。

そこで、佐伯氏は次のように慨嘆する。

「われわれは、『自粛要請』型でゆくのか、それとも、西洋型の強力な国家観を採るのか、重要な岐路に立たされることになるだろう。『自粛型』とは市民の良識に頼るということであるが、果たしてそれだけの良識がわれわれにあるのだろうか。どうせ国が何とかしてくれると高をくくりつつ、ただ政府の煮え切らなさを批判するという姿勢に良識があるとは思えないのである」。

頼れるほどの良識が市民にあるとは思えない、と佐伯氏は主張する。危機にあっては一時的に指導者の独裁を佐伯氏は是認する。

このあたりで佐伯氏の手品の仕掛けが見えてくる。

日本国の首脳は「良識のない」有権者が選んだ国会議員から選ばれる。菅内閣総理大臣は、良識のない市民の選択の結果である。さて、菅内閣総理大臣に市民を凌駕する良識があり、安心・安全な独裁を委ねられるというエビデンスはどこにあるのか? 「対コロナ戦争」という言葉は単なるレトリックであって、covid-19の処方を誤った政権を見限って、新しく政権を選びなおせばすむ程度の実務的な話なのである。

(2021.6.27 花崎泰雄)

     

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父の日に

2021-06-20 20:10:38 | 社会

2021年6月20日、政府が何度目かの新型コロナ「緊急事態宣言」を解除した。代わりに21日から「蔓延防止等重点措置」が東京都などに適用される。

感染症の専門家たちは「第5波」襲来を懸念している。コロナ対策を担当する政府の西村康稔・経済再生担当大臣は「そういう事態になればためらうことなく緊急事態宣言を発する」と言った。そういうことなら緊急事態宣言を延長すればいいのだが、緊急事態の継続は蔓延防止よりも金がかかるし、何よりも世間体が悪い。

蔓延防止等重点措置では、飲食店の酒提供が認められる。政府の方針では午後夜8時まで、東京都は午後7時まで。飲酒はコロナ蔓延と関係があるとされている。そういうことであれば、飲食店での酒提供には自粛を求め、なぜ家での飲酒や酒造会社の製造に自粛を求めないのか。アルコール依存とは無縁の筆者などは不思議に思う。「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり 若山牧水」

米国は1920年から33年まで禁酒法を施行した。アメリカの禁酒法と聞いて、いま思い浮かべるのは、酒の密造や密売で大儲けをしたアル・カポネのようなギャングと、ギャングを追いかけたFBIの物語だけだ。何年か先には、2020年代の日本の酒自粛運動は、やみくもにオリンピックを開こうとした無知蒙昧な一味と、彼らのよこしまな野心を知りながら「首魁の勝負」を止めきれなかった野党と政府系医療関係者のドタバタ劇として語られることになろう。その可能性は大きい。

酒場といえば日暮れの新橋あたりを遊弋する勤め帰りの勤労者がよみがえるだろう。日本の企業やそこで働く給与所得者に関心を持つ外国の学者をかつてなんどか新橋に案内した。酒場のカウンターでうさばらしに余念のない勤め人も、家に帰れば「お父さん」である。

6月20日は「父の日」だった。

この日の朝日新聞朝刊「天声人語」は父の日を話題にした。

「転勤の娘(こ)の背に春の陽(ひ)は徹(とお)る良き友を得よ良き上司得よ」

この歌を詠んだ男性の死後、家族が残された歌を歌集として自費出版した。その歌集で「転勤の娘」を案じた父の歌を見つけた娘がこの日の天声人語の筆者だった。

「名も無き父が詠んだ『転勤の娘』は、実は私である。これまで10回の転勤で、上司はともかく友には恵まれた。今回、普段の筆者に代わり担当したことをお断りしておく」と天声人語は文末で言う。「上司はともかく友には恵まれた」の「上司はともかく」につい笑ってしまった。いつぞやの国会で武田総務相が国会で答弁に立つ総務省の幹部に「記憶がないと言え」と叫んだという新聞記事を思い出した。お父さんは自己都合に合わせて、仕事場でこんなふうな上司を演じる人でもあるのだ。

(20216.20 花崎泰雄)

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ほんの気休め

2021-06-15 18:44:01 | 政治

さきごろ開かれたG7で東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催への賛同が得られた。

2021年G7の共同声明の最後の部分に書き加えられた、

「新型コロナウイルスに打ち勝つ世界の団結の象徴として、安全・安心な形で2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を開催することに対する我々の支持を改めて表明する」

“we......reiterate our support for the holding of the Olympic and Paralympic Games Tokyo 2020 in a safe and secure manner as a symbol of global unity in overcoming COVID-19.

との文言を手土産に日本国首相・菅義偉氏が帰国した。これをお墨付きのように掲げて同氏は五輪開催にまい進するのであろう。

だが、新聞記事をきちんと読めば次の点は明らかである。

G7に集まったリーダーたちは、東京オリンピックがつつがなく開催できると、科学的データに基づいて言っているわけではない。彼らが支持したのは「安全・安心な形で2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を開催すること」である。日本国政府はいかにして安心・安全を確保するか、その方策が明示してこなかった。先の国会ではあなたの言う安心・安全の根拠を示せと野党が首相に寄ったが、菅氏は明瞭な返事を避けた。

G7のリーダーたちも、新型コロナウイルス蔓延下の日本で、安心・安全な大会が開けるかどうかは、菅氏と同様、確信が持てないだろう。ただ、G7の政治家たちは、日本に住んでいない。

コロナ下のオリンピック、よろしければ――proceed at your own risk. そういうことなのだ。仮定の話だが、例えば今回のコロナ下で、日本ではなくG7のどこかの国が安心・安全なオリンピックを開催したいと言い出した場面を想像してみよう。日本国首相・菅義偉氏は万一に備えて慎重なご判断を、とは言わないだろう。菅氏はその国に住んでいないのだから。

 

(2021.6.15 花崎泰雄)

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