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news commentary

ゴルバチョフ

2022-08-31 23:49:16 | 国際

ミハイル・ゴルバチョフが8月30日死去した。

朝日新聞8月31日夕刊1面の解説記事に次のような記述があった。

「ゴルバチョフ氏の評価を巡っては、欧米や日本では『冷戦を終結させ、核軍縮を推進した』と肯定する声が多数を占める一方、ロシアでは『ソ連解体の張本人』という否定的な意見が支配的だ。ソ連解体から続くロシアの国際的地位の低下がウクライナ侵攻を引き起こしたとの見方もある」

ゴルバチョフの評価で、欧米では肯定的、ロシア国内では否定的意見が多いことはかねがね指摘されてきた。だが、次の一文、

「ソ連解体から続くロシアの国際的地位の低下がウクライナ侵攻を引き起こしたとの見方もある」

これは大風が吹けば桶屋が儲かる式の言葉遊びに過ぎない。ゴロバチョフによるソ連の瓦解で、ロシア人は大国の市民としての自信を失い、その喪失感の埋め合わせにロシア・ナショナリズムに溺れ、それをプーチンが権力永続化に利用してウクライナ侵攻を企て、不安になったNATO諸国が防衛費を増加させ、日本の保守勢力が防衛費のGDP2パーセントを声高に叫び、来年度の防衛予算を大幅に増やそうとしている。もとをただせば、世界的な軍備増強の大波はゴルバチョフの改革に始まることになる――といった銭湯的国際政治学に発展する。

ゴルバチョフがソ連の最高指導者になった1985年、ソ連の政治・経済・社会はすでに行き詰っていた。だからアンドロポフがソ連立て直しのための切り札としてゴルバチョフを国家指導者に引きたてたのだ。そもそもソ連はつぶれかけていたのである。

ゴルバチョフとレーガンは1987年にINF(中距離核戦略)全廃条約に調印した。米ソがINF全廃条約に縛られていた30年ほどの間に、中国が中距離弾道ミサイルの配備を着々と進めた。それに怒ったトランプがINF全廃条約の廃棄をロシアに通告した。

核兵器削減と東西冷戦の終結は、ゴルバチョフの主要な政治的功績だが、そうした平和への明るい貢献も、国際政治の闇の中にいつの間にか沈んでしまう。ふりかえると歳月のむなしさが感じられてならない。

(2022.8.31 花崎泰雄)

 

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反古

2022-08-22 00:50:18 | 国際

承前。沖縄返還交渉にあたって当時の首相・佐藤栄作の密使の役を演じたのは、京都産業大学教授・若泉敬だった。

密使役をおえた若泉は郷里の福井県に居を移し、やがて大学も退職した。1994年になって、密使の役割と沖縄核密約について『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文芸春秋)で公にした。そのような密約文書はない、と政府は言った。沖縄の世論は政府の背信行為であると怒った。

佐藤・ニクソンの沖縄核密約問題は、しばらくジャーナリズムの話題になり、1995年にはNHKが若泉に焦点を当てた「沖縄返還・日米の密約」を放映した。密約があったと考える人と、密約はなかったという政府の言を信用する人、この2派に国民は別れた。だが関心は長続きせず、やがて沖縄核密約問題は世間のトピックとしては色あせた。翌1996年に若泉は死んだ。

若泉死去から3年後の2009年になって、故人となっていた佐藤栄作の机の引き出しから見つかったとして、佐藤の家族が秘密文書をメディアに公開した。ここでまた沖縄密約問題が世の中の話題になった。その年に政権が自民党から民主党に移った。

民主党政権の外相に就任した岡田克也が外務省に密約関連の資料探しを命じた。また、外部の有識者で有識者委員会を組織し、調査を依頼した。外務省事務当局の資料探索では、機密文書「合意議事録」は発見できなかったが、佐藤栄作が自宅に持ち帰ったいわゆる密約文書は、若泉の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』にある文書とほぼ同一であることが確認された。

有識者委員会は討議の結果、密約文書は「共同声明の内容を大きく超える負担を約束するものではなく、必ずしも密約といえない」「密約が無くとも別途の方法で沖縄返還実現は合意されたのではないかと思われる」と結論した。

日本の政府は佐藤栄作が残した密約文書の政治的インパクトを弱めようとした。沖縄返還交渉の実務で若泉の相手役をつとめたモートン・ハルペリンが2014年に来日して、共産党が発行する『しんぶん赤旗』のインタビューに応じた。密約は存在し、現在も有効である、とハルペリンが明言したと同紙が伝えた。

「私は、日本国の最高責任者である内閣総理大臣から、『核抜き返還』について米国政府とその最高レベルで公的に交渉するすべての権限を直接に付与されたのである」と若泉は佐藤栄作から密使役を依頼された時の高揚感を『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』に書いている。後藤乾一『「沖縄核密約」を背負って――若泉敬の生涯』(岩波書店)は、若泉は晩年、国家機密を暴露したことの罪悪感、核持ち込み容認という沖縄への自責の念、末期のがんという苦しみに取り巻かれていたと説明する。同書は訪問客が若泉が何かを飲み込んだような気配を感じ、そのあと若泉が倒れ、医師を呼んだが死亡した、と書いている。

密使・若泉が奔走してまとめ上げた密約は「密約」ではなく、密約が無くても他の方法で沖縄返還交渉は合意できた、という有識者委員会の結論を信じるとすれば、若泉の行動は滑稽に見える。一方、若泉の実務的交渉相手だったハルペリンの言葉を信じるとすれば、日本政府は国民に対して嘘をついていることになる。

佐藤栄作の机の引き出しから出てきた密約文書はいまどこに保管されているのだろうか。そこが日本という国の不気味なところである。

(2022.8.22 花崎泰雄)

 

 

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機密文書

2022-08-10 02:21:00 | 国際

米国のドナルド・トランプ前大統領のフロリダ州パームビーチの家をFBIが急襲した。「まるで第三世界の破綻国家の出来事だ。FBIは私の金庫も開けたのだ」と前大統領は怒った。8月9日のニューヨーク・タイムズ紙などの報道によると、FBIのトランプ私邸の捜索は、トランプが大統領退任のさいホワイトハウスから自宅に持ち帰った機密文書を探すのが目的だったという。

トランプ前大統領が自宅に持ち帰った公文書は米国立公文書記録保管局が返却を求めていたもので、15箱に上る量だ。大統領が退任のさいホワイトハウスから機密文書を持ち帰り、その返却をさぼっていたわけだが、ドナルド・トランプという人は、論理構造に人並みをはずれたところがあり、行動様式も奇矯なところが多々見られていたので、いかにもありそうなことに思えた。米国の元首である大統領をつとめ、公務と私事の境界があいまいになっていたのだろうか。それとも、もともとそんなことなど頓着しない人だったのだろうか。

米国政府の公文書管理は日本政府のそれに比べて段違いに整備されている。日米関係を専門にする研究者は、日本の政府の公文書管理の不備に辟易して、もっぱら米国に出かけ、公文書館にこもって記録文書を読む。

日本に長らく住んできた私はこの程度の事では驚かない。かえりみて日本の公文書管理がでたらめなのは、長期にわたる自民党政権の宿痾のようなものだ。

「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核3原則でノーベル平和賞をもらった故・佐藤栄作氏はニクソン大統領と交わした沖縄返還に関係する核密約文書を首相退任のさい自宅に持ち帰っていた。

その文書はニクソン大統領と佐藤首相の署名がある沖縄核機密文書で、日本を含む極東防衛という米国の責任を遂行するためには、米国政府は、日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと沖縄を通過させる権利を必要とする。日本国首相は、そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たす、という内容だった。

この機密文書は、佐藤栄作が官邸から持ち帰った机の引き出しにあったという。佐藤栄作の死後、遺品の整理中に見つかったと遺族は言う。佐藤栄作は1975年に死去。この密約文書を佐藤栄作の次男・佐藤信二氏が公表したのは2009年12月のことである。

沖縄返還をめぐる対米核交渉では、日本の大学教授が佐藤栄作の密使として対米工作をしていた。この大学教授は1996年に死去したが、死の2年前に著書で沖縄の核をめぐる日米密約があったことに触れていた。日本のジャーナリズムは密約問題を話題にし、世間も密約があったらしいと感じていたが、日本の政府はそのような密約はなかったとしてきた。

佐藤栄作の死後三十余間、この機密文書は隠匿され続けたのだった。

(2022.8.10 花崎泰雄)

 

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ペロシ

2022-08-03 23:31:22 | 国際

毛沢東が天安門の楼上から中華人民共和国の成立を宣言したのは1949年の事である。同じ年に毛沢東との戦いに敗れた蒋介石は台湾に渡った。アジアで中国の影響力が拡大するのを恐れた米国は1954年に台湾と米華相互防衛条約を締結した。周恩来・中国首相が台湾は中国の一部であり、台湾への米国の肩入れは許さない、と言明した。米華相互防衛条約が失効した後、米国議会は台湾関係法を成立させ、台湾との連帯を続けた。中国は武力による台湾解放を否定せず、米国は台湾有事のさいの米国の関与についてあいまいな姿勢をとり続けてきた。このような台湾をめぐる米中の変則的な角逐は以来70年近く続いてきた。

今年5月23日 、訪日中のバイデン氏は同日、日米首脳会談後の記者会見で、中国が台湾に侵攻した場合、軍事的に関与するかどうか問われると、「イエス、それがわれわれの責務だ」と答えた。

台湾武力統一がありうるとする中国と、万一の時は台湾を守るとする米中の口争いは、続いてきたが、それが米中武力衝突(戦争)につながると、本気で考える専門家は多くなかった。この程度なら経済力と軍事力で米国を追い上げる中国と、世界の大国として落日の気配を見せるようになった米国の言葉のチキンゲームのボルテージが上がっただけのことで済ませてきた。

ペロシ米下院議長の台湾訪問で中国は米国非難の音量を一気に引き上げた。米原子力空母・ロナルド・レーガンが時を同じくして、ペロシ下院議長を乗せた米軍機の飛行ルート近くのフィリピン沖を航行した。

8月3日の新聞は中国軍が台湾周辺で大規模な実弾演習を計画していると伝えた。中国軍が発表した演習海域が示されていた。台湾を取り囲んで6地域に広がる。ロシア軍がウクライナに侵攻する前の、ウクライナ包囲演習の図を思い出させるような不気味な演出である。

ペロシ訪台によって台湾の安全保障態勢がそれまで以上に改善されるのかどうか、まだわからない点が多いが、おおざっぱに言えば、改善されるという根拠は見当たらない。この秋の共産党大会で三選を目指す習近平国家主席にとっては、微妙な時期に底意地の悪いアメリカ帝国主義の嫌がらせである。ペロシ下院議長は中国に一泡吹かせることができと喜んでいるかもしれないが、中国は苦り切っており、臥薪嘗胆、今に見ていろと、しっぺ返しの機会を狙うだろう。

台湾をめぐる米中の対立に、中国と米国の軍事力がこれ見よがしに前面に現れたのがペロシ訪台の効果である。こうした米中の力の show-off はしばらく続くことになる。台湾有事は日本の有事と、無邪気にさえずっていた日本の小鳥たちもこれを機に、戦争回避の長期的な外交術の錬磨に励むといい。

(2022.8.3 花崎泰雄)

 

 

 

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