1945年7月26日のポツダム宣言の中に次ような文言がある。
12 前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
12 The occupying forces of the Allies shall be withdrawn from Japan as soon as these objectives have been accomplished and there has been established in accordance with the freely expressed will of the Japanese people a peacefully inclined and responsible government.
日本が主権を回復した1951年、米軍を主体とする連合国軍は、ポツダム宣言によれば、直ちに日本から撤収するはずであったが、歴史はそういう風には展開しなかった。
1950年6月25日 に朝鮮戦争が始まった(戦争は 1953年7月の休戦協定まで続いた)。ソ連・中国の共産主義と対抗するために、米軍は日本駐留を続ける必要に迫られた。
そこで、日本の主権回復と同時に米国は日本と日米安保条約を結んだ。
第一条 平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒擾を鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。
Article 1 Japan grants, and the United States of America accepts, the right, upon the
coming into force of the Treaty of Peace and of this Treaty, to dispose United States land, air,
and sea forces in and about Japan. Such forces may be utilized to contribute to the maintenance
of international peace and security in the Far East and to the security of Japan against armed
attack from without, including assistance given at the express request of the Japanese
Government to put down large‑scale internal riots and disturbances in Japan, caused through
instigation or intervention by an outside power or powers.
興味深いのは、米軍の日本配備の目的が極東の安全と日本防衛とされたが、その書き順が①極東の安全②日本防衛の順になっていることだ。アメリカの関心がこの順番になったのは、当時のアジア情勢からして当然のことである。極東における米軍のプレゼンスがアメリカの最大の目的だった。
やがて日米安保条約は1960年に改訂された。
第六条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
ARTICLE VI For the purpose of contributing to the security of Japan and the maintenance of
international peace and security in the Far East, the United States of America is granted the use
by its land, air and naval forces of facilities and areas in Japan.
新安保条約ではその目的が①日本防衛②極東の安全の順に変更された。一方で、ベトナムでは1954年にディエンビエンフーでフランス軍が大敗し、同じ年アイゼンハワー米大統領が記者会見で「ドミノ理論」を唱えた。アジアの共産化のドミノ倒しをベトナムで食い止めようとして、やがてアメリカはベトナム戦争のドロ沼にはまり込む。米軍沖縄基地はベトナムじゅうたん爆撃のB52の出撃基地になった。
そのベトナム戦争は事実上アメリカの敗北に終わり、のちにソ連がアフガニスタン侵攻でつまづき、やがてその体制は崩壊した。あっというまに冷戦が雲散霧消し、スパイ小説家と国際戦略理論家がその舞台を失ってしまった。
しかし、米軍は引き続きドイツと日本に大規模な軍を駐留させ続けている。それどころか、イスラム過激派テロリストとの戦いを、冷戦後の最大の課題に設定し、boots on the ground だの show the flag だのと言って、日本に対して米国の世界戦略への直接的な加担を強く求めるようになった。イラクに派遣された自衛隊のヒゲの隊長はその功が認められて人気者になり、いまや自民党の参議院議員である。
現在では、国家主義オタクの安倍晋三首相と軍事オタクの石破茂自民党幹事長が組んで、日本版NSCだの特定秘密保護法だの、解釈改憲による集団的自衛権の容認だの、最終的には憲法9条の改訂だのを進めている。
「日本を、取り戻す」ための政治的針路であると彼らは言い、北朝鮮の核、韓国の反日、中国の軍事的膨張による脅威に対抗するためだとしている。
そこで、新旧の日米安保条約が米国によってどのように利用されたかについて、一度1951年からの歴史をたどり直して見ることをお勧めする。そこに一貫して流れるものは、米国の世界戦略のための日本の基地利用であり、それが今では、日本に対して米国の戦略の一翼を積極的に担うよう強く求めるところまで来ている。日本版NSC、特定秘密保護法、集団的自衛権、憲法9条の改訂はそのためのステップである。日本版NSCはこれといった独自の情報取得手段をもたず、もっぱら米国のNSCから情報を分けてもらい、その結果、米国NSCの補完的役割を果たすことになる。情報をおすそ分けしてもらうための準備が特定秘密保護法である。
そういうことなので、政治的にも軍事的にも、1945年以降のアメリカの日本占領は、「対米従属」と呼び名を変えて、いまなお続いているといえる。
(2013.12.14 花崎泰雄)
、