9月28日夜9時のNHKニュースが、サウジアラビアで自動車を運転した女性がむち打ち10回の刑の判決を受けたと伝えていた。
むち打ち10回の刑と、サウジアラビアでは女性が自動車の運転を認められていないということの、いずれが「おや、おや」にあたいするのだろうか?
サウジアラビアなどのイスラム国では、姦通の罪には石打ちの刑(既婚者)と鞭打ちの刑(未婚者)が適用される。飲酒はむち打ち。盗みの場合、初犯は右手、再犯は左足、3度目になると左手、4度目で残る右足が切り落とされるので、ダルマ状態になる。
学校の日本史で「ちじょうずるし」という言葉を習った。「笞・杖・徒・流・死」。日本がその昔、中国・唐の刑をまねて作った制度だが、いま日本では身体刑は死刑だけになっている。
百科事典によると、昔の日本では鋸の刑というものがあり、ドイツでは、絞首、逆吊り、斬首、四つ裂き、生埋め、昏殺、焚殺、釜茹、手・指・耳・舌・鼻の切断,両眼摘出、去勢、むち打ち、頭髪切除、烙印などの刑があった。
現代国家では身体刑では死刑だけを残している国が多い。むち打ちの刑を残しているのは非イスラム国では、植民地時代のイギリスの刑の痕跡を残すシンガポールくらいだ。
究極の身体刑である死刑を廃止する国家も増えた。EU諸国は死刑を廃止し、死刑廃止をEU加盟の条件の一つにしている。トルコはイスラム教徒の多い国だが、EU加盟を希望しているため、この9月上旬、国会で死刑廃止を決めたばかりだ。一方、日本、アメリカ合衆国、中国などは死刑の制度を残している。
究極の身体刑である死刑を廃止するか、残すかについて、これだけの姿勢の違いがあるわけだから、むち打ち刑を残しているからといって、残虐だと叫ぶのは、少々ナイーヴに過ぎるだろう。
むしろ、女性の社会的行動には男性の保護が必要であり、したがって車の一人運転はイスラムの教えに反するということの方が驚くに値する。世界で最大のイスラム人口を抱えるインドネシアでは女性の自動車運転は自由である。したがって、女性の自動車運転をとがめるのは、イスラム共通の問題意識によるものではなく、サウジアラビアの個別の事情によるものであろう。
サウジアラビアの裁判所がむち打ち判決を出す2日前、アブドッラー・ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード国王が、女性の参政権を2015年から認めると発表していた。
アブドゥラ国王の声明は、国政レベルでは同国の諮問評議会へ女性が評議会議員として参加できるようにし、地方議会選挙でも女性の参政権を認めるという内容。諮問評議会は国王が選ぶ男性150人で構成されている(最近、女性が顧問の資格で参加している)。地方選挙は、投票権は21歳以上、被選挙権は25歳以上の男性だけに認められている。
女性が車を運転したのはWomen2Driveという女性抑圧への抵抗キャンペーンだ。中東地域の民主化の波がサウジアラビアにも押し寄せている。国王が女性参政権でガス抜きを図ったところ、それに批判的な守旧派勢力が巻き返しに出て、このむち打ち判決になったといわれている。せいぜい数日の拘留ですむはずの自動車の運転で、むち打ち10回は重過ぎる。判決の背後になんらかの政治的意図があるというのが推測の理由だ。
むち打ち判決が出されると間髪を入れずアブドゥラ国王がその判決を覆した。男性の保護なしでは女性の社会的活動が認められないとすれば、女性の参政権に何の意味があるのか、という問題につきあたる。むち打ち判決を国王は自分の決定に対する批判とみなしたわけだ。
(花崎泰雄 2011.9.29)