ロシアが2月下旬ウクライナに攻め込んだ。すかさず日本の元内閣総理大臣・安倍晋三が日本もNATOにならって米国との核シェアリングを議論すべきだ、との見解をテレビや派閥の会合で開陳した。現内閣総理大臣・岸田文雄は「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核3原則は国是であり、政府としてそのような議論をするつもりがないことを表明、安倍の挑発には応えなかった。あらかたの野党も安倍の核共有議論を退けた。
安倍の核シェアリング議論の提起は、彼が率いる自民党内の派閥・清和会の党内他派閥の勢力争いと、保守化する日本の有権者の情緒に乗っかって、この夏の参院選で党勢拡大をもくろむ維新の会の戦略だ。だが、海外のメディアは安倍発言を、日本が長年掲げてきた平和主義から離脱する動きであると報道する。Covid-19対策用の不織布マスクの品薄・暴騰にあたって、国民1人当たり2枚のガーゼマスクを用意した「アベノマスク」を「冗談だろ」と海外メディアは冷やかした。一方で、似たような冗談である今回の安倍の核シェアリング発言にまじめに反応したメディアもいくつかある。例えば “Japan turns away from post-WWII pacifism as China threat grows” (CNN、5月22日、電子版)。
日本が米国と核共有を取り決めるにあたっては、両国民の世界観、外交感覚、政権の損得勘定、そもそもアメリカ側に日本と核をシェアする気があるのかといった問題以外に、2つの論理の矛盾をどう克服するかという高い壁に突き当たる。ひとつは核共有と核拡散防止条約の矛盾、次に日本の国会決議に裏打ちされた非核三原則との矛盾である。
核拡散防止条約は次のように取り決めている。
第1条 締約国である核兵器国は、核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者に対しても直接又は間接に移譲しないこと及び核兵器その他の核爆発装置の製造若しくはその他の方法による取得又は核兵器その他の核爆発装置の管理の取得につきいかなる非核兵器国に対しても何ら援助、奨励又は勧誘を行わないことを約束する。
第2条 締約国である各非核兵器国は、核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者からも直接又は間接に受領しないこと、核兵器その他の核爆発装置を製造せず又はその他の方法によって取得しないこと及び核兵器その他の核爆発装置の製造についていかなる援助をも求めず又は受けないことを約束する。
日本は核拡散防止条約加盟国である。核兵器の共有にあたっては、それが「核兵器その他の核爆発装置又はその管理をいかなる者からも直接又は間接に受領しない」に背かないことを説明しなければならない。
ドイツも核拡散防止条約に加盟している。一方で、非核保有国であるドイツはNATOの核シェリング構想の中で、米国から戦術核の提供を受けてドイツ国内の基地に保管している。核の管理は米軍が行い、戦術核使用にあたっては米独が協議し、攻撃目標が決まれば米軍が核をセットし、ドイツ空軍が核爆弾を目標地まで運んで落下させる。
ドイツに加え、ベルギー、イタリア、オランダ、トルコの合計5か国がNATOの戦略構想の一つとして、米国と核シェアリングを行っている。これらの5か国にある6つの軍基地で米国の戦術核爆弾B61を合計100発以上保管している。
NATOの核シェアリングは1950年代に始まった。冷戦期にソ連と向かい合ったヨーロッパでは、NATOの核シェアリング以外の枠組みも入れると1970年ころには7000以上の戦術核弾頭が保管されていた。1950年代に米国の核戦略は「大量報復戦略」だった。大量報復から出発した核戦略論は、ソ連の核兵器開発と競う中で「柔軟反応戦略」「確証破壊戦略」とスコラ的展開をみせた。一時期、核戦略論は国際政治学の花形だった。ソ連邦の衰退と解体をさかいに核戦争の脅威は薄らぎ、国際政治学者とスパイ小説家の失業が始まった。ソ連邦の解体を挟んだ1986-1993年の時期に、5000を超える核弾頭がヨーロッパから撤去された。
ロシア大統領プーチンはNATOの核シェアリングは核拡散防止条約に違反すると主張している。NATOと米国は次のように説明している。核シェアリングは核拡散防止条約が成立する前から行われていた。核拡散防止条約の条文検討にあたっては、その点は十分に討議され、強い異議は生じていない。戦術核兵器を管理するのは米国だけであり、戦争になれば条約の拘束力そのものが消滅する。
ドイツ社会民主党のショルツ首相は核シェアリングに批判的で、NATOの核シェアリング枠組みから離脱の意向を示していた。メルケル政権からショルツ政権への移行にあたって、NATOはショルツ政権の動きを警戒したが、ドイツは当面核シェアリングを持続させると表明した。
さて、日本の場合いま一つの壁がある。非核三原則「持たず、つくらず、持ち込ませず」の「持たず」「持ち込ませず」と「核の共有」をいかに両立させるかが問題になる。アメリカの核兵器を日本の基地で保管するが、それが「持たず」「持ち込ませず」という国是に抵触しないことを論理的に説明することは難しい――世知にたけた政権取り巻きや公務員を総動員して公孫竜の「白馬非馬説」のようなアイディアでも捻り出さない限り。
核シェアリングを実現するためには、非核三原則の廃止を国会で決議しなくてはならない。それよりももっと可能性の高いのは、核兵器で武装した国が近隣あるという現実を考えれば、日本の独立を守る議論は絶対に必要だ――非核三原則はしばらく神棚にあげておいて――という方向へ議論が進むことだ。そのような非論理的で情緒的な議論を好む日本人は少なくない。非核三原則を提唱した佐藤首相が、沖縄返還交渉に関連する核撤去交渉で、非核三原則はナンセンスだったと当時の米国大使に語ったという文書が米国に残っている。政治家は油断ならないご都合主義者なのだ。
最後に共有している核兵器をどこで使用するかという問題が残る。米国が共有のために提供する核兵器は、NATOと同じレベルの戦術核兵器にとどまるだろう。戦術核兵器は運搬距離500キロメートル未満とされている。日本の周囲は海である。ミサイルに乗せようが、飛行機で運ぼうが、攻めてきた国までは届きにくい。戦術核兵器は日本に攻め込んで来た敵軍団の頭上で爆発される。米国と共有する戦術核をもっぱら日本国内で使う可能性があるわけだ。
(2022.5.24 花崎泰雄)