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news commentary

こんにゃく問答

2015-05-27 23:50:02 | Weblog

「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」

5月27日は朝から夕方までテレビの前に座って、安全保障関連11法案を審議する衆院の特別委員会の中継を見ていた。

日本と密接な関係にある他国の政府の要請を忖度して、自衛隊が他の国の領域で武力行使ができるようにする体制づくりがこの法案の目的である。法案をこの夏までに成立させると密接な関係にある他国の議会で政権トップが約束してしまった以上、政権としては成立を急がねばならない。

密接な関係にある他国と軍事上の共同行動をとるには、日本国憲法が邪魔になる。一般に他国の領域での武力行使は日本国の憲法上許されない、としつつも、冒頭の武力行使の新3要件の一部を「寿限無寿限無……」のように唱えて、憲法の壁に突破口をあけようとしていた。だが、「国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」とは、どのような危険であるか、政権の誰もが説得力ある具体的なイメージを語りえていない。

審議では「なぜそんなに急ぐのか。日本は大変な安全保障上の危機の中にあるのか」という野党の質問には「イエス」とも「ノー」とも答えず、抑止力の整備のためであると韜晦した。抑止力、抑止力というが安全保障のディレンマと言う言葉を知っているか、の問いには、日本のように抑止力の増強に透明性があれば他国を刺激することはないので安全保障のディレンマは生じない、という珍妙な回答を、日本国首相がした。抑止力に関するアベ・セオリーである。

この法案で、海外に出ていく自衛隊のリスクが高まるのではないか、という質問には、以前から自衛隊の任務にはリスクがあった、と繰り返すだけだった。政権としてはリスクが増大するとは口が裂けても言えないのである。

こうしたこんにゃく問答のあいまに「寿限無寿限無」が繰りかえし唱えられる。

質問する側は、これでは国会中継を見ている国民にはいったい何が議論されているか理解できないではないか、と慨嘆した。

政権にとってはそれが狙いなのだろう。きちんとした討論をすれば、密接な関係のある他国と海外で軍事行動をともにすることは、本来は憲法を変えなければできないはずなのに、憲法条文を曲解することで、可能にしようとする論理のゆがみが広く皆に知れ渡ることになる。

「後方支援」と「兵站」は同じことだし、「武器使用」と「武力行使」もまた同じことである。今日の審議で、かつて自衛隊がサマーワに持って行った武器のなかには、「機関銃」「84式無反動砲」「個人携帯対戦車弾」があったことがわかった。 「後方支援」は「兵站」ではない、「武器使用」と「武力行使」は異なるという政権の小細工がばれないうちに数の力で法案を通す。これが決められる政治の要諦のように見える。

(2015.5.27 花崎泰雄)


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一人前

2015-05-16 14:05:11 | Weblog

これからしばらくの間、日本の国会は政府提出の安全保障関連法案をめぐる審議でにぎやかになる。昔風に言えば「安保国会」である。

4月15日の朝日新聞朝刊第2面に、元海上幕僚長・古庄幸一氏のインタビュー記事が載っていた。インタビューして記事にまとめたのは笹川翔平氏。安倍政権の安全保障政策に呼応する現場からの「誓いの言葉」のようでもあり「武者震い」のようでもあり、たいへん興味深く読んだ。

記事にはこうある。

「この安保法制で、自衛隊が命をかけるということを政治が決めた」「隊員はみんな、国のために万一の時は命をかけることを誓っている。そのため訓練をしている」「何かが起こった時、米軍などと一緒に行動できる。これが任務であることの誇りは、現場の人間でないと分からないだろう。隊員は『これで世界中が一人前と見てくれる』と考える」「他の国がシーレーンを守る時、『うちは憲法があるから危険なところには行けません』という姿勢でいいのか」「ホルムズ海峡での機雷除去を例に挙げれば、集団的自衛権の行使要件に該当するから、今後は、戦闘をしていようがしていまいが、機雷がまかれたら出て行けるようになる」

安保法制を進めている政治家の側にも、国民にもこのような考え方する人々が相当数いるのであろう。いまの日本の風潮を知るために、一読をおすすめする。

さて、「隊員はみんな、国のために万一の時は命をかけることを誓っている」という言い回しであるが、そもそも「国のため」とはなんのためだろう。日本の国土なのか、そこに住む人々なのか、国土と人民を統治する国家機構の事なのか、それとも国土・国民・統治機構すべてを包括したものなのか。

古庄氏のインタビュー記事では、記事末尾に「憲法解釈の変更と今回の安保法制がなければ、本当の意味で国や国民を守ることはできないだろう」とあるので、同氏が「国」と「国民」を区別して考えていることは明らかだ。

したがって、自衛隊員が命を懸ける「国」とは、国土あるいは領域を支配する統治機構を意味することになる。また、古庄氏は、自衛隊の誇りは米軍と一緒に行動できることである、と言っている。安保法制に外務省が積極的な理由は、多くの先進諸国のように、日本の外交力を武力で裏付けし、日本の外交官の発言が一目おかれるようにしたいからである、という点と、どこかでつながっている。

この稿の筆者のように、国家は豊かな共同生活を実現するための仲間関係であり、それは他の集群、教会、労働組合などと同じ集群である、とするハロルド・ラスキの多元主義国家論の洗礼を受けたものには、国家のために命をかけるという言い方は、大仰に過ぎるという感じがする。多国籍企業が育った国の空洞化を熟知のうえ、地の利と安い労働力と利益を求めて、外国へ稼ぎに出かける時代である。

安保法制は激変した安全保障環境に対応するためと、安倍政権は理由づけているが、ロシアとの北方領土問題は冷戦下のソ連時代と変わりはないし、竹島は敗戦後一貫して韓国が占拠しつづけている。中国の急速な軍備増強と西太平洋への野心や尖閣問題の急浮上は新事態だが、自衛隊を南シナ海やホルムズ湾に送ることとの関連性は薄い。

安倍政権は安全保障法制関連11法案を「平和安全法制」と称し、それらの法案を審議する衆院特別委員会を「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」の呼称を提案している。

なかなか象徴的な呼び名で、竹馬に乗って背伸びする少年のような滑稽さを感じさせる。

(2015.5.16 花崎泰雄)

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