「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」
5月27日は朝から夕方までテレビの前に座って、安全保障関連11法案を審議する衆院の特別委員会の中継を見ていた。
日本と密接な関係にある他国の政府の要請を忖度して、自衛隊が他の国の領域で武力行使ができるようにする体制づくりがこの法案の目的である。法案をこの夏までに成立させると密接な関係にある他国の議会で政権トップが約束してしまった以上、政権としては成立を急がねばならない。
密接な関係にある他国と軍事上の共同行動をとるには、日本国憲法が邪魔になる。一般に他国の領域での武力行使は日本国の憲法上許されない、としつつも、冒頭の武力行使の新3要件の一部を「寿限無寿限無……」のように唱えて、憲法の壁に突破口をあけようとしていた。だが、「国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」とは、どのような危険であるか、政権の誰もが説得力ある具体的なイメージを語りえていない。
審議では「なぜそんなに急ぐのか。日本は大変な安全保障上の危機の中にあるのか」という野党の質問には「イエス」とも「ノー」とも答えず、抑止力の整備のためであると韜晦した。抑止力、抑止力というが安全保障のディレンマと言う言葉を知っているか、の問いには、日本のように抑止力の増強に透明性があれば他国を刺激することはないので安全保障のディレンマは生じない、という珍妙な回答を、日本国首相がした。抑止力に関するアベ・セオリーである。
この法案で、海外に出ていく自衛隊のリスクが高まるのではないか、という質問には、以前から自衛隊の任務にはリスクがあった、と繰り返すだけだった。政権としてはリスクが増大するとは口が裂けても言えないのである。
こうしたこんにゃく問答のあいまに「寿限無寿限無」が繰りかえし唱えられる。
質問する側は、これでは国会中継を見ている国民にはいったい何が議論されているか理解できないではないか、と慨嘆した。
政権にとってはそれが狙いなのだろう。きちんとした討論をすれば、密接な関係のある他国と海外で軍事行動をともにすることは、本来は憲法を変えなければできないはずなのに、憲法条文を曲解することで、可能にしようとする論理のゆがみが広く皆に知れ渡ることになる。
「後方支援」と「兵站」は同じことだし、「武器使用」と「武力行使」もまた同じことである。今日の審議で、かつて自衛隊がサマーワに持って行った武器のなかには、「機関銃」「84式無反動砲」「個人携帯対戦車弾」があったことがわかった。 「後方支援」は「兵站」ではない、「武器使用」と「武力行使」は異なるという政権の小細工がばれないうちに数の力で法案を通す。これが決められる政治の要諦のように見える。
(2015.5.27 花崎泰雄)