イギリスの作家カズオ・イシグロが黒澤明の映画『生きる』を翻案した映画 『Living 』が4月日本でも公開された。カズオ・イシグロが脚本を書き、オリヴァー・ハーマナスが監督した。
『Living 』は、映画の舞台を原作の1950年代の日本から1950年代の英国に移しているが、物語の筋は黒澤作品を尊重している。翻案というよりはremakeという言い方があたっている。
黒澤の『生きる』もハーマナスの 『Living』も物語の主人公は平凡な公務員である。ある日、医師から癌でもう長くは生きられないだろうと言われる。短い余命を宣告された公務員が失意のどん底から人間として再生するきっかけが街の子ども公園の建設だった。市民からの要望がありながらも棚ざらしにされていた計画だった。
ストーリーは映画を見ていただくのが手っ取り早い。たいていの方は黒澤の『生きる』のあらすじはよくご存じだろう。子ども公園が完成したある日、主人公は雪の降る中で子ども公園のブランコに座り、物思いにふける。そして歌を口ずさむ。黒澤映画の主人公は「ゴンドラの歌」を、ハーマナス映画の主人公はスコットランド民謡の「ナナカマドの木(The Rowan Tree)」を歌う。見る人の心を打つ場面である。
「あなたの心の内をたずねなさい。そこにこそ泉はある」
「しあわせな一生を送るには、ごくわずかなものでこと足りる」
ローマ帝国5賢帝の1人であるマルクス・アウレリウスの『自省録』の中のストイックな断想を思い起こさせるシーンだ。
このシーンで人生最後の仕事をやり遂げた主人公に黒澤は「ゴンドラの歌」をうたわせた。芸術座の公演『その前夜』の劇中歌で、大正から昭和にかけての日本製の流行り歌だ。「ゴンドラの歌」は、舞台をイギリスに移した『Living』では使いにくかったのだろう、脚本を書いたイシグロは歌をスコットランド民謡「ナナカマドの木」にかえた。四季の風景と家族の慈しみをたたえた穏やかで滋味あふれる歌だ。
「ゴンドラの歌」の「命短し恋せよ乙女」は『Living』には合わない。少なくとも日本人の観客は「命短し恋せよ乙女」と聞くと「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」(三橋鷹女)という気合の入った俳句をつい連想してしまう。
ブランコは哲学の小道具になりうるが、過去の風俗画では男女の情動のシンボルとして使われてきた。西洋の例ではジャン・オノレ・フラゴナールの絵がある。
(https://www.tokyo-np.co.jp/article/181339)。
東洋では中国・清時代の「二美人遊戯鞦韆図」がある。
(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/293050)
芥川龍之介は「傾城の蹠白き絵踏かな」という句を作った。中国政府が法輪功を嫌うように、江戸幕府はキリスト教を嫌い弾圧した。その手段の一つが「絵踏」だった。長崎の絵踏の最終日は丸山遊女が対象になった。物見高い連中が集まって、着飾った遊女たちが素足で聖画を踏むのを見物した、と歳時記にある。白い裸の足は小説家のフェティッシュな趣味だ。だが、宗教史が専門の歴史家だったらこんな句はつくらないだろう。哲学者テオドール・アドルノは、アウシュビッツを題材に詩をかくのは野蛮である、と言ったそうである。それをもじって日本のドイツ文学者三島憲一は、南京虐殺で俳句を作ることは野蛮である、と言い換えたそうだ。俳句の「俳」は戯れの意であるが、「俳」の野放図をたしなめる倫理というものもある。
原勝郎『鞦韆考』(青空文庫)によると、ブランコは古代ギリシアにもあった。首をつって死んだ女性の祟りを封じるためにブランコを造って祭りで漕いだという神話がある。ブランコは古代ギリシアから古代ローマに伝わり、やがてヨーロッパに広がった。『鞦韆考』はブランコが祭祀の小道具から、大人の男女のエロティシズムの小道具になった例として、18世紀のフラゴナールの絵をあげている。
ブランコ遊びは中国へも広がり、春の女性の行事「鞦韆」として定着した。日本にももたらされたが、大人の鞦韆遊びは日本ではいっときすたれ、徳川時代になって俳諧の季語「鞦韆」として復活した。しかし現代では「鞦韆」は俳句以外では使われることの少ない言葉になった。鞦韆にとってかわった「ブランコ」は子ども公園にあり、遊園地のタワーから吊り下げられた電動空中ブランコは大人の男女がキャアキャアと歓声を上げる無機質な遊具になっている。
(2023.4.25 花崎泰雄)