橋下・新大阪市長と松井・新大阪府知事が12月7日、ボクシングの試合の前座をつとめ、リング上で「君が代」を歌った、というニュースを新聞で読んだ。この二人、来春の卒業・入学シーズンには、大阪の学校を駆け回り、君が代を歌って見せる「歌う首長」をやるつもりなのだろうか。
そんなに君が代と日の丸が好きなのであれば、市長と知事の公用車をSUVにして、市長や知事がお出かけのさいは車体にぎっしりと日の丸の旗を掲げ、大音量で君が代を流しながら御堂筋を走ったらどうだろう。また、市議会、府議会の開会式では、国旗を掲揚し、議員全員が起立して君が代を斉唱することを義務づけ、これに応じない議員を処分できる条例をつくってみてはどうだろうか。
2人が活動の母体にしている政党が「大阪維新の会」。いまどき古臭いこの維新という言葉は、王政復古の明治維新(Meiji Restoration)にあやかったものだろうか。それとも、軍国主義とファシズムが進行する中で、天皇親政運動に奔走した青年将校や右翼の「昭和維新」から来たものだろうか。あるいはたんなる司馬遼かぶれなのか。
大阪維新の会は会費1口千円のサポーターを募集中で、それを「志士」募集と銘打っているから、維新とはおそらくこれまでの常識どおりに明治維新のことであろう。
王政復古も天皇親政も右翼ナショナリズムの思想であるから、その伴奏として、日の丸・君が代が大好きである。戦後長らく生きてきたが、日の丸・君が代が好きだという左翼は知らない。
元来、戦争に負けたり、体制が変わったりした国では、国旗も国歌も変えている。ドイツを例にあげれば、ヒトラーが定めた第三帝国のハーケンクロイツの国旗は第2次大戦後に、廃止され、ドイツ国歌も時代に合わない1番と2番の歌詞が削られて、3番の歌詞だけが正式な国歌とされた。
日本も連合国に敗けたのを機に、君が代の歌詞を削って国歌を曲だけにし、例えば国旗を赤字に白丸と染め変える手もあった。歌詞のない国歌を持つ国の例としてはスペインがあり、赤字に白丸の国旗に近い雰囲気の国旗を持つ国の例としては(左から)パラオ、バングラデシュ、ラオスがある。
日本の場合、戦後も天皇制が維持され、君主国の体制は変更されなかった。したがって、国旗も国歌も(正確に言えば、君が代・日の丸は1999年に国旗及び国歌に関する法律ができるまでは法で定められた国旗・国歌ではなかった)変える理由がなかった。
話変わるが、道元は時の権力者に近づくことを潔く思わなかった。時の権力者・北条時頼から、寺を建ててさしあげるから鎌倉に留まっていただきたいと頼まれた時、道元は即座に鎌倉を去ったほど権力者と距離をおこうとした。
その後、越前の土地を永平寺に寄進するという時頼の書面を道元のもとに届けた僧に対して道元は激怒し、その僧を永平寺から追放し、彼が座禅に使っていた床を打ちこわし、あまつさえその床下の土まで掘り起こして捨てた。掘った深さは7尺に及んだ、と逸話はいう。
日本と違ってドイツはナチズムの過去について道元的潔癖主義を示している。日本の場合、例によって一億総ざんげで昭和軍国主義の記憶をうやむやにした。
そういうわけで、日本の左と右が日の丸・君が世をはさんで、相変わらずすったもんだともめている。それを好機として、いまや政治的に落ち目の左派をボクシングよろしくぶん殴って、格闘技で大衆のご機嫌を取ろうとしているのが、大阪市長と大阪府知事が率いる昭和維新の会である。インターネットのサイトで、リングで歌うお二人さんの写真を見ながら、その絵が象徴する日本社会の喜劇性に胸が痛んだ。
(2011.12.9 花崎泰雄)