ロシア正教会の最高指導者であるモスクワ総主教キリル1世(ウラジーミル・ミハイロビィチ・グンヂャエフ)がプーチンのウクライナ侵攻を支持し、ロシア軍の兵士を祝福している。日本のメディアもこの話題を取り上げている。戦争が膠着状態に入り、都市破壊、民間人殺戮といった話題にニュースの消費者が飽きを見せ始めたせいもあるのだろう。ロシアとウクライナの戦争はウクライナ正教会に対するロシア正教会の影響力を増大しようとする宗教戦争でもある、という見立ては、プーチン政権のウクライナ侵攻はよこしまな領土拡張政策であるという見方をカモフラージュする効果がある。
プーチンもグンヂャエフもサンクトペテルブルク出身である。グンヂャエフは2009年にモスクワの救世主ハリストス大聖堂で着座式を行ってキリル1世となった。着座式が行われた救世主ハリストス大聖堂は2000年に再建されていた。ロシア正教会の本山ともいうべきこの聖堂は、1931年に爆破されていた。爆破を命じたのはスターリンである。
権力は対抗勢力になりそうな組織の出現を嫌う。中国共産党政権が気功の組織である法輪功を危険団体として取り締まっているのも似たような恐怖感からだろう。日本の天草一揆もキリスト教が関係していなかったらあれほどの騒動にならなかった。幕府はキリスト教徒の背後には海外の国の陰謀があると感じていたのだろうか。織田信長が比叡山を焼き討ちにしたのは、仏教の僧侶が比叡山に逃れた浅井・朝倉の軍勢を差し出すように求めた信長に比叡山延暦寺の僧侶が応えなかったからだとされている。アメリカがオサマ・ビン・ラデンの身柄を要求したがアフガニスタンのタリバン政権はそれに応じなかった。そこでアメリカはアフガニスタンで戦争を始めた。
ロシア革命以後ボルシェビキは宗教を抑圧した。宗教がボルシェビキの権力維持を妨げる可能性を恐れた。ロマノフ王朝の時代、ロシア正教会がロマノフ王朝の支配の正当性を長らくにわたって農民に教え込んだ。ロシア皇帝の庇護の下で、正教は勢力を拡大した。ボルシェビキが権力を握ると、今度は革命勢力がロシア正教の教会を破壊した。空き家になった教会は倉庫として使われた。都市部の名高い聖堂は博物館になった。例えばサンクトペテルブルクのネフスキー大通りに面したカザン大聖堂は無神論の歴史博物館となり、聖堂での礼拝は禁じられた。
ソ連邦解体の後、信教の自由が徐々に回復し、博物館の一部を使っての礼拝が認められるようになった。政府によって占有されていた教会が正教会に返還された。教会の施設・不動産を取り戻し、献金で潤ったロシア正教会にとって、プーチンの時代はボルシェビキに奪われた富と影響力を取り戻すチャンスなのである。
ソ連邦が解体した1992年にウクライナが独立国になった。ウクライナではロシア正教会系の組織と、ウクライナ独自の組織が混在している。
17世紀の「三十年戦争」はドイツのキリスト教新教徒と旧教徒の宗教戦争として始まり、ヨーロッパの国際戦争に拡大した。この戦争の終結あたって取り決められたウェストファリア条約によって、主権国家が並立する現代のウェストファリア体制の原型がつくられたと国際政治学の教科書は説明する。
ウェストファリア体制は主権国家のうえに立つ組織がない世界である。核大国のロシアが隣国に侵攻して軍事力を誇示し、今は失ってしまったかつての栄光を取り戻そうとしている。政治権力の庇護の下で、キリル1世はプーチン政権の帝国主義的手法を祝福する。アナーキーな世界なのだ。
アメリカ大統領だったロナルド・レーガンは1983年のキリスト教団体の集会で当時のソ連を「悪の帝国」と非難した。冷戦の時代だった。冷戦初期に出版されたケネス・ウォルツの『人間・国家・戦争』で、ウォルツはこんなことを書いている――ソ連が戦争の脅威になっているというのは本当かもしれないが、ソ連が消滅すれば残る国家が平和に暮らせるというのは真実ではない。
ソ連は消えたがロシアは残り、ロシアがヨーロッパに戦争の火種を持ち込んだ。
ウクライナを訪れたオースチン米国防長官は「ロシアがウクライナ侵攻のようなことができないところまで弱体化する」のがアメリカの望みだと表明した。ロシアの弱体化がアメリカの戦略目標であると受け止めらる可能性のあるオースチン発言がプチーンを刺激し、生物化学兵器や戦術核兵器の使用へと走らせる恐れがある。バイデン米大統領は米軍機をウクライナ上空に飛ばすことはないと、早々と言明した。米ロの直接交戦を避けるためだ。一方で、国防長官が「弱いロシア」を望むと言えば、国際環境はかつての冷戦時代に逆戻りする。
(2022.4.27 花崎泰雄)