Podium

news commentary

Colonial rule, aggression, and apology

2015-04-30 19:54:30 | Weblog
日本国首相・安倍晋三氏が米国の上下両院合同会議で、現地時間4月29日に行った演説の全文が、日本の30日付朝刊に掲載された。朝日新聞は英文と日本文のテキストを対比している。米議会では英語で演説したので、英文が正文ということになろう。

演説の冒頭から4分の1にわたる部分では、もっぱら安倍氏の青年時代の私的アメリカ体験追想、日米関係の中で日本がアメリカから民主主義を学んだこと、第2次大戦で失われた米国人への追悼の気持と、アメリカの聴衆の気分をくすぐる話が展開された。

そのあと、

Post war, we started out on our path bearing in mind feelings of deep remorse over the war. Our actions brought suffering to the peoples in Asian countries. We must not avert our eyes from that. I will uphold the views expressed by the previous prime ministers in this regard.

と、アジア諸国に関する部分が短く続いた。安倍氏は日本文では「これらの点についての思いは歴代総理と全く変わるものではありません」と言っているので、以下、この点についての確認のため、戦後50年の村山談話と同60年の小泉談話を、外務省のサイトから引用してみよう。

まず、村山談話は、

During a certain period in the not too distant past, Japan, following a mistaken national policy, advanced along the road to war, only to ensnare the Japanese people in a fateful crisis, and, through its colonial rule and aggression, caused tremendous damage and suffering to the people of many countries, particularly to those of Asian nations. In the hope that no such mistake be made in the future, I regard, in a spirit of humility, these irrefutable facts of history, and express here once again my feelings of deep remorse and state my heartfelt apology. Allow me also to express my feelings of profound mourning for all victims, both at home and abroad, of that history.

となっている。

小泉談話は、

In the past, Japan, through its colonial rule and aggression, caused tremendous damage and suffering to the people of many countries, particularly to those of Asian nations. Sincerely facing these facts of history, I once again express my feelings of deep remorse and heartfelt apology, and also express the feelings of mourning for all victims, both at home and abroad, in the war. I am determined not to allow the lessons of that horrible war to erode, and to contribute to the peace and prosperity of the world without ever again waging a war.

村山・小泉両談話でつかわれた、colonial rule and aggressionという表現と、apologyという言葉が、今回の安倍演説では省略されている。

米国の人を対象にした米議会での演説と、世界に向けた日本国首相の戦後談話では性格が異なる。だが、安倍氏は中国・韓国が注視していた演説で、一方で歴代総理の見解を踏襲すると言いつつ、他方で中国・韓国にとって重要なキーワードを省略した。安倍氏の熟慮のうえの外交戦略、ないし戦術だろうか? あるいは、彼特有のナルシシズムの発作だろうか?

外交はそれぞれの国のナショナル・インタレスト、あるいはそれぞれの国の政権のインタレストがぶつかりあう場である。

安倍氏は米議会では、中国・韓国を対象にした「植民地支配」「侵略」「おわび」を直接口にしない方が、自らの政権のインタレストにかなうと計算したのであろう。逆に、中国と韓国の政権にしてみれば、それぞれのインタレストが無視されたと、当然、反発した。

歴代首相の見解を踏襲すると言いながら、中国と韓国のインタレストにとって重要なキーワードを省略したことは、両国にとっては喧嘩を売られたような気分だろう。日本と中国と韓国の政権同士の反発が、さらに日本のナショナル・インタレスト、あるいは米国のナショナル・インタレストの問題へと波及したとき、その火が燃え広がらないようコントロールできる能力があると安倍氏は思っているのだろうか。

これからさき、日中韓でひきつづきインタレストのぶつけあいを続けることになる。だが、この問題がそれぞれの国にとってどの程度死活的インタレストであるかを冷静に計り、どこかで妥協点を見つけなければならない時期がやってくる。

安保法制の諸法案は日本の議会ではまだ上程もされていない。だが、安倍氏は米議会で、安保法制を夏までに成就し、自衛隊と米軍の協力関係強化する、と約束した。議場を取り違えているのではないかという批判が、日本の野党から出ている。そう言う批判は出るのは覚悟のうえで、安倍訪米に「成功のレッテル」を張るための「対米すり寄り」の発言だった。したがって、アメリカの政治家たちは大いに喜んだ。世界の保安官役がだんだん重荷になってきているアメリカにしてみれば、新しい保安官助手の受諾声明を聞いた気分だったろう。

(2015.4.30 花崎泰雄)


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知性の欠如がもたらす鉄面皮

2015-04-22 13:23:33 | Weblog
 
社民党の福島瑞穂氏が参院予算委員会で、政府が進めている安全保障法制を「戦争法案」とよび、これに対して自民党が発言の修正を求めている。

日本国首相・安倍晋三首相は「レッテルを貼って議論を矮小化するのは断じて甘受できない」と福島氏に反論していた。

レッテルということになれば、「国際平和支援法案」も「戦争法案」と同程度のレッテルにすぎない。憲法9条は武力による威嚇又は武力の行使を国際紛争解決のための手段として用いないとしている。他国軍を支援するために自衛隊を海外に送ることは「平和支援」なのか。それとも「武力による国際紛争解決」なのか。憲法解釈の違いによって異なるレッテルが張られる。「鉄面皮」な自民党政権(福島氏の形容による)は、同氏に「あんたの憲法解釈はウチの解釈と異なるので修正しろ」と迫っているわけである。

自民党は自党の好みに合わないテレビの言葉遣いに放送法を持ちだして言いがかりをつけた。このたびは議会内での討論のさいの議員の信条に対するいちゃもんである。

日米開戦がきな臭く匂うようになってきたころのことだ。1938年の衆議院で「ヒットラーの如く、ムッソリーニの如く、あるいはスターリンの如く大胆に」と近衛文麿首相にエールを送った西尾末広議員が議員除名処分を受けた。「スターリンの如く」という発言は共産主義の奨励である、というのが理由だった。

1940年には帝国議会(という名前に変えられていた)で、斎藤隆夫議員が、有名な「反軍演説」を理由に除名された。

自民党をはじめとする国会議員の多くに見られる無知蒙昧さにはうんざりさせられる。2010年には自衛隊を、政治学の学術用語を使って「暴力装置」と語った当時の民主党政権の仙石由人官房長官がいちゃもんを付けられた。このことは当時のPodiumに書いているので、ついでにお読みいただきたい。

(2015.4.22 花崎泰雄)
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沈黙の螺旋

2015-04-12 00:59:25 | Weblog

今日(4月11日)の朝日新聞夕刊で素粒子がぼやいていた。

「テレビに放送法、国立大学に交付金、沖縄に復興予算。ちらりと背びれを見せればみな黙ると思っている一強ザメ」

権力がメディアにプレッシャーをかけることはよくあることだ。ずいぶん昔に読んだデービッド・ハルバスタム『ベトナム戦争』(泉鴻之、林雄一郎訳、みすず書房、1968年)を書棚から取り出して、該当の個所を探し出した。

1963年当時、ニューヨーク・タイムズ紙のサイゴン特派員だったハルバスタムは合衆国のベトナム戦争の不手際を書き続けていた。ハルバスタムのベトナム報道を快く思わないケネディ大統領が、新しくタイムズ社の社主に就任したアーサー・オックス・ザルツバーガーがホワイトハウスを表敬訪問したさい、まだ30代だったタイムズ社主に圧力をかけた。

『ベトナム戦争』によると、大統領と社主は次のような会話を交わしたという。

大統領「お宅のサイゴンにいる若い人についてどう思いますか」
社主「よくやっていると思います」
大統領「ニュース・ソースに近づきすぎ、関わり過ぎているとは思いませんか」
社主「関わりすぎていると思いません」
大統領「あの記者をどこか別なところに転勤させる考えはありませんか」
社主「現在の配置にきわめて満足しており、その問いへの答えはノーです」

この話にハルバスタムはこんな以下のオチをつけた。訳文を引用する。

<実はちょうどそのころ、私は2週間ほどの息抜きの休暇をとるはずだった。しかし、タイムズの名誉のために、この休暇が圧力に屈したととられることを懸念して、本社はこれをキャンセルした>

(2015.4.12 花崎泰雄)
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暗い予感

2015-04-06 00:48:01 | Weblog

第2次大戦後に、もの心のついた世代の多くは、歴史は暗黒世界から光明世界へと直進的に前進するのが当たり前だと思い込んでいる。

世界には暗黒と薄明の間を彷徨している国が多くある。軍出身の権力者を打倒したら、その権力の空白を宗教指導者が占め、それを嫌った軍部が指導者を排除して、再び軍を政治の前線に呼び戻す。

4月5日の日曜日、多摩の東京外国語大学・プロメテウスホールへ出かけて「シンポジウム・朝日新聞問題を通して考える――「慰安婦」問題と日本社会・メディア」を拝聴した。500人を収容できる大教室が満員になった。

議論は日本政府の、世界基準から外れてガラパゴス化された人権感覚、戦後例を見ない政治のメディア介入(安倍政権のNHKへのお友達の送り込み、自民党のテレビへの圧力)、秘密保護法、右派マスコミと政権による朝日新聞バッシングなど、予想されるトピックがとりあげられ、予想される観点から論じられた。

そんな中で、興味深かったのは、朝日新聞第三者委員会のメンバーで、海外メディアの慰安婦報道の盛り上がりは、朝日新聞の論調や吉田ニセ証言とは関係が薄く、むしろ安倍晋三日本国首相の存在と分かちがたく結びついているという、海外新聞の記事の内容分析(コンテント・アナリシス)結果をひき出した林香里氏(詳しい内容はこの欄の2014年12月24日付「寒々とした師走の風景」参照)と、個人としてバッシングにあっている植村隆氏の話だった。

シンポジウムのおわりに、論者全員がステージに並んで座り、会場からの質問に答えた。

20年ほどの歳月が一瞬にして消え失せ、筆者は1990年代前半のジャカルタでしばしば行われていた「プレスの自由」に関するシンポジウムの風景を思い出した。当時のスハルト政権が批判的だった3週刊誌・紙を発禁処分にしていた。スハルト政権の情報省からの新聞社幹部への事前検閲風の申し入れはしばしば行われていた。

民主化をめぐって繰り広げられるプレスと権威主義政治の軋轢をテーマに博士論文を書いていた当時の筆者にとっては、またとない参与観察の機会だった。インドネシアの高級日刊紙の記者は、インドネシアはコメの自給を達成したが、数年後に作柄不良でタイからコメを輸入することになったという記事を書いたら、その記事の見出しが「インドネシア、タイからコメ輸入」ではなく、「タイ、インドネシアにコメ輸出」となっていた、という話を聞かせてくれた。コメ自給を達成したというスハルトのメンツをつぶさないように、政府の顔色をうかがう編集幹部の生存のための知恵・婉曲語法だった。

この先、日本のメディアを子細に観察し続けると、同じようなパンチ力のない婉曲表現法の増加に気づくことになろう。パリのNGO国境なき記者団が発表した2015年の世界報道自由度ランキングでは、日本は61位(対象180ヵ国・地域)である。国境なき記者団の日本の報道についての評価は厳しいが、それでもかつては10位(2010年)を占めたことがある。

日本で呼吸している者が気づかない異臭が、海外の人にはにおうのかもしれない。その異臭に引かれてかつて筆者がジャカルタへ参与観察に出かけたように、間もなく、今度はインドネシアから研究者が日本にやって来て、「美しい国におけるプレスの自由崩壊過程」の参与観察をすることになるだろう。

(2015.4.5 花崎泰雄)
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