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news commentary

正月のつれづれに

2014-12-31 23:29:58 | Weblog

新年を迎えるにあたって、書棚から貝原益軒『日本歳時記』を取り出し正月の項を読んでみた。

できれば除夜から眠らず新年を迎え、顔を洗い髪を結い、浄衣礼服を着て、威儀容貌をかいつくろい、斎戒し香をたいて天地神祇を礼拝し、父母にまみえ、雑煮を食べ屠蘇酒を飲んで、手を洗い口をすすぐべし……古人は歯固めといって餅を食べた。なお、正月の夜夫婦の交わりをすると寿命を縮めると警告もしている。

正月に餅を食べるのは、堅いものを食べて歯を丈夫にし,長寿を願う意味合いだと百科事典にある。歯は「齢」の字に見られるように年齢を表す。英語圏でも同じで、

Don't look a gift horse in the mouth.

の決まり文句がある。

正月歯固めの餅は 平安時代から行われていたようだ。『源氏物語』第23帖「初音」に、

春の御殿の御前、とりわきて、 梅の香も御簾のうちの匂ひに吹きまがひ、 生ける仏の御国とおぼゆ。さすがにうちとけて、やすらかに住みなしたまへり。さぶらふ人びとも、若やかにすぐれたるは、 姫君の御方にと選りたまひて、すこし大人びたる限り、なかなかよしよししく、装束ありさまよりはじめて、 めやすくもてつけて、ここかしこに群れゐつつ、 歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り混ぜて、 千年の蔭にしるき年のうちの祝ひ事どもして、そぼれあへるに、 大臣の君さしのぞきたまへれば、 懐手ひきなほしつつ、いとはしたなきわざかなと、わびあへり

とあり、平安時代にはすでに餅をたべていたという証拠の文献になっている。餅は米作が中国南部か東南アジアから北上して日本に伝わったさい一緒にやって来た食習慣らしく、台湾や中国南部、インドシナ半島からミャンマーにかけての少数民族も餅をついて食べる習慣を保持しているそうだ。そういうわけで、日本の北海道が餅を食べる食文化の北限となる。

源氏物語・初音の「餅鏡」が何と翻訳されているか、にわかに興味がわいてきた。名訳といわれるサイデンスティッカーの “The Tale Of Genji” では「ここかしこに群れゐつつ……餅鏡をさへ取り混ぜて」が次のように翻訳されている。

……They were gathered in little groups, helping the New Year with its “teething,” taking New Year’s cakes…….

Teethingには “Yowai” means both “tooth” and “year.” The taking of certain New Year delicacies was therefore called “the firming of the teeth.” と脚注がついているが、肝心の餅がcakes/delicaciesになっちゃった。

Rice puddingは日本でもライスプディングでわかるが、餅はcakeでないとあちらではわからないということなんだろう。子どもに英語、英語と親からお役所までが狂奔する背景にはこの格差があるんだろうね。

(2015.1.1 花崎泰雄)
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寒々とした師走の風景

2014-12-24 22:36:51 | Weblog

2014年12月23日付朝日新聞朝刊に掲載された慰安婦報道を検証する第三者委員会の報告書(要約版)を読んだ。

なるほど、と思ったのは次の一文だった。

「民主主義社会において、『報道の自由』は、憲法21条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なものである。この点に鑑みれば、特定の新聞社のあり方の評価をメディアの外部に委ねることは、必ずしも最良の措置とは言えない」

報告書は、①虚偽だった「吉田証言」の誤報について、8月に過去の記事を取り消した際に謝罪をしなかったことは経営陣の誤った判断だった②ジャーナリスト池上彰氏のコラム掲載を見送ったのは、木村伊量前社長が掲載拒否を実質的に判断した、と認定した。

当時、朝日新聞の社内で働いていた経営・編集の幹部たちにとっては周知のことだ。にもかかわらず、第三者委員会を設けて調査を依頼したのは、①不祥事があった場合、多くの企業がやっている第三者委員会によるみそぎ効果を期待した②社内で決着をつけるだけの能力がなかった、のいずれかであろう。

要するに、マスコミュニケーションとジャーナリズムにおける編集権、経営権、報道の倫理といったテーマについての問題であった。

それがこれほどの大騒ぎになったのは、政治家とその取り巻きが朝日新聞の慰安婦問題報道で多くの日本人の名誉が傷つけられたと声高に叫んだからである。

安倍晋三首相は2014年10月6日の衆院予算委員会で、「個別の報道機関の記事については本来コメントをするべきではない、このように思いますが、しかし、この朝日新聞の慰安婦問題に関する誤報により、多くの人が苦しみ、そして悲しみ、そしてまた怒りを覚えたわけであります。そして、日韓関係に大きな影響、そして打撃を与えたとも言える、このように思います。そして、国際社会における日本の、日本人の名誉を著しく傷つけたことは事実であります。こうした誤報を認めたのでありますから、この記事によって傷つけられた日本の名誉を回復するためにも今後努力していただきたい、このように思います」と発言している。

朝日新聞の誤報がどの程度まで日韓関係に打撃を与え、国際社会における日本と日本人の名誉を傷つけたかについて、第三者委員会の委員の間で検証結果は3つに分かれた。

①日本軍が直接、集団的、暴力的、計画的に多くの女性を拉致し、暴行を加え、強制的に従軍慰安婦にした、という海外のイメージの定着に、吉田証言が大きな役割を果たしたとは言えないし、朝日新聞がイメージの形成に大きな影響を及ぼした証拠も決定的ではない。しかし、朝日新聞を中心に日本メディアが、韓国での慰安婦問題に対する過激な言説を「エンドース(裏書き)」することで、この問題での日本への批判に弾みをつけた(岡本行夫・北岡伸一)

②朝日新聞の吉田氏に関する「誤報」が韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとは言えない(波多野澄雄)

③一番説得力のある分析は林香里氏の仕事だった。同氏は、朝日新聞と吉田証言の影響力が限定的である一方で、慰安婦問題でもっとも発言が引用され、動静が注目され、議題設定力を握っていたのは安倍晋三首相だった、と結論した。その要旨は以下の通りである。

過去20年間の慰安婦報道について、英・米・独・仏の10紙(約600本の記事)と、韓国の全国紙5紙の記事、合計約1万4千本を対象に、「国際社会に対する朝日新聞による慰安婦報道の影響」について、定量的分析を行った。

その結果、欧米の報道機関による朝日新聞記事の引用数は31本に過ぎなかった。韓国では827本だった。吉田証言については、欧米の新聞の引用は3本にすぎず、韓国でも68本。そのうち、日本のメディアが情報源になっていたのは21本だった。海外メディアは朝日新聞を参照はするが、多くの情報源のうちの一つにすぎず、決定的インパクトがあるというわけではなかった。

朝日新聞と吉田証言の影響力が限定的であるのに対し、もっとも発言が引用され、動静が注目され、議題設定力を握っていたのは、安倍晋三首相であった。慰安婦問題における情報源としての安倍首相の発言引用記事数96本、報道全体での言及頻度1,141回と、他を圧倒した。政権ごとの報道量の変動を見ると、第1次、第2次安倍政権時に際立って量を伸ばしていることがわかった。

報告書が他所で指摘している朝日新聞の経営陣の判断の誤り、および報道プロセスの数々の問題点そのもののインパクトを減ずるものではないが、朝日新聞の報道が国際社会に与えた影響は限定的であった。

以上が林氏の定量的分析の結論だが、同氏はさらに重要な指摘をした。「国際社会では、慰安婦問題を人道主義的な『女性の人権問題』の視点から位置づけようとしていることが見てとれた。他方で、日本国内の議論では、ほとんどの場合、日韓や日米などの『外交問題』、および『日本のイメージの損失』など、外交関係と『国益』の問題として扱われている」

つまり、安倍首相とその追随者たちが国益・外交の観点から慰安婦問題につて発言するたびに、海外のメディアは女性の人権問題の視点から日本の政治指導者の発言を批判的に報道する。その繰り返しであった。林氏が指摘したように、この問題で議題設定のタネをまき続けたのはマスメディアではなくて、日本国首相その人だった。

このあたりまで読み進むと、日本のジャーナリズムと政治の寒々とした冬枯れの風景が眼の前に広がってくる。

そこのところを、委員の一人保阪正康氏は「慰安婦問題の本質は『軍隊と性』である。もっとかみ砕いて言うなら『軍隊と性病』と言っていい」と前置きし、「今回の慰安婦問題は、その管理に軍がどういう形で関与したか、慰安婦募集に強制があったかなかったか、さらにそこに植民地政策に伴う暴力性があったか否かなどの検証であったが、あえて言えば一連の慰安婦問題は全体の枠組みの中の一部でしかない。一部の事実を取り上げて全体化する、いわば一面(点)突破全面展開の論争でしかなく、私は委員の一人として極めて冷めた目で検証にあたったことを隠すつもりはない」と、まことに的確な感想を以下のように述べている。

「1990年代の朝日新聞の慰安婦報道は、むろん朝日だけではなく、各紙濃淡の差はあれ、同工異曲の報道を続けていた。ありていに言えば、朝日はその中で、事実誤認を放置したことや取材対象者との距離のとり方が極めて偏狭だったことは事実である。私見では、他紙と比べると慰安婦報道へのアプローチが積極的であり、それゆえに他紙は誤認の汚名を免れた側面もあるように思う」「朝日報道への批判の中に、むしろ歴史修正主義の息づかいを感じて、不快であったことを付記しておきたい」

(2014.12.24 花崎泰雄)
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カーテンコール

2014-12-14 23:01:05 | Weblog

12月12日、所用あって本郷・菊坂あたりに行き、ついでに菊坂コロッケを買った。あげたてのコロッケの匂いがプンプンする袋を下げて神保町へ行った。近くで「土井たか子さん、ありがとう! 思いを引き継ぐ集い」をやっていた。

いろんな人が壇上に立って土井たか子のことを語った。安倍身勝手解散による衆院選挙の投票日が2日後に迫っていた。壇上に立つ土井たか子ファンや社民党シンパは安倍自民党の専横を慨嘆し、この頃のはやり言葉なのだろう「今だけ、カネだけ、自分だけ」と世相を憂い、安倍晋三と自民党の手口に怒りを爆発させ、やるせない気持ちを「失望するが、絶望はせず」「あと10年たったら違う日本を」と声を絞った。

会場からは「そうだ!」の声や拍手があがった。だが、会場を埋めていたのは社会党が野党第一党だったころの支持者OGやOBがほとんどだった。去りゆく世代であり、これから先、中心になって土井たか子の思いを引き継でくれる若い世代の姿はそこにはなかった。

集会が終って会場をでると、引き継いでほしい世代は、神保町の飲食店の席をしめ、週末の夜を楽しんでいた。

さて、14日の衆院は戦後最低の投票率で、その開票結果は、事前の選挙情勢結果のとおり自民党の圧勝に終わった。

安倍自民党は安全保障・自衛権、原発関連の問題を総選挙の争点としてテーブルに並べず、引出しにしまったうえで選挙戦を繰り広げた。野党の側には、それらの問題を引き出しから引っ張り出して、机の上におかせるだけの意欲も気力も才覚もなかった。

それらの諸問題は自民圧勝を受けて、これから具体的な形で出てくる。勢いづいた安倍晋三は憲法改正への動きも再開するだろう。

先の戦争でひどい目にあった人々が憲法9条を擁護した。その世代は、まもなく老兵のごとく消え去るだろう。つらい記憶がうすれれば、人間はまた同じことを繰り返す。人間がもしそうでない生き物だったとすれば、トロイ戦争このかたずっと戦争ばかり続けるようなことはしてこなかっただろう。

土井たか子をカーテンコールで呼び戻したところで、流れが変わるわけではない。「かくすればかくなるものと知りながら」人間は愚行を繰り返すのだ。破局が見えているのに、誰もその進行を止めることができない。これがギリシャ悲劇の核心である。

トロイの王女カサンドラは「木馬を城内に入れてはならぬ」と叫んだが、誰もその警告を聞き入れなかった。トロイが戦に敗れたのちカサンドラはアガメムノンにさらわれ、ミケーネに連れて行かれた。そこでも彼女は「この館には人殺しと滴る血の気がこもっている」とアガメムノン暗殺を予言するが、信じる者はひとりとしていなかった。カサンドラはアポロンから予言の能力を与えられたが、同時に、「その予言を誰も信じない」と呪いをかけられていた。

12月12日夕、土井たか子のカーテンコールに集まったOGやOBは、カサンドラの気持ちだったに違いない。

(2014.12.14  花崎泰雄)



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