朝日新聞5月21日付朝刊でこんな記事を読んだ。
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は5月20日、同月17日に「やめる」と表明した囲み取材を再開した。「市長を辞めるまで受けないわけにはいかない。期間があくと、(再開に)自分のメンツを気にしていろんな理由をつけなければならない。早く再開してしまった方がいいと(思った)」と理由を説明した。
ま、そうだろう。メディアに対する不満が爆発して、囲み取材を受けない、とは言ったものの、たとえその発言が “outrageous and offensive” といわれようと、彼の言葉をメディアが流さなくなってしまえば、それは橋下にとって致命的だ。一介の茶髪の弁護士が、あっという間に衆議院で50以上の議席を占める政党の共同代表になれたのも、メディアにのって大衆の空気をつかみ、それを政治的浮揚力に使う才覚があったからだ。だが、ここにきて、気分も発言もあまりにハイになり、ついにイカロス的失速を招きそうになった。軌道修正するにしても、やはりメディアが必要だ。
むかしアメリカ合衆国に、もっと愚劣で、アメリカ民主主義の歴史に深刻な汚点を残したデマゴーグがいた。
お察しの通り――そう、赤狩りのマッカーシー上院議員だ。あのころのアメリカのメディアはマッカーシーの共犯者だった。アメリカではマッカーシーとジャーナリズムについて、多くの本が書かれてきたが、その中の1冊、R.H. ロービア『マッカーシズム』(岩波文庫)にこんなことが書かれている。
マッカーシーは無から新聞記事を生み出す方法を知っていた……午後に記者会見をするという予告の発表を午前中に行う。すると、新聞は「新しいマッカーシーの暴露、首都で期待」と書く。午後になって発表するような材料がない場合は、必要な文書の入手が若干難航しているという。それが翌日「マッカーシーの新事実おくれる模様」という記事がちゃんと朝刊にでる(同書215ページ)。上院議員であるマッカーシーが反逆、スパイ、汚職といった批判をすればそれは報道せねばならないニュースである。どの「事実」が本当に「事実」で、どの事実はそうでないということを読者に教える権限を新聞記者に与えることは出来ない。メディアが彼をうそつきと呼ぶためには、誰かが彼を嘘つきと呼ばねばならなかった。対策は読者にとってもらう以外にない(同書218-219ページ)。
産経新聞(電子版)によると、橋下は在日米軍に風俗業の活用を求めた発言に関し「米軍の性暴力が米国でも問題になってきた。結果が良ければそれでいい」と発言したそうだ。
「米軍の性暴力が米国でも問題になってきた」という橋下の指摘が、具体的に何を指しているのか新聞記事では不明だ。
ひょっとすると、ペンタゴンが発表した「米軍内の性暴力統計」のことだろうか。
調査によると、2012年度中に米軍内部での性暴力の被害者になった軍関係者が26,000人に達したという報告である。ワシントンの地元紙の報道によると、被害者はほぼ男女半々だそうだ。この軍の内部調査は以前から続けられており、問題になったのは被害者数が前年度に比べて急増したからだ。米軍内部の兵士同士の性暴力の話で、橋下の沖縄風俗業活用提言とは何のかかわりもない。
もしそうだとすると、三百代言的言辞である。
昨今、新聞は眼光紙背に徹する気構えで読まねばならない。
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