ジョン・コルトレーン(1926-1967)が死んで51年目の今年、彼が1963年にスタジオ録音したアルバムが発売された。おや、と驚き、CDを購入し、コルトレーン最盛期の音を懐かしんだ人が多かったに違いない。
Both Directions at Once: The Lost Album である。 コルトレーン畢生の名作とされる A Love Supreme の2年前の録音だ。1963年3月6日、ジョン・コルトレーン(サキソフォン)、マッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラム)のカルテットがニュージャージーのルディー・ヴァン・ゲルダー・スタジオで収録した。
収録はしたもののあいにくとアルバムになって発売されることはなく、原盤はレコード会社・インパルスの倉庫に入れられ、やがて廃棄された――したがってザ・ロスト・アルバム。
1960年代の初めコルトレーンはすでに時代の最先端を走るモダン・ジャズの売れっ子プレーヤーだったが、レコード会社は「当面、売れ筋にはならないだろう」と判断したのかもしれない。
スタジオで録音ののち、ステレオ録音の原盤はレコード会社にわたされ、モノラルの録音テープがコルトレーンに手渡された。コルトレーンはそれを自宅に持ち帰った。1996年にコルトレーンは妻のフワニータ・ナイーマ・グラブスと離婚。録音テープは別れた妻が保管していた。
レコード会社のプロモーションもあって、このアルバムのリリースは米国ではニューヨーク・タイムズをはじめとする新聞の記事になった。日本でも朝日新聞が記事にした。その記事を読んで、私も半世紀を経て発見された幻の名盤を買い求めた。
コルトレーンの遺品はナイーマの死後、娘のサイーダが保管していたが、サイーダが遺品の一部をオークションに出そうとしたとき、インパルスを引き継いだヴァーヴの知るところとなった。
因縁話はこの程度にして、さて、アルバムの中身だが、正直なところ私はそれほど楽しめなかった。求道的な姿勢でアメリカのモダン・ジャズを聴いてきた人とちがって、私は気楽にジャズを聴いてきた。だから、基本的には、コルトレーンよりはソニー・ロリンズ、マイルス・デイビスよりはクリフォード・ブラウンのスタイルが好みだ。
とはいうものの、マイルスと組んでいた頃のコルトレーンは嫌いじゃなかった。1957年に発売された ‘Round About Midnight などのコルトレーンは、後年のコルトレーン節のはしりのような難解なフレーズをちらつかせたものの、全体としてメロディアスでのびのびとスィングしていた。
マイルスから離れて自分のコンボを持つようになってからは、常に新しい音を探求する修行僧のような、荒々しさと痛々しさが同居する演奏法を深めていった。コード奏法の束縛を遁れてモード奏法に移り、今度はモード奏法そのものを超える道を探った。その過程で、コルトレーンの音楽は実験的な音をさぐる現代音楽に変わっていった。犠牲になったのはジャズの居心地のよさだった。
半世紀ぶりにこの世に現れたアルバムBoth Directions At Once を聴いていてすこしばかり楽しめた曲がこの小文のタイトル に使った ‘Untitled Original 11386’ だった。11386はインパルスの録音番号をそのまま曲名に代えたものである。
曲中で繰り返さえる短い旋律は、秋吉敏子のアルバム『ホープ』の中の、盆踊りソングに似た曲「広島節」の気分と共通のユーモアが感じられて面白かった。現代音楽家・ジョン・コルトレーンがアフリカの音に傾倒して作り上げたメロディーが、日本の盆踊り歌のそれと似ていたという偶然が楽しい。
やあやあ、そしてまあまあ、とあちらこちらではなしにはなが
(小野フェラー雅美『とき』 短歌研究社)
(2018.12.24 花崎泰雄)