東京都知事選挙で田母神俊雄元航空幕僚長が61万票を集めた。その理由を2月12日付朝日新聞朝刊が分析していた。手短に言えば、従来の保守層よりも過激で愛国的なネットユーザーたちである「ネット保守」の支持があったと思われる、という論旨である。
この61万票は、超保守派の安倍首相のカムバックで右旋回を始めた日本の政治が、今後さらに鋭い角度で右方向へ曲がって行く可能性があることを示している。
朝日新聞によると、26歳の会社員の男性は「歴史の真実はわからないが、田母神氏のように考えれば誇りが持てる」、25歳の会社員の女性は「平和を守る気持ちを維持するため、靖国神社を参拝すべきだ」、21歳の大学生の男性は「ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた」と語っている。
田母神氏が航空幕僚長を更迭されるきっかけになった懸賞論文「日本は侵略国家であったのか」は、現代史に不案内な人たちに「元気の素」として受け入れられる要素がある。
論文といってはいるが、論文の構成・記述の仕方、適切な参照資料・文献の少なさなど、レベルとしては高校上級生、あるいは大学学部新入生程度のものだ。次のサイトで読める。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
この文章の中で、田母神氏は次のような主張をしている。
①我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである②もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない③イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった④日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。⑤もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。⑥タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
インターネットの中でナンセンスな気勢をあげている無邪気なネット保守層の耳に心地よく響く主張である。だが、③はある種の居直りで、①③④⑤⑥の主張にはその根拠になる証拠は何も示されていない。③については、マハトマ・ガンディーはロンドンの法律学院を卒業して弁護士資格を取り、ジャワハルラル・ネルーはイギリスの名門ハーロー校、ケンブリッジ大学で学んでいる。④と⑤は、仮定と結論を結ぶ論理が、まるで落ちた橋のように断絶しており、根拠のない妄想にすぎないとしか論評しようがない⑥については、日本の外務省が行った2002年の「ASEAN諸国における対日世論調査」が参考になる。それによると、第二次世界大戦中の日本については
●「悪い面はあったが、今となっては気にしない」と考える人が、 インドネシア:44% マレーシア:50% フィリピン:51% シンガポール:62% タイ:45% ベトナム:71%。
●「悪い面を忘れることはできない」 が、インドネシア:25% マレーシア:22% フィリピン:33% シンガポール:31% タイ:18% ベトナム:12% 。
外務省のASEAN調査の結果は、第2次大戦中の日本の悪い記憶が時間の経過とともに薄れていることを示している。外務省が第2次大戦中の日本についての「よい評価」をたずねなかったのは、外務省は田母神氏よりはるかに現地の事情に詳しく、そのような設問は現地では成立しえないことを知っているからである。田母神氏は何を論拠に⑥のような主張をしたのだろうか。
ヨーロッパでも潮の流れは右寄りだ。右翼政党が選挙で伸びを見せている。オーストリアでは自由党が国会で34議席をすでに獲得している。スウェーデンではスウェーデン民主党が20議席、ハンガリーでは極右ヨビック党が47議席、フィンランドでは真実のフィンランド人党が39議席、オランダでは自由党24議席を獲得している。フランスでは、ジャン‐マリ・ルペンから娘のマリーヌ・ルペンに引き継がれた右翼の国民戦線、ドイツでは国民民主党が勢いづいている。
ヨーッロパにおける極右政党の伸長の理由は、既成の政党に対する不満、仕事を奪う移民やムスリムに対する反感、力を増すEUによってかつての国民意識が風化されることへの恐れ、などが背後にあると識者は指摘する。
日本の場合、覇権主義の度合いを増す中国、突っ張る韓国、あてにならない米国、そうした環境の中でグローバリゼーションと新自由主義経済によって貧困化してゆく若年層、そして歴史の教訓に疎い人々が、「誇りを持ちたい」と右傾化の波に乗る。貧しく現状に不満な人々は、未来を考えることができず、過去に栄光の幻を見ようとするのである。
問題は、こうした右へ右へと傾く政治のバランスをとるための、まっとうな左翼勢力が、今の日本で払底していることであろう。
(2014.2.12 花崎泰雄)