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セロニアス・モンクを偲んで

2024-02-18 00:45:14 | 社会

2月17日はセロニアス・モンクの命日だった。CDの棚から『パロ・アルトのモンク』を取り出して聴いた。モンクは脳梗塞で1982年2月17日に死んでいる。彼は1970年代には演奏から遠ざかった。『パロ・アルトのモンク』は1968年の収録なので、彼の演奏歴としては晩年のものになる。

1968年は動乱の年だった。米国のベトナム撤退を決定づけたテト攻勢があった。マーティン・ルーサー・キング牧師がメンフィスで暗殺された。ロバート・ケネディ上院議員がロサンゼルスで暗殺された。彼は大統領選挙の選挙活動の最中だった。

ビアフラの戦争で大勢の餓死者が出た。チェコスロバキアでドプチェク氏を中心に「プラハの春」運動がおこった。この民主化の動きを封殺するためにソ連がワルシャワ条約軍をプラハに送り込んだ。

メキシコ・オリンピックでは、米国のアフリカ系選手が、こぶしをつきあげて「ブラックパワー」を世界に告げた。

米国内の大学で始まったベトナム戦争に反対し、大学の権威主義に抗議する姿が世界に流された。いわゆるスチューデント・パワーはパリでは「5月革命」とよばれるほどの政治危機をもたらした。

新左翼系の学生運動はヨーロッパに広がり、日本でも燃え上がった。

1968年はそのようなにぎやかな年だった。

サンフランシスコから車で1時間ほどのところにパロ・アルトというこじんまりとした町がある。町はスタンフォード大学やシリコンバレーと隣接している。パロ・アルトの16歳の高校生ダニー・シェアが仲間たちとハイスクールの学園祭の催しとして、セロニアス・モンクのカルテットを招いて演奏会をやりたいと思いつき、モンクのエージェントと交渉を始めた。

キング牧師の暗殺を始め、世界中に広がった社会的な動揺に心をいためる高校生の気持ちに応えてモンクが出演を快諾した。演奏は1968年10月27日パロ・アルト高校の講堂で行われた。

入場料2ドル。2ドルでモンクが聴ける時代があったのだ。

この時のコンサートを録音したテープが発見され、2020年に「インパルス」から発売された。モンクの音楽は懐メロにはなりにくいが、当時、記者稼業を始めて間もなくの筆者は日本の学生運動の若者から「ブル新の走狗」よばわりされ記憶があり、モンクがたたく鍵盤に誘われて昔の記憶がよみがえった。

モンクは64歳で死んだ。ロシア極北の監獄で死んだアレクセイ・ナワルヌイ氏は47歳だった。

(2024.2.18 花崎泰雄)

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歴史が逆流を始めた

2024-02-12 23:17:23 | 政治

ウクライナのゼレンスキー大統領がウクライナ軍のザルジニー司令官を解任した。ロシア軍に占領された地域の奪還が進まないことで、両者の間に確執があったという観測記事が流れたが、詳しいことはわからない。

アメリカの大統領選挙に出馬予定のトランプ前大統領の側近である元テレビ司会者タッカー・カールソン氏がロシアに行きプーチン大統領と面談した。ウクライナとロシアの戦争は24時間で止めることができる、と法螺を吹いたトランプ氏と、ロシアのウクライナ侵攻を正当化しようとするプーチンの思惑が一致し、カールソン氏がメッセンジャーをつとめたヤラセ番組のように見えるが、これも詳しいことは報道されていない。

バイデン米大統領が副大統領時代に機密文書を自宅に持ち帰っていた問題で、ロバート・ハー特別検察官はこの件でバイデン大統領を訴追しないと公表した。ついでにバイデン氏のことを「高齢で記憶力が乏しい」と評した。むかしブレジネフ政権下のソ連・モスクワで、泥酔した市民がブレジネフはバカ者だと叫びながら通りを歩いていたところ、物陰から秘密警察が現れて、国家機密漏洩でその市民を逮捕した。市民はブレジネフがバカ者だと言っただけだと抗議した。秘密警察は答えて曰く。「それが国家機密なのだ」。古い政治冗談。

トランプ氏の2023年中の政治献金のうち約70億円以上が彼自身の裁判費用に充てられていた、とアメリカで報道された。トランプ氏が裁判まみれになっているのは明らかだが、どのような手品を使えば政治献金が裁判費用に使えるのか、日本の新聞を読んでいる限り種明かしの説明はない。それにしてもアメリカの弁護士費用は途方もない額だ。

2月14日にインドネシア大統領選挙が行われる。ジョコ政権のプラボウォ国防相がジョコ大統領の息子でスラカルタ市長のギブラン氏を副大統領に立てて3度目の大統領選挙に挑む。現地の世論調査会社の調査ではプラボウォ氏の支持は50パーセントを超えているとか。2月12日の朝日新聞朝刊はインドネシア大統領選挙候補者の紹介でプラボウォ氏について「過去の人権侵害事件に関与した疑い」と書いている。参考までに英紙ガーディアンの記事をどうぞ。

https://www.theguardian.com/world/2024/jan/09/indonesia-election-prabowo-subianto-rebranding-kidnapping-accusations

30年も前の事だが、ソ連の崩壊を目撃したフランシス・フクヤマ氏は『歴史の終わり』を書いて一躍時の人になった。歴史とは民主主義と共産主義の政治イデオロギー上の対決過程であり、それは民主主義の勝利となり、歴史は終わった。そういう趣旨だった。終わったはずの歴史が、今度は逆流を始めている。歴史の勝利者であるはずのアメリカにはトランプ氏が頭をもたげ、敗者となったソ連後継のロシアにはプーチン氏が現れた。プーチン氏はNATOによるロシア包囲を恐れてウクライナに侵攻した。トランプ氏は大統領在任中にNATO加盟国に対して防衛費の増額を要求し、それに応えない国にはロシアに容赦ない攻撃してもらうと告げたことがあった、とさきごろ共和党の集会で公言した。ホワイトハウスは正気の発言ではない、と驚きの声明を出した。

日本では政治パーティー券と統一教会の問題に関わった自民党議員が次々と明るみに出て、自民党は与党の機能をはたせなくなっている。日米戦争の日本敗戦を機に、占領軍のアメリカが種をまいた戦後民主主義の生育過程が終わり、日本の政治過程が昭和・大正・明治へと先祖返りしている不気味さがある。

(2024.2.12 花崎泰雄)

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北方領土

2024-02-04 00:21:00 | 政治

第213回通常国会が始まった。永田町や霞が関を闊歩してきた自民党の派閥の議員たちがうなだれている。テレビが彼らを日本の政治の後進性の象徴のように映し出す。そのうえ派閥・麻生派を率いる自民党副総裁の麻生太郎氏が女性の外務大臣について「そんなに美しい方とは思わない」などと言ったことも国会本会議の質問で取り上げられた。麻生氏はシャッポをぬいで(シャッポはフランス語由来だが、麻生氏愛用のボルサリーノはイタリア製)発言を取り消すしぐさをした。能登地震などの問題を抱える深刻な国会審議だが、自民党派閥裏金問題から生じた失笑国会でもある。

お笑いは日本の国会だけではない。1月31日の朝日新聞夕刊によると、ロシアのメドベージェフ前大統領が、日本の岸田首相が1月30日の施政方針演説で、ロシアとの領土問題解決や平和条約締結に触れたことを受けてSNSで言った。「いわゆる北方領土についての『日本人の感情』は知ったことではない。それは『係争中の領土』でなく、ロシア(の領土)だ……特に悲しむサムライは、伝統的な日本の手法で人生を終えればいい。切腹だ。もちろん勇気があればだが」。

おりしも2月7日は政府がきめた「北方領土の日」である。ウクライナに対して侵略戦争を続けているロシアとしては、軍事的侵略で獲得した土地の返還交渉に応じるようなそぶりを見せるには今は具合が悪い。

日本の外務省は①日本とロシアは、1855年の日魯通好条約で択捉島とウルップ島の間に国境線をしいた②樺太千島交換条約(1875年)で日本は千島列島(千島列島最北端のシュムシュ島からウルップ島までの18島)をロシアから譲り受け、かわりにロシアに対して樺太全島を引きわたした③日露戦争後のポーツマス条約(1905年)で、日本はロシアから樺太の北緯50度以南の部分を譲り受けた④1951年9月のサンフランシスコ平和条約で、日本はポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄した、と経緯を説明している。

1951年の平和条約は第2条(c)で「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」としている。放棄した千島列島には、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島は含まれていない、と日本は主張し、ロシアは択捉・国後・色丹・歯舞も千島列島の一部だと主張している。

サンフランシスコ平和条約の条文に関して、日本はこれらの島は千島列島に含まれないと米国側に説明したが、結局、平和条約の条文は、”(c) Japan renounces all right, title and claim to the Kurile Islands, and to that portion of Sakhalin and the islands adjacent to it over which Japan acquired sovereignty as a consequence of the Treaty of Portsmouth of September 5, 1905.”とされた。当時のソ連はサンフランシスコ平和条約に調印しておらず、また、条約は日本が放棄した千島列島の帰属先も明示していない。 日本がポツダム宣言を受諾した後に、千島列島に兵を進めたソ連が、北方4島を実効支配する形になり、それを現在のロシアが継承している。歯舞群島の貝殻島周辺にコンブ漁に出る北海道の漁船はロシアに入漁料を支払い、安全操業の目印に漁船の船体に赤いペンキを塗っている。

サンフランシスコ平和条約から70年余、その間ソ連・ロシアは歯舞・色丹の返還を考慮してもいいようなそぶりを示したこともある。日本は、国後・択捉は国際的了解では千島列島の一部であるが、歴史的には日本の領土であるとい主張を続けた。その一方で、国後・択捉を含む南千島という呼称は千島列島の権利を放棄した平和条約の条文と領域の面で混乱を生むという理由で「北方領土」という言い方に変更した。この言い方の方が日本国民から「情」を引き出しやすいからだ。サンフランシスコ平和条約第3条は「日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」と範囲をきっちり規定している。いわゆる北方領土問題の問題点は、放棄する権利の対象としての千島列島の範囲を示さないままで平和条約に調印したことである。

外交的な失態ではあるが、目の前には「独立回復」と「国際社会」への復帰というニンジンがぶら下がっていた。

フォークランド諸島は1833年以来英国の支配下にあり、グアンタナモ基地は1903年に米国がキューバから永久租借している土地である。ジブラルタルは1713年からイギリスの海外領土だ。フォークランド諸島をめぐっては1982年にアルゼンチンとイギリスが戦争している。グアンタナモ基地はキューバが返還を求めている。ジブラルタルはスペインが領有権を主張している。

プーチン政権のあとのロシアがどんな外交方針を採用するかわからないが、北方領土と日ロ平和条約締結の交渉は、その時までは動き出さないだろう。日本の北方領土、フォークランド、グアンタナモ基地、ジブラルタル、どの問題解決が早いだろうか。

(2024.2.3 花崎泰雄)

 

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