第213回通常国会が始まった。永田町や霞が関を闊歩してきた自民党の派閥の議員たちがうなだれている。テレビが彼らを日本の政治の後進性の象徴のように映し出す。そのうえ派閥・麻生派を率いる自民党副総裁の麻生太郎氏が女性の外務大臣について「そんなに美しい方とは思わない」などと言ったことも国会本会議の質問で取り上げられた。麻生氏はシャッポをぬいで(シャッポはフランス語由来だが、麻生氏愛用のボルサリーノはイタリア製)発言を取り消すしぐさをした。能登地震などの問題を抱える深刻な国会審議だが、自民党派閥裏金問題から生じた失笑国会でもある。
お笑いは日本の国会だけではない。1月31日の朝日新聞夕刊によると、ロシアのメドベージェフ前大統領が、日本の岸田首相が1月30日の施政方針演説で、ロシアとの領土問題解決や平和条約締結に触れたことを受けてSNSで言った。「いわゆる北方領土についての『日本人の感情』は知ったことではない。それは『係争中の領土』でなく、ロシア(の領土)だ……特に悲しむサムライは、伝統的な日本の手法で人生を終えればいい。切腹だ。もちろん勇気があればだが」。
おりしも2月7日は政府がきめた「北方領土の日」である。ウクライナに対して侵略戦争を続けているロシアとしては、軍事的侵略で獲得した土地の返還交渉に応じるようなそぶりを見せるには今は具合が悪い。
日本の外務省は①日本とロシアは、1855年の日魯通好条約で択捉島とウルップ島の間に国境線をしいた②樺太千島交換条約(1875年)で日本は千島列島(千島列島最北端のシュムシュ島からウルップ島までの18島)をロシアから譲り受け、かわりにロシアに対して樺太全島を引きわたした③日露戦争後のポーツマス条約(1905年)で、日本はロシアから樺太の北緯50度以南の部分を譲り受けた④1951年9月のサンフランシスコ平和条約で、日本はポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄した、と経緯を説明している。
1951年の平和条約は第2条(c)で「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」としている。放棄した千島列島には、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島は含まれていない、と日本は主張し、ロシアは択捉・国後・色丹・歯舞も千島列島の一部だと主張している。
サンフランシスコ平和条約の条文に関して、日本はこれらの島は千島列島に含まれないと米国側に説明したが、結局、平和条約の条文は、”(c) Japan renounces all right, title and claim to the Kurile Islands, and to that portion of Sakhalin and the islands adjacent to it over which Japan acquired sovereignty as a consequence of the Treaty of Portsmouth of September 5, 1905.”とされた。当時のソ連はサンフランシスコ平和条約に調印しておらず、また、条約は日本が放棄した千島列島の帰属先も明示していない。 日本がポツダム宣言を受諾した後に、千島列島に兵を進めたソ連が、北方4島を実効支配する形になり、それを現在のロシアが継承している。歯舞群島の貝殻島周辺にコンブ漁に出る北海道の漁船はロシアに入漁料を支払い、安全操業の目印に漁船の船体に赤いペンキを塗っている。
サンフランシスコ平和条約から70年余、その間ソ連・ロシアは歯舞・色丹の返還を考慮してもいいようなそぶりを示したこともある。日本は、国後・択捉は国際的了解では千島列島の一部であるが、歴史的には日本の領土であるとい主張を続けた。その一方で、国後・択捉を含む南千島という呼称は千島列島の権利を放棄した平和条約の条文と領域の面で混乱を生むという理由で「北方領土」という言い方に変更した。この言い方の方が日本国民から「情」を引き出しやすいからだ。サンフランシスコ平和条約第3条は「日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」と範囲をきっちり規定している。いわゆる北方領土問題の問題点は、放棄する権利の対象としての千島列島の範囲を示さないままで平和条約に調印したことである。
外交的な失態ではあるが、目の前には「独立回復」と「国際社会」への復帰というニンジンがぶら下がっていた。
フォークランド諸島は1833年以来英国の支配下にあり、グアンタナモ基地は1903年に米国がキューバから永久租借している土地である。ジブラルタルは1713年からイギリスの海外領土だ。フォークランド諸島をめぐっては1982年にアルゼンチンとイギリスが戦争している。グアンタナモ基地はキューバが返還を求めている。ジブラルタルはスペインが領有権を主張している。
プーチン政権のあとのロシアがどんな外交方針を採用するかわからないが、北方領土と日ロ平和条約締結の交渉は、その時までは動き出さないだろう。日本の北方領土、フォークランド、グアンタナモ基地、ジブラルタル、どの問題解決が早いだろうか。
(2024.2.3 花崎泰雄)