憲法第7条は、天皇が内閣の助言と承認にもとづいておこなう国事行為をいくつか定めている。
「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」については、例えば憲法改正の場合、内閣の助言以前に、やらねばならないことがある。憲法96条は「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」としているので、一内閣の助言と承認だけでは、天皇は憲法改正を公表できない。
「国会を召集すること」は憲法53条が「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」としているので、天皇は内閣の助言と承認により、国会を召集できる。だが今回、議員の要求にもかかわらず、内閣は召集の決定を渋った。
さて目下話題の「衆議院を解散すること」だが、憲法69条は「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」としている。この条文には不明確な部分がある。「総辞職をしなければならない」の主語は「内閣は」であるが、「10日以内に衆議院が解散されない限り」は受動態の文章であり、衆院解散の行為の主体が不明確である。不明確ではあるが前後の脈絡から、内閣は衆院を解散するか、総辞職するかの二者択一をしなければならないと了解されてきた。この69条をふまえて、7条によって天皇が衆議院の解散を儀礼的に宣するばあいは、憲法改正の公布の行為と同じで、憲法の規定に従った行為である。
ところで、内閣が独断専行で解散を決め、天皇にこれを告げさせることは、憲法に反すると訴訟に持ち込まれたことがある。しかし、最高裁は「統治行為」だとして憲法判断を回避した。
7条による衆院解散は一種の政治的慣行で、法の条文の裏付けはない。英国は数年前に内閣による解散は弊害が大きいとして、政権の恣意的な解散に歯止めをかけた。ドイツ連邦議会も同様で、首相の解散権に制限をかけている。
政策をめぐって野党と激しい対立が起き、国民の判断を問うというのなら解散の理由になるが、解散総選挙を今やっておけば、議席の減り方が少ない、という理由で首相が解散を決め、そのあとで解散の大義だの公約だのを持ちだしてくる日本国のいわゆる「解散は首相の専権事項」というならいは21世紀のいまどき異常である。
(2017.9.25 花崎泰雄)