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news commentary

ジャカルタの君が代

2011-06-20 21:04:06 | Weblog
以前、文部科学省が報道用に配布した「諸外国における国旗・国歌の取扱い」によると、日本と同じ立憲君主国であるイギリスには、ユニオン・フラッグを国旗と定めた法令はない。慣習上、国旗として取り扱われているだけだ。国旗・国歌法が成立する前の日本と同じである。また、イギリスでは学校内に国旗が掲げられたり、学校行事において国旗が掲揚されたりすることはない。学校教育における国旗の指導について定めた法令もない。国の教育課程基準である「全国共通カリキュラム」においても、特に触れられていない。国旗の指導は学校や教員の判断により歴史などの授業の中で教えられる。

また、同じ資料によると、いわゆるイギリス国歌は19世紀に入ってから、国歌として歌われるようになったもので、制定法令はない。これも国旗・国歌法制定前の日本と同じ。また、いわゆる国歌とされているのは旋律だけであり、God, Save the Queenという歌詞は国歌にふくまれない。学校行事において国歌が演奏されることはなく、法令や指導についても国旗の場合と同じく、何もない。国歌の指導は学校や教員の判断により、音楽などの授業で指導される。

日本とイギリスで学校における国歌・国旗の扱いが大きく異なるのは、国歌・国旗の背後にある歴史と、立憲君主制というもののとらえ方の違いからくるのであろうが、日本のケースは、アンブローズ・ビアスが『悪魔の辞典』で言ったように、「ジョンソン博士の辞書の定義によれば、愛国心は悪漢の最期の拠り所」だからだ。

最近の読売新聞で、ジャカルタに出張した大阪の橋下知事が訪問先のジャカルタ市内の学校で同行した大阪府の職員と「君が代」を歌ったという記事を読んだ。記事によると、学校で生徒・教員60人に「日本では、戦争を思い出すという理由で国歌を立って歌わない教員がいる。僕が立って歌えというだけで、大問題になっている」と知事が話すと、学校側から「そんな教員がいたらクビ」との声が上がったという。知事は「僕も(別に処分条例をつくって)クビにしようとしている」と応じた。そのあと、インドネシアの国歌を全員で歌い出し、橋下知事にも日本の国歌を歌うよう提案。知事は同行した府職員らと一緒に立って君が代を歌った。知事は斉唱後、報道陣に対し、「これが普通じゃないですか。日本のばかな主張をしている教員や有識者に、(インドネシアの)こういう現場を見てもらいたい」と述べた。読売新聞はそう伝えた。

ちょっと古くなったが、1990年にバライ・プスタカから出版されたSejarah Nasional Indonesia(『インドネシア国史』)第6巻で、インドネシアが日本に占領されていたころの学校について、以下のような記述を読んだ記憶がある。

生徒たちは戦争協力のためにkinrohosyiをさせられ、Nippon Seishinの受容をもとめられ、Kimigayoを歌わされ、日本の天皇の王宮の方角に向かってSaikeireiさせられた。

インドネシアの子どもたちが歌わされた「君が代」の歌詞は、橋下がジャカルタの学校で歌った歌詞と同じである。

インドネシアの教師と生徒、大阪の橋下と府の職員は、歴史の恩讐を超えて「インドネシア・ラヤ」と「君が代」を歌いあったのだろうか? それとも、単に歴史の忘却によるものだったのだろうか?

(2011.6.20 花崎泰雄)

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醜偽院

2011-06-02 23:05:39 | Weblog
酷会は醜偽院と惨偽院からなる――とは、インターネット上の口からでまかせサイトに頻出する当て字遊びだ。だが、6月2日の菅内閣不信任案をめぐるテレビの中継報道をみていて、「議会不信任案」というのはどこに持ち込めばいいのだろうかと、私は思案にくれた。

首相の菅直人がやったことのナンセンスぶりは自民党副総裁の大島理森が趣旨説明で演説した通りだ。だが、もし不信任案が可決されていたら、自民・公明はその後始末をどうするつもりだったのだろうか。

小沢一郎、鳩山由紀夫など不信任案賛成を表明していた人たちも、同日昼の民主党代議士会で首相が退陣予告ととれなくもないような発言をしたことで、腰くだけになった。テレビを見ていたら鳩山も、小沢の腰巾着の山岡賢次も不信任案反対の青票を投じた。

「大震災への対応に取り組む、このことに一定のめどがついた段階で、わたしがやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代のみなさんにいろいろな責任を引き継いで行きたいとかんがえている」と、菅は代議会で語った。

果たしてこれは辞任の意向表明だろうか?

あははは、あれはこういったのだよ。「若い世代のみなさんに(閣僚になってもらい)いろいろな責任を引き継いでいきたいと考えている」。つまり、「一定のめどがついた段階で、内閣改造を考えている」と言ったのだよ。

2日の内閣不信任案をめぐるドタバタ劇を、大阪かどこかで見ていた大阪府知事の橋下徹が以下のようなことを言ったと、2日の『朝日新聞』電子版に載っていた。

「一定のルールの中で、ある種の独裁で物事が進められるような形を作らないといけない」
「議院内閣制は独裁は防げるかもしれないが、リーダーシップを発揮できない」

首相公選の持論を述べたものらしいが、ある種の独裁でないとリーダーシップが発揮できないとはね。リーダーシップは、古代ギリシャのソロンのような人が握るのなら結構なことだが、間違った人たちがそれを発揮したために、みんなが不幸になったのが、日本の現代史の教訓だったのではないのかい?

まさか、あなた、昔の共和政ローマの独裁官の気分で大阪府知事をやってるんじゃないでしょうな。あの制度だってやがて終身独裁官・カエサルを生むことになった。 

それに痴事さん、「独裁」などという政治学上すごい定義をされている用語と公選を関連させるのは、アメリカ合衆国やその他の大統領公選制をとっている国々に対するあてこすりだと思われるよ。

(2011.6.2)
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