義姉が急死した。50歳だった。朝自室で唐黷トいるのを義母が発見、救急搬送されたがもう家には帰ってこられなかった。幸い当番医がすぐ検死してくれたので、当日のうちに死因がはっきりした。脳幹出血でほぼ即死だったようだ。高血圧気味で心臓も肥大していたらしい。ここ20年ほど国保に入っていなかったため、健康診断はおろか病院にもかかったことがなかったので、本人もわかっていなかったのだろう。
わたしが義姉に最後に会ったのは去年の春、一緒に花見に行った時で、その時の態度に本当に腹が立って「もう一生会いたくない」と思い、それからあとは夫が実家に帰る時もついていくのをやめた。そんな関係だからか亡くなった第一報を聞いた時も遺体に対面した時も、薄情すぎるほどに感情が揺さぶられなかった。ただ自分より先に、しかも前触れなく娘が逝ってしまった義母や、義姉と仲の良かったもう1人の義姉やその子どもの心中を考えると、自分のようなものが同じ場にいることに違和感を感じ、申し訳なく思った。
自宅で亡くなった場合の手続きとして、警察が義実家(亡くなった現場)に来るから、現場はそのままにしておいて欲しいと言われた。でも、おそらく唐黷スときに散らばったと思われるハンカチ入れの箱からこぼれた生理用ナプキンは、見た瞬間に思わずまとめて箱に戻してしまった。他にもたくさんのBL小説だとか財布の中に現金が100円も入ってなかったこととか、もう本人は亡くなってるから「見られたくない」という思いはないだろうけれど、それが明らかにされていくのを見るのは、本当にいたたまれなかった。
死は「順番に」ではなく、いつ誰が死ぬかは本当にわからない。働きに出ることよりも貧しくても小さな家庭の中で王様としていることを選び、肥満や高血圧を改善しようとせず、国保や年金を納めていなかった義姉の生き方を「緩慢な自死」と見る人もいるだろうし、義姉をよくよく知ったら「社会に殺された」と見る人もいるだろう。周りの者がある人の死をどう意味付けようとも、本人にとっては死は死でしかない。唐黷驍ニきに、義姉は自分が死ぬとは思っていなかっただろう。若くして急死したことを「不幸」「かわいそう」と見る人もいれば「人に迷惑をかけない理想の死に方」「孤独死よりずっと良かった」と見る人もいるだろう。しかしそんなものは周りの者が自分や誰かを納得させたいだけで、本当はどうかなんてわからないし、もっと言えば「いい死に方」なんてものはない。死は死だ。わたしにも明日突然降りかかってくるかもしれない。そして死に方は自分では選べない。
だから毎日最善を尽くそうとか、人間関係を気まずいままにしておかないだとか、そんなことは言うのは簡単だけれどできるわけがない。とにかく一日一日、生きていくだけしか、わたしにはできない。
わたしが義姉に最後に会ったのは去年の春、一緒に花見に行った時で、その時の態度に本当に腹が立って「もう一生会いたくない」と思い、それからあとは夫が実家に帰る時もついていくのをやめた。そんな関係だからか亡くなった第一報を聞いた時も遺体に対面した時も、薄情すぎるほどに感情が揺さぶられなかった。ただ自分より先に、しかも前触れなく娘が逝ってしまった義母や、義姉と仲の良かったもう1人の義姉やその子どもの心中を考えると、自分のようなものが同じ場にいることに違和感を感じ、申し訳なく思った。
自宅で亡くなった場合の手続きとして、警察が義実家(亡くなった現場)に来るから、現場はそのままにしておいて欲しいと言われた。でも、おそらく唐黷スときに散らばったと思われるハンカチ入れの箱からこぼれた生理用ナプキンは、見た瞬間に思わずまとめて箱に戻してしまった。他にもたくさんのBL小説だとか財布の中に現金が100円も入ってなかったこととか、もう本人は亡くなってるから「見られたくない」という思いはないだろうけれど、それが明らかにされていくのを見るのは、本当にいたたまれなかった。
死は「順番に」ではなく、いつ誰が死ぬかは本当にわからない。働きに出ることよりも貧しくても小さな家庭の中で王様としていることを選び、肥満や高血圧を改善しようとせず、国保や年金を納めていなかった義姉の生き方を「緩慢な自死」と見る人もいるだろうし、義姉をよくよく知ったら「社会に殺された」と見る人もいるだろう。周りの者がある人の死をどう意味付けようとも、本人にとっては死は死でしかない。唐黷驍ニきに、義姉は自分が死ぬとは思っていなかっただろう。若くして急死したことを「不幸」「かわいそう」と見る人もいれば「人に迷惑をかけない理想の死に方」「孤独死よりずっと良かった」と見る人もいるだろう。しかしそんなものは周りの者が自分や誰かを納得させたいだけで、本当はどうかなんてわからないし、もっと言えば「いい死に方」なんてものはない。死は死だ。わたしにも明日突然降りかかってくるかもしれない。そして死に方は自分では選べない。
だから毎日最善を尽くそうとか、人間関係を気まずいままにしておかないだとか、そんなことは言うのは簡単だけれどできるわけがない。とにかく一日一日、生きていくだけしか、わたしにはできない。