犬との信頼関係。。。
そんなの、以心伝心、言葉なんか無くても伝わるもの、カンの鋭い動物なら分かってくれる、そう思い込んでいました。
が、現実はそんなに甘くない。。。
犬も、やりたいことはある。
ご主人様でもない人間の言うことなんぞ、聞く必要も無い。
一方、人間には都合というものがある。
で、圧倒的な力を持っていて、いざとなったら力づくで服従させることもできる。
エサをくれたり、いつも散歩に連れてってくれるご主人様は別として、ご主人様の召使い(犬にはそう見えている)なんかと仲良くする必要はない。
人間は犬を飼って癒されたい。
言葉の通じないもの同志で意見が食い違うとどうなるでしょうか。
特に双方が仲よくしようとする動機が無ければ、普通は決裂します。
決裂とは、争いが起きるか、力の弱いものが屈服するかです。
例えこちらは仲良くしたいと思っていても、相手側にその気がなければダメ。。。
今回の場合は、決裂するパターンですね。
・・・って、ダメじゃないですか、そんな結論出しちゃ!!
なんとかしないと。。。
そのとき、、、ふと思いました。
「人間にもいるよなぁ。。。言葉の通じない人」
このところ、道理の通じない人と話す機会が何回かあり、通常の通り、決裂して終わっていたのです。
ただ、思い返すと・・・
会社では、論理的思考を進め、科学的に判断して物事が進んでいきますので、それが当たり前になってしまっていますが、そういうことの出来ない人に対するボクの態度は。。。
一生懸命誠心誠意言葉で合理性を説明はするのですが、通じない・・・
きっとコムギとの関係と同じだったかもしれません。
とすると、結果も同じ。
警戒して寄って来ない、とか、話を理解せずに一方的にシャットダウンされる、とか・・・
それで良かったのだろうか・・・
いやいや、よくないでしょう。
言葉が無くても、というか、言葉は無しで、意見の対立を乗り越えて信頼関係を構築すること。
これは今も昔もいつもどこででも、普遍的に必要となる能力であるはず。
こむぎと仲良くできないなら、ボクは人とも仲良くできないということです。
こむぎの信頼を勝ち得ることが出来なければ、ぼくは人として何かが欠けているということ
言葉が話せないが故に、ピュアにそれが試されるのです