行くと覚悟を決めて、最後に登ろうとする山。
これを越えると、いきなり台北の街中です。
自転車屋は降りたらすぐのところ。
ここで自転車を分解、梱包してもらって、宿に持って帰るのです
たくさん、と言うほど走ってないかもしれないけど、いろいろあった思い出深い台湾の道、山・・・
泣いても笑っても、これが最後の山です
だからといって、楽に走れるかと言うと、当然のことながらそんなことはなく、やはりツライものはツライ、あたりまえです
えっちらおっちら急坂を登って行って、やがて疲れて降りて歩こうと思う、思いながら、今まで疑問に思ってきたことを思い返していました。
「なんで自転車乗りたちは、降りて押さないのか」
どんなに辛くても、自転車を押して歩いてる人はどこにもいないのです
休んでは、また漕ぎ始める、疲れたらまた休む。
自転車乗りの「誇り」なのだと思っていました
ボクは自転車初心者だし、こってりと自転車乗りルックに身を固めたりしないだろうし、自転車乗りとしての「誇り」なんて無いから、ボクは歩いても全然かまわないんだ、自転車を押しても、ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、こんな疲れること無理にやったってしょうがないし。
そもそも、自転車に乗って上り坂を上るのが目的ではなく、山の向こうに行くのが目的だから、その手段は問わない、バイクでも自転車でも良かった、歩きでも構わない。
そんな風に思って、自転車から降りて歩こうと思ったのですが・・・・・
決して降りて歩かない自転車乗りたちのことをもう一度考えた時、ふと思いました。
なぜ苦しい思いをしても、自転車で登ろうとするのか・・・・?
カッコ悪いから? 自転車乗りとしての誇りのため?
自転車に乗って走る限り、山を登ることは避けられません。
でもせっかく来たのだから、辛い思いをせずに、快適に気持ちよく走りたい。
だとしたら、鍛えて鍛えて自分の能力を上げていかないといけません。
次にここに来た時のため、次に登る知らない山のため、自転車に乗る者はその将来のため、今楽をしてはいけないのではないか?
そしてボクは・・・・
台湾でそこそこイイ自転車を購入した、なんのために?
日本に持って帰ってこれに乗るつもりだ。
当然山にも登るだろう、そこでその時にまたゼイゼイ言って歩くのか?
そしてその次の山もゼイゼイ言って自転車を押して歩くのか・・・・?
答えは「否」である。
自転車にずっと乗るのなら、歩かずに、いつかはこの相棒のペダルを漕いで登りたい・・・・
そう思ったら、自転車を降りれなくなりました。
そう、今の「誇り」のために漕ぐんじゃなくて、自転車に乗る明日の自分のために漕ぐんだ、と言うことに気付いたのです。
この歳になって自転車に乗り始めて、ちょっと斜に構えたモノの考え方をしてしまっていたのでしょうか
それから、辛くても自転車を押して歩くことは、一切無くなりました。
この時、初めて自転車乗りとしての自分が確立されたような気がします
・・・・とはいうものの、現実問題としてはやはりつらいものはつらい。
しかも今回の場合は時間制限があります。
自転車屋には17時に行くと言ってあり、22時まで営業なので、日本ならまぁ多少は遅れてもいいか、と思うのですが、ここは外国です
何が起こるか、相手が何を言うか、未知な部分をリスクとして認識しておかねばなりません。
つまり、時間内に到着しないと心配
必然的に現在地が気になります。
ナビなどあればいいのですが、あいにく地図しか持っていない、これではよくわからないのです。
おっ!!
地図がありました、これで大体の位置が分かるぞ
ふむふむ、現在地は人のマークか・・・・

どれどれ・・・・
現在地・・・・どこやねん!!

頂上に到着。
なんだかちょっとカッコいい写真が撮れました。

さっきの覚醒によって、自転車への愛着が一層増した気がするのは、気のせいでしょうか・・・
あとは下るのみ。
途中で観光客が行列を作っているつり橋がありました。

いつもなら100%寄り道してくのですが、今回に限ってはちょっと時間がない。残念・・・
。
備忘のため写真だけ撮って、またシャーっと下ることにします。
次回来た時には「絶対わたるぞ」と心に誓うのでした