また新宮一成さんの『ラカンの精神分析』の
続きを読み始めました。もうすぐ読了です。
ただ数式や図式が出てくる辺りから
(私にとっては)難解になってきて
かなり読み飛ばしている状態です。
専門知識のない分野については、
新書やブルーバックスなどの初心者向けのものでも
なかなか理解するのは難しいです。
でもその手の本を読むときはいつも、
「1割程度理解できればよしとしよう」
という気持ちで読んでいます。
その後別の入門書などを読んだとき、
以前はわからなかった部分が
「なるほど、そういう意味だったか」
と少し進歩する場合もありますので。
後半、かなり消化不良気味ですが、
「胸焼け」する理由はラカンの探求が
「哲学」だったからでは、と感じます。
ちょっとうまくいえませんが・・・。
ソシュール~構造主義の影響?は勿論ですが、
やはりウィトゲンシュタインの影響を強く感じます。
そうなると「本当に言わんとしている事」は
なんとか正確に伝えようと言葉を重ねれば重ねるほど
わかりづらくなっていく気がします。
ラカンのいう(永遠に失われている)「対象a」が、
ウィトゲンシュタインの「語りえぬもの」
を指しているように思えるのですが・・・。
もちろん付け焼刃の性急な結論は避けなければなりません。
もっともっと、よく考えてみます。