こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

見~つけたよ人生の起点

2019年08月28日 09時47分03秒 | エッセ
山田養蜂場さんのキャンペーンで
わが母校T小学校へ児童書を寄贈していただいた。
このキャンペーンに当選したのはもう5回目。
最初に当選の案内をもらった時、
迷わず母校の図書室を思い出していた。
田舎のちっちゃな小学校、
片道45分歩いて通学したものだ。
今やその母校も存続が議論される時代になってしまったが、
母校へ感謝の気持ちは決して忘れることはない。
世界で自分一人が孤独だという悲壮感に包まれた子供が、
新たな人生と未来をプレゼントしてくれた母校。
いや母校の貧相な図書室は
迷える子羊だった子供を救ってくれたのだから。
これからも
田舎の母校が苦難を乗り越えて
継続されていくことを祈るばかりである。
だいぶ前に書いた原稿をみつけた。
読みながら、
私の母校への愛は永遠だと思ったものである。(しみじみ)
原稿
ネットで、学校の図書室が学校生活に馴染めない子どもの駆け込み寺になるという話題を拝見。思わず(そうだよ!)と共鳴した。
 実は私も小学校時代は図書室に入り浸っていた。休み時間になると級友たちが遊ぶのをしり目に図書室に一目散。本に齧りついた。
 気が弱く劣等感の塊りだった小学校時代、友達なんて出来る筈がない。運動神経もなく体育の実技では笑いの標的にされていた。まわりでわいわい遊び興じている教室で孤独な存在。そりゃあ悲しく嫌だった。
図書室に行くと気持ちは晴れた。興味を持って読める本がいっぱいの図書室。次々に読む本の世界が面白くて堪らない。そこに嘲笑もからかいもなく、自分らしさを保てた。
あの図書室がなかったら、大げさではなく私の今はなかったのは間違いない。
駆け込み寺になる図書室も駆け込む児童も、批判する声もあるようだが、当の本人の切実な心情を推し量れないからだろう。
コメント
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