こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

暑さにそぞろ思い

2024年08月15日 10時01分34秒 | 結婚式

きのうより気温は高いらしい。
西脇や福崎は40度も視野にはいっているとか。
もうダメだ。
体がオモダルで何もする気力が起こらない。
大事な時間を、
また無駄にしてしまいかねないなあ。無念なり!。

「時代が違うから」
 当然のように言い放つ娘。
 連れてきた運命の相手を紹介する場だった。
 問題を多く抱えた感のある相手を、そう簡単に認められない父親である。ネットのゲームを通じた出会いも、私の理解を超えていた。
「お父さんの考えは、もう古いの」
 言い返せないのは、相手が目に入れても痛くない末娘だからだ。
「お父さん」
 妻がひょいと袖をひき、話を引き継いだ。
「あなたたちの思いは分かったけど、もう少し時間をくれない」
 妻に諭されて娘は頷いた。
「いい人そうよ、彼。本人たちがいいなら
 妻に説得されても納得はいかない。高齢者の仲間入り以来、頭が固くなっているのは自分でも理解している。それでも結婚となれば話は違う。慎重になって然るべきだろう。
「あなたの娘は、もう立派な大人なんだから。いつまでもお父さんっ子じゃないの」
「ああ」
 返事は反射的に返す。ただ納得には程遠い。
 妻の言う通り、末娘は「お父さん子」といっていい。赤ちゃんの頃から、娘の子育ては父親である私が担った。
 当時は共稼ぎ。そしてすれ違い夫婦だった。深夜専属で働くわたしは、普通の時間帯に勤務する妻と交代、子育てを引き受けた。
 夜勤明けで眠いのを我慢、娘のために踏ん張ったあの日々。授乳やオシメ替えも苦にはならなかった。愛すべき娘を育てる喜びを感じさえした。家の中ばかりでは退屈だろうと、近辺の公園を渡り歩いては遊ばせた。
 どこにいても娘から目を離すことはできない。川遊びや虫好きにな娘に付きあい、自然の中を一緒に遊び回る。娘の笑顔を絶やさぬために夢中だった。母親より私になついた時期さえある。父親冥利に酔い、幸福感に浸ったものである。
 中学の頃まではお父さん子でいてくれた娘も、世間並みに父親離れの時期を迎えた。
 
 そして、ついに「時代が違う」と突き放されるまでに至った。
 娘の結婚を素直に喜べないのは、そんなふれあいの時間があったからに他ならない。
 わたしに変わり、妻が奔走して娘の結婚は形を成していった。
 いつまでも難しい顔の父親に、娘は言葉すらかけてくれなくなった。寂しさや虚しさを募らせた。いつしか(勝手にしろ!)と開き直る父だった。
「形式ばった結婚式は、もういいし。新婚旅行もいかない 。お金は新婚生活に使いたいから」
 結婚前のあいさつに来た娘と相手はそういった。(
 新婚旅行はさておいても、ケジメとして結婚シーンをみんなに祝って貰わないといけない)そう思うわたし。実は結婚式も新婚旅行もパスする気だった若い頃がある。
「これはケジメや。親兄弟や親しいみんなに祝われる場は、お前らの将来を築く上での第一歩になるもんやから」
 寡黙な父は珍しく譲らなかった。

「それはお父さんの言う通りやわ。私らもケジメなんか古い考えや思ったけど、あのケジメを経たからこそ、半世紀近く夫婦でいられたと思うの。だからあなたたちにもそうしてほしい。そうよね、お父さん」
 妻の問いかけに慌てて頷いた。
 
 隠れ家的なステーキ屋を借り切って「結婚お披露目会」を妻は計画してくれた。
 複雑な思いを抱えて、その日を迎えたのは私も娘も同じだったと思う。
 
「おめでとう!お幸せに」
 祝われた娘は、なんと涙を流した。感激でクシャクシャになった笑顔を輝かせた。
 気付くと私もボロボロ涙を流していた。
「幸せになれよ。おめでとう!」

 とりとめもなく、
娘の結婚にいたる顛末を思い出していた。
じわじわと募る暑さに、
蝉の泣き声がかぶさる。
コメント
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