『親は子どもの鏡』を再認識
休日、3歳と4歳になる子どもたちの遊びを見ることなしに見ていて、アレッ?と気づく。まさにわたしと妻の日常のひとコマがそっくりそのまま。
「おとうさん、ご飯のときは新聞を読まないでください」と、おしゃまな口調の娘。それを受けて「これだけ、これだけ読んだらやめる」と、ろれつの回らない父親役の息子。
「フーッ、まいったな」とため息をつくのに、ニヤッとする妻。「自分のふり見て、わがふり直せってことよ」と痛烈なひと言。
さらにさりげなく見ていると、次から次へと亭主の傍若無人ぶりが演じられていく。しかしまあ、なんと子どもたちの名役者なこと。実に見事な母親役であり、父親役である。その確かな観察力のすごさに驚かさせる。
子を見ればどんな親かが想像できるといわれるが、まさにその通りと実感。と同時に、親に求められる責任の重さに改めて気付く。
大人が何気なしに見せる、ズルさや身勝手さが、批判能力の未熟な子どもたちには選別されずごく自然に吸収される。考えてみれば、実に怖い話だ。
大げさかもしれないが、将来を担うべき子どもたち。彼らに、思いやりの心を育てさせるには、親がモデルになるのが一番。ひとつ踏ん張ってみるかな、わたしも。
(神戸・1987年10月1日掲載)
を再認識
休日、3歳と4歳になる子どもたちの遊びを見ることなしに見ていて、アレッ?と気づく。まさにわたしと妻の日常のひとコマがそっくりそのまま。
「おとうさん、ご飯のときは新聞を読まないでください」と、おしゃまな口調の娘。それを受けて「これだけ、これだけ読んだらやめる」と、ろれつの回らない父親役の息子。
「フーッ、まいったな」とため息をつくのに、ニヤッとする妻。「自分のふり見て、わがふり直せってことよ」と痛烈なひと言。
さらにさりげなく見ていると、次から次へと亭主の傍若無人ぶりが演じられていく。しかしまあ、なんと子どもたちの名役者なこと。実に見事な母親役であり、父親役である。その確かな観察力のすごさに驚かさせる。
子を見ればどんな親かが想像できるといわれるが、まさにその通りと実感。と同時に、親に求められる責任の重さに改めて気付く。
大人が何気なしに見せる、ズルさや身勝手さが、批判能力の未熟な子どもたちには選別されずごく自然に吸収される。考えてみれば、実に怖い話だ。
大げさかもしれないが、将来を担うべき子どもたち。彼らに、思いやりの心を育てさせるには、親がモデルになるのが一番。ひとつ踏ん張ってみるかな、わたしも。
(神戸・1987年10月1日掲載)
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