老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

13;「病気ニモマケズ」

2017-04-13 15:34:57 | 介護の深淵



星 光輝「病気ニモマケズ」

病気ニモマケズ
障害ニモマケズ
肺炎ニモ夏ノ熱中症ニモマケズ
丈夫ナカラダヲネガイ
慾ハナク
決シテ諦メズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日塩分六グラムト
野菜ト少シノ肉ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンノカンジョウヲ捨テサリ
ヨク立場ヲワカリ
ソシテワスレズ
施設ノ居室ノカーテンノ陰ノ
小サナ特殊寝台ニジット生キテイル

東ニ寝タキリノロウジンアレバ
行ツテ介護シテヤリ
西ニツカレタ家族介護者アレバ
行ツテソノロウジンノ世話ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニ惚ケタ人ガミチニマヨッテイレバ
モウ安心ダカラネトイヒ
ナカマガ他界シタトキハ泪ヲナガシ
ゲンキデ春ヲムカエタトキハ桜ヲミル
ヤクニンニ ヨウカイゴロウジン トヨバレ
ネンネン介護給付ハキビシクナリ
苦ニモセズニ
ワタシナリニ
イマニイキテイル

宮沢賢治さんが、拙い「編詩」?を目にしたとき 苦笑するのか、それとも





宮澤賢治「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

12;親の人生 子の人生

2017-04-13 08:09:00 | 介護の深淵

いまNHK連ドラ『ひよっこ』が放映されていますが
昭和39年 東京オリンピックが開催された当時
私は小学6年生のときで 蝦夷富士の麓で暮らしていた。
ランプ生活に別れを告げ ようやく電燈が点いた。
或る老人はこんなことを呟いていた。
「いまは便利がよく、生活は豊かになったけれど、昔は暮らしが貧しくても過ごしやすかった」。
大切なのは 物より心。時間の流れも遅かった。


平成元年 老人介護の世界に足を入れ、いまに至る。
20余年前に老女が話してくれた思いは、いまも変わらない。
それは、老人病院で看護助手として半年間研修をしていたときのことであった。

バンドが自由に伸び縮みのする古腕時計を見たら、
短針と長針が重なり、後2分少しで退勤時間の午後5時30分になるところだった。
93歳になる老女の手を軽く握り、
「また、明日もよろしくね」と言って
ベッドの傍から立ち去ろうとしたとき、
彼女は何を思ったのか、
ポッソと「日本の老人は寂しい。施設に居ようが、病院に居ようが、家に居ようが、老人は寂しい」と呟いた。
「日本の老人は寂しい」という呟きが、いまも私の心を疼かせている。

家があり 家族が住んでいても 家の中に住む老人は孤独
伴侶を亡くし 独りになっても 
自由気儘に暮らす孤独の方いい。
在宅訪問で そう感じてしまう
問題は最期どのような形で
自分の死を看取るか・・・

 

私自身も7年前
母を認知症グループホームから呼び寄せ
一緒に暮らしたが
途中からの同居生活は難しく無理があった
介護施設では認知症老人との関係づくりはスムーズにできたが
自分の親となると
感情が入り 思うようにいかなかった
最期 病室で母の手を握り見送ることはできたが
ふと「母の介護を振り返ると 親不孝だったのかな?」と、反省と後悔が入り混じるが、
もう親孝行はできない。
親孝行は 親が生きている間しかできない。
だからと言って 子は親に対して何ができるのか。
したいこと できること やれること は何か。
親の人生
子の人生
それぞれである。







11;家に帰りたい「死に水」3

2017-04-13 07:48:24 | 老いの光影


4月9日に掲載した 家に帰りたい「死に水」1,2の続きです
時間があき 申し訳ありません




介護施設からみきさんの家までは2kmあるなしだったが
近くて遠い我が家であった。
七夕の日の午後、
窓際にベッドで寝ていたみきさんはナースコールを押した。
行ってみると、
彼女は手を合わせ、聞き取れない声で呻く。
私は屈み彼女の口元に耳を近づけた。
「死にたい」「苦しい」と微かな言葉。
呼吸が乱れ脈も弱かった・・・・。
看護師を呼んだあと、私は急いで家族に電話をかけた。
いつもより状態がよくないことを伝え、
「どうにか家に帰れる」よう再度お願いをした。
チョッとの間、沈黙が流れた。
孫嫁は「いま迎えにいくことをおばあちゃんに伝えて欲しい」と話してくれた。
私はみきさんの手を握り、孫嫁の言葉を伝える。
張り詰めた糸がプツンと切れたのか、
これで「家に帰れる」と安堵した表情を見せた彼女

それから間もなくの午後3時53分、
みきさんは永い眠りにつく。
無念ながら家に帰ることはできなかったが、
「いま迎えに行く」という
家族の声を最後に聴くことができた。

孫嫁は持参した自宅の井戸水を唇に濡らす・・・。
七夕の日に、みきさんの願いごとが叶ったのだ、
と 私ひとり思い込む。
『眠れる美女』の老人が言うように、
「老人は死の隣人」であるからこそ、
誰よりも「お・か・え・り・な・さ・い」の
言葉を待っていたのだと思う。