老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

45;枯葉

2017-04-24 18:55:35 | 春夏秋冬
ご訪問ありがとうございます
90歳を越え元気に生きておられる老人は「生き仏」です
「生き仏」に掌を合わせ
私も長寿をあやかりたい


桜デイサービスセンターの1階北窓から
枯れた柏の葉が見えた
柏の木の向こうには 
桜の花が美しく咲いている
柏の枯葉は茶褐色で汚く見える

何の変哲もない枯葉は
冬芽を守るために
寒い冬の風雪にもジッと耐えてきた
落ちそうで落ちない柏の枯葉
柏の枯葉は新芽が出るまで落ちない
新芽が出るまで枯葉は死なない
枯葉の命は 新芽の生命に受け継がれていく

柏の枯葉は 大袈裟に騒ぎもせず
静かに新芽に命を繋いでいく
人間も見倣いたい
老人の生死を通し 
子どもに命の尊さを伝えていく
老人施設と保育所・幼稚園が
同じ敷地内にあることで
ごく自然に命のバトンタッチができていく・・・

44;意地悪婆さんをトイレに置き去り

2017-04-24 04:45:07 | 老いの光影
ご訪問ありがとうございます

老人保健施設での話
人生を70、80,90年と
生きてきた老人は凄い。
脳卒中や転倒骨折などの病や事故がもとで
手足が不自由になり
車いすやベッド上での生活となった今でも
元気である。

意地悪婆さんもいて、
結構そういう婆さんも楽しい。
青山登志子(83歳)さんもその一人。

或る晴れた日の空
意地悪な婆さん 青山登志子(83歳)さんから
「トイレに行きたい」と頼まれた。
車いすに乗り換え
トイレまで車いすを押し洋式便器に腰かけさせた。
そこまでは登志子さんとの関係は良好!

施設内放送で私は呼び出され
彼女に「チョッと電話をしてくるから待っててね」と話しかけた。
彼女は「大丈夫だよ」と。
電話をしている間に
私は洋式便器に座っている彼女のことを
こともあろうに忘れてしまった。
(彼女は座位保持が安定しているので
洋式便器から転落することはなかった。
が、一人で洋式便器から車いすに乗り移ることはできない)

「あっ」、彼女をトイレに置いたままであった、と気がつき
トイレに慌てて行ったときには、もう居なかった。
急いで彼女のベッドに行き謝るも
ガンとして許してくれるどころか怒られてしまった。
「そんなことでお年寄りの介助が勤まるか~」と。
何度首を垂れてもその日は許してもらえなかった。
登志子さんと一緒に生活している他の婆さんからは
「あの人頑固だからもう謝らなくてもいいよ。
謝ったんだから、気にしない」
と慰めてくれた。
退勤するときも
彼女のベッドに行き許しを乞うたが
無言。
最後まで許してくれなかった。

翌朝 登志子さんに「おあはようございます」と挨拶をした。
彼女から「昨日はいい過ぎた。悪かったね」と逆に詫びの言葉が返ってきた。
私は彼女に一本とられた、と思った。
彼女は私を試したのだ。
本当に心の底から謝っていたのかどうか

もうこれだけ、謝ったんだから、と
というような言動を示していたら
彼女との信頼関係は崩れ、修復に時間を要したに違いない。



43;「思う」と「想う」と老人介護(最終回)~排せつ介助は、心のケアを意味する~

2017-04-24 01:23:48 | 老いの光影
ご訪問ありがとうございます


平成元年に老人保健施設が誕生した。
都道府県に1箇所程度でき始め
当時生活相談員として
老人介護の世界に足を入れた。
老人介護の現場に身を置いたとき
或る認知症老人の想いを知った。
松山光代さん(当時88歳)の
排せつ介助は、私の介護の原風景になった。


認知症老人は言葉を忘れていく。
いままで生きてきた体験から話すことがある
認知症老人は便秘になると
「腹が痛い」
「(赤ちゃんが生れる)
「月のものがきた」などと
低い声で呟き 椅子から立ち上がり
ウロウロ歩き回る。


光代さんは屈み 両手でお腹を押さえ
「お腹が痛い」と何度も口にする。
彼女の近くに居た私は
急いで彼女の傍に行き話しかけた。
「光代さん、お腹が痛いならトイレに行こうか」。
彼女は相変わらず腹を抱え、何度も「お腹が
痛い」と鸚鵡返しに繰り返す。


洋式便器の前に立たせ
手早に彼女のズボン、紙パンツを下げたが
間に合わなかった。
泥状便は紙パンツと仲良くべっとり纏(まと)わり着き
彼女の大腿部から膝下まで 筋となって流れ落ちた。


私は片膝をトイレの床に着け屈み 
ペーパーや蒸した布の切れ端を何枚も使い
泥状便を拭き取っていたとき
松山光代さんは 低い声で呟く。
私には「あんよに行きたい」と聞こえ
彼女が話してくれた言葉の意味がわからず
「光代さん あんよに行きたいってどういう意味なの」と三度ほど聞き返した。
ふと「あんよ」とは「あの世」の意味であることがわかった。

(註)家庭で使用しなくなった電気釜をトイレのなかに置く。
電気釜(勿論コンセットにさし保温状態にする)に
濡らした布の切れ端を絞り、釜のなかに入れ蓋をする。
使いたいときには、いつも温かい「おしぼり」となる。


真っ白な紙パンツを彼女の両足に通しながら
尋ねた。
「光代さん 何であの世に行きたいの?」
彼女は、右手は手すりにつかまり
私の介護負担を減らしてくれながら
「見ず知らずの若い男に
(「若い男だって、嬉しい言葉だね。
同僚は誰も若い男とは言ってくれはしない」)、
こうして下の後始末をしてもらうなんて申し訳ない。
私があの世に行けば、あなたはこんな苦労をしなくて済む。
だから早くあの世に行ったほうがよい・・・」と
私の問いに答えてくれたとき
彼女は心の優しさに「ハッと」させられた。
若い男性の私を《想い》、あの世に行けば。
私が漏らした便を始末しなくても済む。


もし、私が途中で「腹が痛いならもう少し早く言って欲しかった」
と彼女を責める言葉を発したなら
彼女は本当に死にたいと《思い》、
心に刻み込んだかもしれない。

老人はよく言葉にするひとつとして
「人間 おしめをするようになったらお終いだ。そのときは死ぬしかない」。


排せつは他人には知られたくない。
彼女は自分が恥ずかしい《思い》を
受けながらも
介護者を《想い》遣る言葉に
私は大切なことに気がついた。


排せつケアは 心のケアでもあることを
彼女から教えられた。


※最後までお読み頂きありがとうございます。