老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

42;車窓「ふらりと南会津から五十里湖周辺」 

2017-04-23 16:34:14 | 春夏秋冬
ご訪問ありがとうございます

旧栗山村の街道を走ると
眼の前に コバルトブルーの川が見え 最高~!
快晴
まだ桜は咲いておらず、枯れた樹木が続いた

遠く微かに桜の花が見えた

今日はスタートから自宅に戻るまで妻が運転
途中大笹牧場で下車
ノンアルコールビールで乾杯し ジンギスカンを美味しく頂いた
感謝 感謝です


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41;梨雪

2017-04-23 05:31:17 | 春夏秋冬
梨の花は
桜に似た綺麗な白い花
梨の白い花が落ちると実がつく
歌舞伎役者の世界を指して「梨園」と呼ぶ

梨雪の花を眺め
真っ白な陶磁器を手にし
ゆっくりと春の風を感じる

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40;老人は子どもに戻らない

2017-04-23 01:23:48 | 介護の深淵

ご訪問ありがとうございます

「老親は子どもに戻る」とよく言われるが
捻くれた人間なのか私は
「老親は子どもに戻らない」と いまは思っているが
私が老いたとき 子どもに戻ったりして・・・・?

乳児の保育(子育て)と老親の介護
似ていて違う。

似ているところと言えば
母親のお腹にいる胎児
両手両足は「く」の字になり
両足を抱えるような感じで丸くなり 躍動している。
病院や介護施設において
粗末な「ケア(看護、介護)」を受け
寝たきりになった老人は
両手両足は拘縮し「く」の字に曲がる。
体は小さくなり両足を抱え ジッとしている。
これこそ「老親は胎児に戻る」姿に変貌するが
それは悲しく切なく遣る瀬無い。

乳幼児は 母親、保育士の子育て、保育により
「ヒト」から「人」になる。
おむつは外れ 歩き始め 言葉も増えてくる。
要介護老人は
おむつは外れることなく 寝たきりになり 言葉は忘れ失っていく。
その「老人は乳児に戻る」姿に似てくる
在宅介護者の世話は増し 先が見えないだけに心労が堆積する。
乳幼児の世話は消失し 先が見え夢や希望が膨らむ。

老人は生きてきた過去があり
乳幼児はこれから生きていく未来がある。
おむつをし 言葉は喃語のように意味不明瞭となるから
「老人は子どもに戻る」と映るのだろうか。

介護は 人間を取り戻す営みであり
保育は 人間形成を創造していく営みである
介護は 生いと老いとは何か そして死とは何かを学ぶもの
介護は 子どもに人間の持つ優しさと死の大切を教えてくれる。

保育も教育も介護も 人間の温もりを伝え合っていきたい。




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