老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

35;超元気な 108歳❣️ の義祖母

2017-04-21 10:11:28 | 春夏秋冬
妻の母方のおばちゃんは、只今108歳❣️
ショートを利用されていたので、
施設へ会いに行ってきた。
歩行器につかまり家の周りを歩いている。
一年前までは 毎日60分ほど散歩をしていた。
腰は曲っておらず 足取りもシッカリしている。

34;「思う」と「想う」と「老人介護」 ( 3 )

2017-04-21 02:32:41 | 介護の深淵

言葉は、その人の思いや動作を表出する。
認知症老人は「何もできない」「何もわからない」と決めつけ、
また「時間がかかる」ので、介護を《してあげた》方が面倒ではない。
そう思い、上目線で介助している介護者に遭遇することもある。
介護に限らず、他人の気持ちを推し量ることは難しい。
認知症老人や寝がえりもできず凡て介助を「受けている」老人は、
生活や身体が不自由であったとしても、
心の世界は自由であることを、介護者は忘れてはならない。
老人が言葉を発しないこと、イコール「話ができない」ということではない。
無言の言葉もある。

介護施設の4人部屋は,窓側と廊下側にベッドが分かれて配置されてある。
電車でも部屋でも窓側の位置を好む。
それは外の景色を見ることができるからだと思う。
窓側側のベッドには、寝たきりの人にしている。
歩けたり車いすに乗り移りができる人は、
容易に外の景色を見ることができるから、
廊下側のベッドでもいい。

ようやく介護の《想い》の話を始めていきたい。
その日の朝、介護につく前に介護者は自分の頭の中で
《想う》動作をして頂けば幸いである。
一人の老人でもよい。
例えば、,「近頃花子さん元気がないから、今日話しを聴いてみようかな」
余り体調が思わしくない老人から、先に声をかけたり気遣う。
(他の老人は気にしなくてももいい、という訳ではない)。

介護は1対1の人間関係で行われる。
立ち上がりができない、或いは立ち上がりに時間がかかる。
立ち上がりが大変だから、介助してあげるのは当然のこと。
「してあげる」ことは簡単!
幼な子が靴を履こうと頑張っているのに、
母親は「待つ」ことができず、叱ったり、すぐ手を出したりする。
介護の世界においても同じ光景が見られる。
老人がもたもたしていると手を出し、靴を履かせてしまう。
立つこともままならない要介護老人本人に、靴を履いてもらうのは大変だし危ない!
40㎝程度の高さのベンチ(椅子)を用意する、
ベンチに座って頂くことで、容易かつ安全に自分で履ける。
育児も介護も「手間暇」がかかる。
手間暇をかけること、それは相手に対し《想い》をかけることに繋がっていく。

長い話しを最後までお読み頂きありがとうございます。
次回は、認知症老人から介護者に対する《想い》を書いていきたい。