言葉は、その人の思いや動作を表出する。
認知症老人は「何もできない」「何もわからない」と決めつけ、
また「時間がかかる」ので、介護を《してあげた》方が面倒ではない。
そう思い、上目線で介助している介護者に遭遇することもある。
介護に限らず、他人の気持ちを推し量ることは難しい。
認知症老人や寝がえりもできず凡て介助を「受けている」老人は、
生活や身体が不自由であったとしても、
心の世界は自由であることを、介護者は忘れてはならない。
老人が言葉を発しないこと、イコール「話ができない」ということではない。
無言の言葉もある。
介護施設の4人部屋は,窓側と廊下側にベッドが分かれて配置されてある。
電車でも部屋でも窓側の位置を好む。
それは外の景色を見ることができるからだと思う。
窓側側のベッドには、寝たきりの人にしている。
歩けたり車いすに乗り移りができる人は、
容易に外の景色を見ることができるから、
廊下側のベッドでもいい。
ようやく介護の《想い》の話を始めていきたい。
その日の朝、介護につく前に介護者は自分の頭の中で
《想う》動作をして頂けば幸いである。
一人の老人でもよい。
例えば、,「近頃花子さん元気がないから、今日話しを聴いてみようかな」
余り体調が思わしくない老人から、先に声をかけたり気遣う。
(他の老人は気にしなくてももいい、という訳ではない)。
介護は1対1の人間関係で行われる。
立ち上がりができない、或いは立ち上がりに時間がかかる。
立ち上がりが大変だから、介助してあげるのは当然のこと。
「してあげる」ことは簡単!
幼な子が靴を履こうと頑張っているのに、
母親は「待つ」ことができず、叱ったり、すぐ手を出したりする。
介護の世界においても同じ光景が見られる。
老人がもたもたしていると手を出し、靴を履かせてしまう。
立つこともままならない要介護老人本人に、靴を履いてもらうのは大変だし危ない!
40㎝程度の高さのベンチ(椅子)を用意する、
ベンチに座って頂くことで、容易かつ安全に自分で履ける。
育児も介護も「手間暇」がかかる。
手間暇をかけること、それは相手に対し《想い》をかけることに繋がっていく。
長い話しを最後までお読み頂きありがとうございます。
次回は、認知症老人から介護者に対する《想い》を書いていきたい。