思い と 想い
この2つの言葉が持つ深い意味は
介護施設やデイサービスそして在宅で生活している老人から
教えられた。
この2つの言葉は、声に出して読むと同じ「おもい」になる。
介護の世界からだと違って見えて来る。
「思い」は、老人の介護を通し、
自分の《心の中で何を感じたのか》。
ベッド上には四肢(両手両足)が拘縮し、
寝がえりをすることもできず、勿論歩くことはできない。
日めくりカレンダー📆は変わるが
無味乾燥な天井だけを見ながら生きる。
そのような寝たきり老人の介護をしたとき
自分はどう感じたのか(どう思ったのか)。
自分がその立場になったとき、
自分はどう《思う 》のか。
自分の 頭で考えてみることはとても大切。
医療機関や介護施設は、非日常的な時空間(世界)にある。
知らず知らずのうち介護行為そのものに慣れ、
「介護業務」に 終わってしまったこともある。
一日の介護を終えたときでもよいし、眠りにつく 前でもよい。
「きょう 、自分の介護はあれで良か ったのだろうか」
喜びあったこと、感動したこと
悲しくて切なくて老人の手を握ったこと
涙したこと、怒ったこと、
心残りだったこと、死を悼んだこと
自分の頭のなかで《思い》巡らすことが
老人や老人介護から学ぶことである。
20代頃の私は、福祉や介護の仕事は動機が大切だと思い込んでいた。
平成元年に老人介護の時空間に足を踏み入れてから変わった。
どんな仕事においても動機よりも、
その仕事に就いた一年後の自分は
どれだけ変化したのかが、問われる。
老人との関わり(係わり)のなかで、
自分が感じとってきたものを
老人や同僚に話しかけていくことが大切になる。
保育と介護は共通しているところがある。
それは 《伝え合い》にある。
幼児も老人も、親・保育士・介護者 自ら「思った」ことを
行動に起こして行かないと、
言葉だけでは伝わりにくい。
それは自分の《思い》を 相手への《想い》に
【昇華】させて(高めて)いく。