🌸
ブログ名は「桜梅桃梨」でしたが、
「桜梅桃李」に変更します。
正しくは「桜梅桃李」と書くべきところを
「李」を「 梨」に変えた。
理由は今は福島県で生活していますが、
白河の関を越える前は茨城県に棲んでいた。
茨城は梨🍐の産地で白い花で美しかったので
李 だったのを 梨 に変換した。
幸いどちらも「 り 」と読めたこともあり・・・。
🌸
在宅介護のブログに何故「桜梅桃李(おうばいとうり)」としたのか❓
ベッド🛌生活で行えることは
寝る、食べる、排せつ、点滴、💊、📖、タブレット、📞
と、言ったように限られている。
だから、病室の中の時間は豊富にあり、
📖とタブレットに手と目がいく。
🌸
そうそう、
桜梅桃李のことについて話しを移したい。
鎌倉時代、『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう)の
「草木」の項に「春は桜梅桃李の花があり・・・」
と記述されていた。
桜梅桃李は、それぞれが個性を持ち見事に咲き、
心を癒してくれる花。
🌸
つい他人と自分を比べ、意味もなく羨んだり、劣等感を抱いたりする。
「自分は生きていても意味がない(価値がない)存在でしかない」と。
人は誰も、長所、短所はある。
短所に目はいきやすい。
自分にしかない良さを見つけ、自分だけの花になる。
病み老いたとしても、この世に存在価値のない人はいない
失なわれた若さや記憶や手足の動作を嘆くのではなく、
自分(それぞれ)が「できる」ことやまわりの「他者(ひと)に役たっている」と
感じることで、居場所や希望が持てる。
桜は 桜らしく
梅は 梅らしく
桃は 桃らしく
李は 李らしく
🌸
老人介護は、出来なくなったことを問題視するのではなく、
出来ること、よいところを見つけ、
それを褒めることから始まる。
爺婆で一纏め(ひとまとめ)するような介護ではなく、
「(自分は)生きていいんだ❣️」と
感じさせてくれる居場所で、自分の花🌸🌺🌼🌹🌻を
咲かせていく。
手足が動かなく寝たきりで老人が死するとき
「もう人間には生まれたくない」と 嘆き悲しむのか、
それとも、素晴らしい介護人に遭遇し「また 人間に生まれたい」と感謝し眠るのか。
ブログ名は「桜梅桃梨」でしたが、
「桜梅桃李」に変更します。
正しくは「桜梅桃李」と書くべきところを
「李」を「 梨」に変えた。
理由は今は福島県で生活していますが、
白河の関を越える前は茨城県に棲んでいた。
茨城は梨🍐の産地で白い花で美しかったので
李 だったのを 梨 に変換した。
幸いどちらも「 り 」と読めたこともあり・・・。
🌸
在宅介護のブログに何故「桜梅桃李(おうばいとうり)」としたのか❓
ベッド🛌生活で行えることは
寝る、食べる、排せつ、点滴、💊、📖、タブレット、📞
と、言ったように限られている。
だから、病室の中の時間は豊富にあり、
📖とタブレットに手と目がいく。
🌸
そうそう、
桜梅桃李のことについて話しを移したい。
鎌倉時代、『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう)の
「草木」の項に「春は桜梅桃李の花があり・・・」
と記述されていた。
桜梅桃李は、それぞれが個性を持ち見事に咲き、
心を癒してくれる花。
🌸
つい他人と自分を比べ、意味もなく羨んだり、劣等感を抱いたりする。
「自分は生きていても意味がない(価値がない)存在でしかない」と。
人は誰も、長所、短所はある。
短所に目はいきやすい。
自分にしかない良さを見つけ、自分だけの花になる。
病み老いたとしても、この世に存在価値のない人はいない
失なわれた若さや記憶や手足の動作を嘆くのではなく、
自分(それぞれ)が「できる」ことやまわりの「他者(ひと)に役たっている」と
感じることで、居場所や希望が持てる。
桜は 桜らしく
梅は 梅らしく
桃は 桃らしく
李は 李らしく
🌸
老人介護は、出来なくなったことを問題視するのではなく、
出来ること、よいところを見つけ、
それを褒めることから始まる。
爺婆で一纏め(ひとまとめ)するような介護ではなく、
「(自分は)生きていいんだ❣️」と
感じさせてくれる居場所で、自分の花🌸🌺🌼🌹🌻を
咲かせていく。
手足が動かなく寝たきりで老人が死するとき
「もう人間には生まれたくない」と 嘆き悲しむのか、
それとも、素晴らしい介護人に遭遇し「また 人間に生まれたい」と感謝し眠るのか。